第11話 死体が、動いてる
「……お兄ちゃん。今日は、お仕事?」
「いや、鍋底亭は休みだ。放課後、少し付き合ってくれないか?」
「……どこ?」
「錬金部の研究棟だ。レインに会っておきたいんだよ」
クリスタが露骨に眉をひそめた。どうやら、頬を舐められた件はまだ忘れていないらしい。
「……あの人、嫌」
「ははっ。気持ちはわかるよ。でも、今日はどうしても確認しておきたいことがあるんだ。妙なことをされたら俺が止めるからさ」
「……お兄ちゃんが、一緒なら」
渋々ながら頷いてくれた妹に礼を言い、俺は朝食の皿を片付けた。
昨日、古道具屋で会ったレインの顔が頭から離れない。以前から目の下にクマを作っている奴だったが、あの疲れ方は尋常じゃなかった。
しかも、研究の話になった途端、何かに追い立てられているような様子を見せていた。
心当たりはある。第一章のボスイベントだ。
『マケドニアの聖騎士』では、夏休みを迎える前に必ず発生する事件がある。
亡くなった親友を蘇らせようとしたレインが禁じられた錬金術に手を出し、大量の死体を傀儡として動かしてしまうのだ。
ケビンたちは研究棟へ突入し、暴走したレインと戦う。そして、彼女を倒すことで第一章が終了する。
何度やり直しても、ここだけは変わらなかった。俺だって、レインを助ける選択肢がないか散々調べた。
研究資料を集め、好感度を上げ、別の仲間を連れていくことも試したが、結局は彼女を倒すしかなかった。
ゲームの中では、それも攻略の一部だった。
だが、昨日会ったレインは、俺の顔を見て笑っていた。元のキリオスが一年生の頃から付き合ってきた友人で、今の俺にとっても、顔を合わせれば気軽に話せる相手だ。
あいつが死ぬことまで、攻略手順として割り切れるのだろうか。
……いや。そんなことを考えるより先に、まずは会って話をしよう。まだ事件が始まっていないなら、何かできることがあるかもしれない。
◇
放課後、俺たちは錬金部の研究棟を訪れた。
普段なら学生が行き交う建物なのだが、今日は妙に静かだ。上級生の一部は学外遠征に出ているとはいえ、廊下に人影が少なすぎる。
奥へ続く扉には『関係者以外立入禁止』と書かれた札が掛かっていた。
「ちょっと! そこ、勝手に入らないでよ!」
背後から声が飛んできた。振り返ると、白衣姿の小柄な少女が、赤いツインテールを揺らしながら駆けてくる。
ペロス・フェリー。一年錬金部の首席だ。ゲームでも錬金術関係のイベントでよく顔を合わせたが、実物は思った以上に騒がしいな。
「レインに用事があるんだ。研究室にいるか?」
「レイン先輩? あんた、キリオス先輩じゃん! 先輩と仲良しだって話、本当だったんだ!」
「あぁ。それで、会えるのか?」
「無理無理。あたしだって、昨日から一回も中に入れてもらってないんだから。差し入れを持っていっても返事なし! キャハハっ、研究に夢中になるといつもこうなんだよね!」
昨日から……か。
原作で事件が発生するのはもう少し先だったはずだ。だが、研究が進む早さまでゲームと一致する保証はない。
先に進めば進むほど、俺の知っている日時が当てにならなくなる可能性もある。
「研究室は奥の実験区画だな?」
「そうだけど、鍵が掛かってるよ。無理に入ったらレイン先輩、怒ると思うなー」
そう言い終えるより早く、廊下の奥で鈍い音が響いた。
——ドンッ!
続いて、金属が床を転がる音と、陶器の割れる音。わずかに足元が揺れ、鼻を刺す薬品の匂いが流れ込んでくる。
「……お兄ちゃん」
「あぁ。何か起きたみたいだな」
まさか、もう始まったのか?
「ペロス、教師を呼んできてくれ。研究室で事故が起きているかもしれない」
「えっ? でも、あたしもレイン先輩が……」
「だからこそ頼む。人手が必要になる」
ペロスは真顔になると、勢いよく走り出した。俺たちも実験区画へ向かう。
◇
扉の前には、すでに数人の学生が集まっていた。
「キリオス先輩!?」
声をかけてきたのはケビンだった。隣にはミレーユもいる。どうやら近くで講義を受けていたらしく、二人とも教科書を抱えたままだ。
「ケビン。中で何があった?」
「大きな音がしたんです。それで、誰かが助けてって叫んで……。でも、鍵が掛かっていて開かないんです」
「教師には知らせたか?」
「はい。でも、まだ来ていなくて」
扉の向こうから、何かを引きずるような音がする。
——ガンッ!
激しい衝撃で扉が揺れ、蝶番の周りに亀裂が入った。学生たちが一斉に後ずさる。
「みんな離れろ! 何かが出てくる!」
——バキッ!
