11. 怪盗令嬢の影
煌々と輝く夜空に、一つの影が浮かび上がる。
普通の人間より、はるかに巨大に映る影。
マクネア伯爵家の私兵が騒めく。
対照的に、王立憲兵騎士団は落ち着いていた。
「来たか」
王立憲兵騎士団の団長、ラルス・タンザナイトは呟く。
その目からは、つい先ほどまでヤフェス・マクネアに見せていた苛立ちが掻き消えていた。
好戦的な笑みが、ラルスの口角に浮かぶ。
「怪盗令嬢」
ラルスは呟いた。
ヤフェスに更迭をチラつかされたからではない。
王太子に、命じられたからでもない。
怪盗令嬢を捕らえる。
それが、ラルスの目的だった。
長い髪を翻し、影は堂々と屋根の上を歩く。
遠くで、私兵が守りを固めるため号令を掛けている。
だが、その程度で捕まる怪盗令嬢ではない。
ラルスは、無言で部下に合図を出した。
「今日こそは、逃さない」
緊張が、王立憲兵騎士団に走る。
正念場だと、誰もが理解していた。
だが、まだ動く時間ではない。
ラルスは全身の神経を集中させて、怪盗令嬢の影を視る。
「──やっぱり、そうだ」
低く、呟いた。
気軽にラルスの前に姿を現わす癖に、どこまでも慎重で用心深い。
そんな怪盗令嬢にしては、粗い仕事だ。
「団長、どうでしたか?」
離れた場所で警戒しているカールが、魔法でラルスに尋ねて来る。
ラルスは端的に答えた。
「偽者だ」
「そんなこったろうと思いましたよ」
カールが喉の奥で笑った気配がする。
「マクネア伯爵家の連中は、大方気が付いてないでしょうがね」
「だろうな」
その点は、ラルスも同感だった。
怪盗令嬢の魔法は完璧だ。
百戦錬磨の王立憲兵騎士団騎士でさえ、簡単に惑わされる。
貴族が私有財産で雇っている私兵は、練度が足りないことの方が多い。マクネア伯爵家の私兵も、例に洩れなかった。
大層面白いとでも言いたげに、カールは続ける。
「あのご令嬢が、こんなに堂々と姿を現わすわけがねえ。その程度のお頭なら、団長が惚れるわけもないですしね」
「軽口もいい加減にしろ」
ラルスは低く叱咤した。カールは楽しげに、「すみません」と言って通信を切る。
こっそりと溜息を吐き、ラルスは再度、夜空に映し出された黒い人影を見た。
カールには揶揄われたが、彼の言う通りだった。
怪盗令嬢のすることには、かならず理由がある。
そこらのコソ泥とは、わけが違う。
それなのに、彼女の目的をラルスは知らない。
長年追い続けていれば、怪盗令嬢の行動には何かしらの軸があると分かって来る。
ラルスと同じように怪盗令嬢を追い続けている新聞や王立憲兵騎士団の仲間たちは、気が付いていないらしい。それが、ラルスにはいっそ不思議だった。
とはいえ、このまま誰も知らないでいて欲しいという気持ちもある。
「不味いな」
ラルスは自嘲した。
一介の犯罪者に抱いて良い気持ちではない。
だが、一流の犯罪者を追いかけていると何かしらの共感や共鳴を感じることがある。
それを、ラルスは今は亡き王立憲兵騎士団前団長ヨアヒムから聞いたことがあった。
きっと、そのせいだとラルスは思っている。
騎士人生の中で、ラルスが一番長く追い続けているのが怪盗令嬢だった。
誰よりも先に、怪盗令嬢の目的を知りたい。
それを理解した時こそ、ようやくラルスは怪盗令嬢の正体を掴める。
そして、彼女を捕まえることができる。
そんな気がしてならなかった。
◆◇◆◇◆
マクネア伯爵家当主テオバルトは、執務室でいきり立っていた。
大きく作られたガラス窓からは、煌々としたサーチライトの強い光が差し込んでいる。
室内はまるで真昼間だ。だが、誰もそんなことは気にしていなかった。
「何をしとるんだ、王立憲兵騎士団は! 奴らは腑抜けか、あのデカデカとした影も見えんのか!?」
父の怒りを受けた長兄は、慌てた表情で私兵に指示を出す。
王立憲兵騎士団が動かないのであれば、自分たちで早々に怪盗令嬢を捕らえなければならない。
家宝のユーディアライトを、盗まれては一大事だ。
「父上、落ち着いてください。今、私兵を半分ほど向かわせました」
