第10話 美味しい、犬のオムライス
「……お兄ちゃん。袖、焦げてる」
「ん? あぁ、本当だ。今度は少し力を入れすぎたな」
右手の指先に灯った炎を消し、制服の袖を確認する。幸い、焦げたのは端の部分だけで、穴が開くほどではなかった。
あの決闘から、およそ二ヶ月が経過した。
俺は相変わらず一年生の魔法基礎講義に参加しているが、最近になってようやく魔力コアを感じ取れるようになった。初級の炎魔法なら、何度か失敗しながらも発動できる。
ゲームだったらボタン一つで済むことに、ここまで苦労するとはな。
「クリスタ。今のはどうだった?」
「……炎が、大きすぎる」
「そうか。じゃあ、もう一回だな」
クリスタが隣で人差し指を立てると、その先に小さな炎が浮かんだ。俺の炎と違い、揺れもせず、火の粉ひとつ散らない。
「……こう」
「見事なもんだな。ただ、見せてもらっただけで真似できるなら苦労しないんだよ」
「……難しい?」
「あぁ。お前の兄は、それほど器用な魔法使いじゃないらしい」
クリスタは納得したような、していないような顔で頷いた。
しかし、苦労した甲斐はあった。魔力がどこから流れ、指先でどんなふうに熱へ変わるのか。まだ曖昧ではあるが、ようやく自分の感覚として捉えられるようになってきたのだ。
今後も炎属性を中心に練習するつもりだ。攻撃だけでなく、金属を熱したり、調理の火を起こしたりする際にも応用が利く。何より、最近の俺には鍛えたい技術がもう二つある。
◇
「キリオス! そこ、もう少し削っておけ!」
「あぁ。このくらいか?」
「そうだ。だが、削りすぎるなよ。一度減らした金属は戻ってこねえからな!」
夕方の『鍋底亭』。客が来るまでの時間を使い、俺は店主のバルドに工具の扱い方を教わっていた。
この店で働き始めてから、しばらく経つ。皿洗いと仕込みにも慣れ、最近は厨房の仕事を任されることも増えた。
その合間に木の棚を直したり、錆びた金具を交換したりと、修繕の仕事も少しずつ覚えている。
今日の課題は、鉄の端材を削って形を整えることだ。
「しかし、お前も変わった奴だな。料理を覚えに来たのか、鍛冶屋になりたいのかわからねえぞ」
「どちらも覚えたいんだ。自分で道具を作れて困ることはないだろう?」
「まあ、そりゃそうだがな。ほら、手元ばっかり見てねえで、角度も確かめろ」
バルドは俺から鑢を受け取ると、削る面を見せながら手を動かした。力任せにこすっていた俺と違い、一定の角度を保ったまま、少しずつ表面を均していく。
ゲームでは作業場に材料を持ち込むだけで完成品ができたが、実際の金属加工では、工具の当て方ひとつで仕上がりが変わる。
あの修繕クエストを何十回も繰り返した俺が、今さら基本から教わっているというのも妙な話だ。
もっとも、こういう経験ができること自体、俺としては嬉しいんだが。
「親父。この端材、余っているなら譲ってもらえないか?」
「ん? 何を作るつもりだ?」
「妹に、ちょっとした贈り物でもと思ってな」
「ほう! いいじゃねえか。好きに使え。ただし、客が来たら仕事に戻れよ!」
「もちろんだ。ありがとう」
小さな金属片を眺めながら、頭の中で形を考える。クリスタはいつも銀色の髪を下ろしているから、髪留めなんかがいいかもしれない。
買えば簡単に手に入るものだが、せっかく木工や鉄工を学んでいるのだ。自分で作ってみるのも悪くないだろう。
◇
次の休日、俺は金具に取り付ける飾りを探しに古道具屋へ向かった。
学園都市には、冒険者が持ち込んだ道具や、使われなくなった魔道具を売る店がいくつもある。
中には壊れているだけで、材料としては十分に使えるものも少なくない。
あまり高価な石を使うと、髪留め一つに大金をかけることになる。安くて見栄えのいいものがないか、棚を一つずつ見ていると、見覚えのある白衣が目に入った。
「レイン?」
「……おや、キリオスじゃないか」
振り返ったレインの腕には、金属製の管や古い魔道具の部品が抱えられていた。
相変わらず眼鏡に白衣という格好だが、以前より目の下のクマが濃くなっている。頬も少しこけて見えた。
「お前、ちゃんと寝ているのか?」
「ふふっ。開口一番それかい? 君もずいぶん世話焼きになったものだね」
「顔色が悪いからな。研究は忙しいのか?」