木片を撒き散らしながら扉が破れ、隙間から灰色の腕が突き出した。
姿を現したのは白衣を着た人間だった。だが、首は不自然な方向に傾き、土気色の肌には生気がない。
胸元に残された縫合痕からは、黒ずんだ液体が滲んでいる。
足を引きずって歩くその姿を見れば、誰だって普通の人間だとは思わないだろう。
「……死体が、動いてる」
ケビンの呟きに、ミレーユが小さな悲鳴を上げた。
間違いない。レインが作り出した傀儡だ。ゲームでは何度となく倒してきた敵だが、こうして人間の姿で迫られると、さすがに気味が悪い。
「ケビン! 盾で押し返せ! ミレーユは足を狙うんだ!」
「は、はい!」
ケビンが盾を構えて飛び出し、傀儡を押し戻した。ミレーユの放った水弾が膝に命中し、片脚が折れる。
だが、床に倒れた傀儡は、腕を突いてなおも進もうとしていた。
「ひっ! 何なのよ、こいつ!」
「普通の人間とは違う! 動きを止めても安心するな。近づかないようにしてくれ!」
ゲームでは動力となる部分を破壊すれば倒せたはずだが、傀儡の型によって位置が違う。今は見分けるより先に、他の学生を逃がす必要がある。
しかも、扉の奥から聞こえる足音が増えている。何体いるのかもわからない。
◇
「ガハハハ! 何だ何だ、騒がしいじゃねえか!」
廊下の向こうから、聞き覚えのある大声が響いた。
ゴードンだ。大剣を背負った巨体の後ろには、マハロとザンザもいる。騒ぎを聞きつけて駆けつけたらしい。
「ゴードン、いいところに来た! 扉から出てくる奴を押さえてくれ。ただし、そいつらは痛みを感じない。倒したと思っても近づくなよ!」
「おう、わかった! ……って、おいおい! こいつ、本当に死んでるんじゃねえか!?」
ゴードンが大剣を構えながら、明らかに顔を引きつらせた。
……そういえば、こいつは幽霊の類いが苦手だったな。物理攻撃が効く相手だからまだいいが、こんな状況で戦わせて大丈夫だろうか。
「ははーん♪ だったら僕の出番だね! グリズリーマグナム!」
マハロの呼びかけに応じ、巨大な熊が召喚された。熊は低く唸りながら廊下を塞ぎ、迫ってきた傀儡を太い前脚で押さえ込む。
「ザンザ! 後ろの人たち、外まで連れていってあげて!」
「あ、あの……わ、わかった!」
小柄な少年が頷き、学生たちを誘導し始めた。臆病そうに見えるが、指示を出せばきちんと動けるらしい。
これで、ひとまず入口は守れる。問題は、奥の研究室だ。
原作の第一章は、研究棟に現れた傀儡を倒しながら進み、最後にレイン本人と戦う構成だった。
攻略を熟知した俺なら、危険な通路や敵の配置をある程度予測できる。
しかし、最深部で待っているレインを倒さなければ、第一章は終わらない。
何度も確認した、変更できないはずの結末だ。
ケビンの剣が、床を這う傀儡を押さえ込んだ。戦闘の音が響く中、俺は昨日のレインの顔を思い出していた。
疲れ切った顔で、それでも「あと少しなんだ」と笑っていた少女。ゲームでは倒すべきボスの一人だったのに、今は俺を友人として扱ってくれる人間だ。
……あいつを、殺すのか?
それが第一章の攻略条件だと、誰よりもよく知っている。だが、知っていることと、実際にできることは別だ。
今まで何百回と画面越しに倒してきた相手を、自分の目で見て、自分の意思で殺すことになる。
いや、それ以前に、レインが元に戻る方法は本当に存在しないのだろうか。
……少なくとも、ゲームの中では見つけられなかった。
だが、ここには選択肢の表示されない会話も、ゲームでは操作できなかった行動もある。
それがレインを救う可能性につながるかどうかは、わからない。
「キリオス先輩!」
ケビンが振り返った。
「どうすればいいですか!? このまま先生たちを待ちますか?」
廊下には新たな傀儡が姿を現し、ゴードンとグリズリーマグナムが必死に押し返している。
教師が来るまで待っていれば、被害がどこまで広がるかわからない。
「まず、他の学生を全員外へ出そう。ゴードンとマハロは入口を守ってくれ。ケビンとミレーユには、俺と一緒に奥まで来てもらいたい」
「わかりました!」
「……お兄ちゃん」
クリスタが俺の袖を掴んだ。
「……レインを、助けるの?」
俺はすぐに答えられなかった。
助けたい。できることなら、あいつを死なせたくない。しかし、何をすれば救えるのか、五年間の攻略でも答えは見つからなかった。
「……まずは会いに行こう。話ができる状態かもしれないからな」
「……うん」
クリスタが頷く。俺は壊れた扉の向こうへ視線を向けた。
何百回と攻略してきた第一章。その最後に待つ相手を、俺はよく知っている。
知っているからこそ、今度ばかりは足が重かった。




