50 神様、生まれ変わるなら
詠唱を開始したデュオを待っていたのは、途方も無い絶望感だった。
身も心も疲れ果てた状態で、序句を唱えたはいいが、その先を唱える気力がもう残されていなかった。
ラスタバンの表情も精一杯だ。ファラの炎に耐えるほどの結界は、そう長くは続かない。まして二度目ならばなおさらだ。
そしてとうとう、ラスタバンの集中力が折れた。
「おじいちゃん!」
崩れ落ちる意識の中、デュオが叫ぶ。ラスタバンの張られた結界はその姿を消し、炎がラスタバンに迫る。そしてデュオは目をつぶった。
だが予期していた痛みはいつまでたってもこない。
恐る恐る目を開けると、目の前に並んでいたのは……魔法庁の魔術師たちだった。
いつのまにかラスタバンの前でずらりと並んだ魔術師たちが、一斉に結界を張っている。ファラの炎はそこで勢いを止めていた。
呆然とするラスタバンとデュオの前で、結界を張る魔術師の一人――ダナン・オーウェンが叫ぶ。
「革新派も保守派も、そんなことはどうでもいい! 総員! 全力を持ってデュオを、デュオを守れーっ!!」
おおっと威勢のよい声を上がった。
震えが止まらなかった。
ファラが唸り声を上げる。
見てるか、ファラ。
これが人間だ。人間の力だ。
倒れそうな体を押して、デュオが詠唱を続けた。
集中力を込め、丁寧に言葉をつむぎだす。
「揺らぐ灯火は淡く強く 子らはその恩恵にあずかり」
駄目だ、続かない……!
気力はもうすでに限界に達していた。
みんなががんばっているのに、不甲斐無さだけが頭を埋め尽くす。
目を閉じて、流れる涙をせき止めた。
こんな時、両隣にいつもいてくれた。
萎えそうになる自分を、いつも励ましてくれた。
独りじゃ駄目みたいだ。
いてほしい。
そばに、いてほしい。
ぼろぼろに泣きながら、記憶の隅に残る二人のことを、デュオは心から必要とした。
……そして、奇跡はいつも、絶望のあとに。
☆ ☆ ☆
「デュオ」
世界中が真っ白い光に包まれた中で、不意に背後から聞き覚えのある声をかけられて、デュオは反射的にそちらを振り返った。
肩に手を乗せて、彼は言った。
「辛かったろ。最後まで、ちゃんと、いてやるから。支えててやるから。気合、振り絞れ」
何を考えるわけでもなく、ただ涙だけが自分の頬を伝った。
はっきり頷く。
と、もう片方の肩にも、優しく手が置かれた。
「あんたに何もかも押し付けるなんて、できっこないわ。スリースターズの底力ってもんを、見せてやりましょ」
少女が笑う。
デュオもつられて、笑った。
「史上初、三人分の命だ。くれてやるよ、ファラ」
「さあ、いくわよデュオ!!」
「うん!」
はっきり頷き、デュオがファラを見据える。
「這い寄る混沌は光輝に照らされ 永遠の果てにその終を見る」
赤竜はその目にとうとう恐怖の色を宿らせ、全力を持って炎をぶつけてきた。だが束になった魔術師団が張った結界に、いともたやすく吸収されてゆく。
「命 その姿槍に変え 貫くは守るべき者の為」
突如、赤竜の体に衝撃が走った。
事情を知った魔術師団の、集団詠唱によって生み出された大きな氷塊が、標的を捉えたのだ。
強烈な一撃に、一瞬ではあるがファラの攻撃が止む。
「守るならば全て 救うならば永久に」
その言葉を皮切りに、三人を包む光が、黄金の色に変わった。
どこかで見かけたその色は、まさしくディースを包む夕焼けの色と同じであった。
やがて光は三人の元へと徐々に収束する。
そしてデュオが、結句を唱えた。
「悠久の鍵――スペルオブディース」
目の前の魔術師団が避難する。
失われた結界に阻害されることがなくなった青い炎が、三人を目指して襲ってきたが、発せられた巨大な黄金の光のうねりによって消滅していった。
うねりはゆっくりとファラに近づき、やがてその巨大な体を黄金の光が包み込んだ。
悲鳴にも似た咆哮をあげるファラ。
薄れゆく意識の中で、デュオの目は、ファラの体が端から砂粒のように分解し、光の中に消えてゆくのを捉えていた。
☆ ☆ ☆
目を覚ますと、透き通るような青色をした空が、真っ先に視界に飛び込んできた。
「デュオ!!」
すぐ上から、マリーの声が聞こえて、ああそうか、自分は今マリーの膝の上で寝ているんだな幸せとかデュオは思ったのだが、起き上がろうと体を動かそうとしても動かない。そこで気がついたのは、ああ、もう自分はそう長くないな、という漠然とした予感だった。
「デュオ……よかった、目が覚めて」
「奇跡だよ、マリー」
うつろな目で、デュオが言った。
「死ぬ前にもう一度、神様が時間を与えてくれたんだ」
穏やかな声だった。
「デュオ!」
悲しそうな表情で、隣にいたコートが叫ぶ。
動かせる範囲で首を動かし、周りを横目で見回すと、ラスタバンもバルムスも、ダナンもライネルも、そして自警団や騎士、魔術師でさえも、デュオの周りを取り囲んでいた。
にもかかわらず、あたりは不思議なほど、静寂に包まれていた。
「ねえ、マリー、コート」
デュオがつぶやく。
「僕はね、『複製体』として生まれて、この運命を激しく呪ったんだ」
生まれたことの意義を、押し付けられて。魔法が使えないことで悩んだのも、友達ができないで悩んだのも全部、嘘の現実だった。
「何言ってるのよ! あなたはその手で数え切れないほどの命を救ったわ。そしてそれで終わりなんてことはない。これからもデュオ・ネーブルファインとして生きるの。生きて、それで、私たちと一緒に……世界を見て回って……冒険してっ……」
デュオの額にぽたりと、しずくが落ちた。
ああ僕は幸せだと、デュオはささやかながらそう思った。
運命は、残酷だな。
結末はやっぱり、こんなのだった。
デュオ・ネーブルファイン、か。
「だけどもし……生まれ変わるなら」
目を閉じて、夢見るような声がつぶやく。
「やっぱり、デュオ・ネーブルファインがいいな……」
ねえ、マリー。僕もう一度、デュオをやりたいと思うんだ。
『複製体』でもかまわない。
『定めの子』でもかまわない。
君たち二人にまた会えるなら。
君たち二人と同じ時を過ごせるのなら。
涙が、溢れてきた。
あの日見た、夕陽の色。
丘を撫でるそよ風。
忘れないよ。
忘れない。
「……ありがとう」
静かに微笑む。閉じられた目から、涙の雫が頬を伝う。
そして言葉が、途絶えた。
「デュオ……?」
マリーが呆然とつぶやく。
「デュオ……!」
泣き叫ぶ少女に続くように、隣にいた少年も嗚咽を漏らした。
周囲が静に三人を見守る中、王都で一番長い夜は、その終わりを迎えた。