「少しね。でも、もうすぐ終わるはずなんだ。あと少し、ほんの少しだけ……」
レインはそう言って、抱えた部品を握り直した。普段の飄々とした口調とは違い、声に余裕がない。
ゲームの第一章で起きる事件が、頭をよぎった。
俺は、その結末を知っている。レインが何をしようとして、どうなってしまうのかも。だが、ゲームで選べたのは彼女を倒して先へ進む道だけだった。
目の前にいるのは、元のキリオスと親しくしていた一人の少女だ。少なくとも今は、普通に話すことができる。
「レイン。今度、研究室に顔を出してもいいか?」
「もちろん歓迎するよ。ただ、今は少し立て込んでいてね。落ち着いたらこちらから声をかけよう」
「わかった。だが、あまり無茶はするなよ。手伝えることがあれば遠慮なく言ってくれ」
「……ふふっ。ありがとう、キリオス」
レインは笑ったが、その表情はどこか疲れていた。
第一章の終盤まで、そう時間は残されていないはずだ。ゲームと違う結果にするつもりなら、研究室からの連絡を待つだけではいけないだろう。
「それじゃあ、またね」
「あぁ。またな」
レインを見送ったあと、俺は棚の奥に小さな赤いガラス玉を見つけた。髪留めに付けるには、ちょうどいい大きさだ。
◇
「……お兄ちゃん。これ、なに?」
「ちょっとした飾りだよ。ほら、髪につけるやつだ」
夕方、食卓の上に小さな髪留めを置くと、クリスタが不思議そうに覗き込んだ。
金属を薄く削って花の形に整え、中央には古道具屋で買った赤いガラス玉を取り付けてある。
バルドに何度か助けてもらいながら、ようやく完成させたものだ。
花びらの大きさが少し不揃いなのは、初めての工作ということで勘弁してもらいたい。
「……私に?」
「あぁ。気に入るかどうかはわからないが、作ってみたんだ」
クリスタは髪留めを両手で受け取り、しばらく眺めていた。それから、俺のほうへ少しだけ頭を寄せる。
「……つけて」
「ん? あぁ、いいぞ」
銀色の髪をそっと持ち上げ、耳の上あたりに留めてやる。赤い飾りが髪の色によく映えて、なかなか可愛らしい。
「よし。似合ってるぞ」
「……ありがと」
クリスタは頬を赤くすると、指先で何度も髪留めに触れた。
うむ。どうやら気に入ってくれたらしい。端材から作ったものでも、これだけ喜んでもらえるなら十分だな。
「さて、晩飯にしようか。今日は少し違う料理を作ってみたんだ」
「……なに?」
「見てのお楽しみだ」
◇
「……犬?」
「おぉ! よくわかったな!」
クリスタの前に置いた皿には、卵で包んだご飯。その上にケチャップで犬の顔を描いてある。
名付けて、犬のオムライスだ。
もちろん、元の世界では珍しい料理でも何でもない。だが、こちらの卵と米に似た穀物を使い、調味料を工夫しながら再現するとなると、なかなか手間がかかった。
しかも、バルドに教わった火加減のおかげで、卵は随分と上手く焼けたと思う。
「……これ、食べるの?」
「あぁ。全部食べられるぞ。目も鼻も、ケチャップで描いたものだからな」
「……犬、いなくなる」
クリスタはスプーンを持ったまま、しばらく皿を見つめていた。
……おや? もしかして、食べるのがもったいないのか?
「じゃあ、次は猫でも描いてやろうか。何なら別の日にも犬を作ってやるぞ」
「……犬がいい」
「ははっ。わかった。今日のは冷めないうちに食べてくれ」
クリスタは意を決したようにスプーンを入れ、卵とご飯を一口運んだ。しばらく噛んでから、顔を上げる。
「……おいしい」
「そうか。それはよかった」
「……すごく、おいしい」
普段から口数の少ない妹が、わざわざ二度も褒めてくれるとは。食堂で料理を習ってきた甲斐があったというものだ。
クリスタは髪留めを気にして時折触りながら、少しずつオムライスを食べ進めていく。
犬の顔が崩れるのは残念そうだったが、食欲のほうが勝ったらしい。
「……お兄ちゃん」
「なんだ?」
「……また、作って」
「あぁ。もちろん。次はもっと上手に犬の顔を描いてやるよ」
「……うん」
嬉しそうに微笑むクリスタを見ていると、こういう時間も大切にしたくなる。
災厄竜のことも、レインの研究のことも、考えなければならない問題は山ほどある。
だからといって、毎日の食事まで暗い顔で済ませる必要はないだろう。
今日はもう少し、妹との夕食を楽しむとしよう。