「ええい、しゃらくさい。だが、屋敷の中も警戒は怠らせるなよ。万が一にでもユーディアライトを盗まれては、我が伯爵家は一巻の終わりだ
テオバルトは神経質に部屋の中を歩き回る。
普段は王宮に借りている部屋に寝泊まりしているヤフェスも、今日この時ばかりはマクネア伯爵邸に泊まっていた。
一晩中起きていると言う父兄を放って一人寝るわけにもいかず、執務室で寝ずの番をしている。
家宝のユーディアライトは、普段は屋敷最奥にの宝物庫で厳重に管理していた。
だが、今日は執務室に持ち込み、最先端の金庫に入れて施錠している。
鍵はテオバルトが持っているし、念には念を入れて、魔法を弾く加工もしていた。
物理的であろうが魔法を使おうが、無理に金庫をこじ開けようとしたら、警報がなる仕組みである。
このために、テオバルトは大金を詰んで特製の金庫を発注したのだ。
テオバルトの独白に、嫡男もまた真剣な表情で頷く。
「分かっております、父上。我が家のユーディアライトが一つ奪われてしまえば、それはマクネア伯爵家だけではなく──カウマンス公爵家、シーマン子爵家はおろか、教会もハウライト王家も、ただではすみません」
その顔は緊張に満ち、血の気が失せている。
そんな息子の姿を見て、テオバルトは「分かっているなら良い」と尊大に頷いた。
ヤフェスは、無言を貫く。
マクネア伯爵家に伝わるユーディアライト。
その由来を知る者は、本来なら伯爵家当主だけだ。
嫡男以外の子供はもちろん、妻にも知らされない。
だが、ヤフェスは例外的に事情を知っていた。
王太子ケンドリックと共に次代の治世を行うためには、必要なことだった。
「しかし──どうにも解せない」
怪盗令嬢は、これまでも由緒ある宝石を次々と狙って来た。
その中で偶然、マクネア伯爵家のユーディアライトに目を付けたのだろう。
そこに不自然さはない。
ただ、今回の疑問は、怪盗令嬢があまりにも堂々と姿を現わしたことだった。
サーチライトにその身を浮かび上がらせ、ゆっくりと屋根の上を歩いて、マクネア伯爵邸に向かって来る。
まるで、捕まえてみろと言わんばかりだ。
これまで王立憲兵騎士団の追跡を悉く躱して逃げ果せた彼女が、無計画に姿をさらすなどあり得るだろうか?
実際、あからさまな影を目撃している王立憲兵騎士団が、動く気配がない。
「──父上、兄上」
「なんだ」
後継者でもない、王太子側近でしかないヤフェスが、絶対的権力を持つ父と兄に意見するなど普通はあり得ない。
それでも、ユーディアライトの盗難がマクネア伯爵家にとって致命傷になると理解しているからこそ、ヤフェスは勇気を出した。
「もしかしたら──あの影は、罠かもしれません」
「罠? なんのだ」
テオバルトもヤフェスの兄も、胡乱な顔をする。ヤフェスの発言がどういう意味なのか、全く理解していない。
だが、それも当然だった。
魔法はそれほど一般的ではない。
王立憲兵騎士団や魔術師は専門的な訓練を重ねるが、一般人は魔法など使う機会がない。労働を良しとしない貴族社会では、なおのこと、魔法は軽んじられて来た。
魔法を使う者は、すなわち労働者だからだ。
ヤフェスは、伯爵家を継げない。だから、働くしかない。ただ、魔法の才はなかった。
王太子の側近になれたのは幸運だった。そして、魔法に造詣の深いオーラン・カウマンスとも出会った。
オーランには、時折魔法について教えて貰う。
だから、一般人よりは多少なりとも魔法を知っていた。
「私も詳細は分かりません。しかしカウマンス公爵家のオーランに、幻を見せる魔法があると聞いた記憶があります」
「幻だと?」
全くもって夢物語に聞こえる。
テオバルトは、ヤフェスが最初にそれを聞いた時と全く同じ反応をした。
「そんな馬鹿な話があるか。実際に、ああして見えているではないか」
鼻先で、テオバルトは息子の発言を笑い飛ばす。
だが、ヤフェスが真顔でいると、徐々に表情は引き攣り始めた。
「──まさか、本当か?」
その言葉が、終わった瞬間。
テオバルトとヤフェスがいる室内が、真っ暗闇に染まった。




