48 奇跡まで、あと何歩
目の前に広がるのは、上も下も無い、ただ白いだけの空間だった。
その中をまるで行く当ても無い流木のように、一人の少年が漂っていた。
仰向けになって全身を投げ出し、その瞳はぼんやりと宙へ向けられている。
何をするわけでもないその少年の横に、もう一人、別の少年がいつのまにか立っていた。
「どうしたんだい、浮かない顔だね」
馴れ馴れしい口調で、立っているほうの少年が話しかけた。長く青い髪を後ろでまとめ、眼鏡をかけた愛嬌のある顔立ち。年齢は10代前半といったところか。
漂っている方とまったく同じ背格好をしていた。
「……」
漂っている方が、わずかにその顔を横に傾けた。
「役割を果たしたんだ」
誰にも聞こえないほどの声で、そっとつぶやいた。
「役割?」
きょとんとした顔を向けたのは、立っているほう。
「運命」
うつろな表情を向けて、答えた。
「みんなを救う、運命。僕だけが持っている、僕だけの運命。今日それが終わった」
そういって、またうろんげな視線を宙に送った。
立っているほうの少年が「へぇ運命」と何の関心もない投げやりな口調で答えた。
突然、白い空間の向こう側から、低いうなり声が聞こえた。ような気がした。
その音に、うつろな目が少しだけ、揺らいだ。
今のは……?
問いただす前に、もう一人の自分が、言った。
「あれを見てごらんよ」
少年が指をさした方向を、見る。
その遠く先に、泣きそうな表情で走り回っている、少女の姿が映った。
額一杯に汗を浮かべて、時々走る足を休め息をついては、天を仰いで何者かの名前を叫んでいる。
そしてまた走り出す。
誰だろう。
どうしてあれだけ真剣な表情をして、一体何を探して……?
「あっちにもいる」
また別の方向を示す少年。
今度は金髪の青年が、先ほどの少女と同じようにそこらじゅうを駆けずり回っていた。
走っている表情は真剣そのものなのだが、残念ながらあまり前に進んでいない。
やはり立ち止まっては、何事かを目一杯叫んでいる。
「誰、あれ……?」
漂いながら、つぶやく。
空間内を、また咆哮が轟く。
これは一体……?
「まだ、終わってないよ」
「何が?」
「忘れたのかい? 君の『役割』とやらさ……あるとするならの話だけど、ね」
「『役割』……?」
「あの二人のことは?」
「わからない」
そっか、とつぶやいて、もう一人の自分がため息をついた。
漂う自分をじっと見て、まるで謎かけをするかのように明るい口調で言う。
「魔法を使えない君と一緒に戦ったのは誰?」
魔法を使えない僕と一緒に戦ったのは誰?
一体何を言い出すのだろう。
「洞窟で……初めての冒険でさ、必死になって君のことを守ろうとしたのは、誰?」
必死になって守ろうとしたのは誰?
洞窟……。守ろうとした……。
走っている二人。
また誰かの名前を叫んでる。
「毎晩一緒に訓練して、試合で皆で力を合わせて戦ったよね。そのとき君の両隣にいたのは誰? いつも君を励ましてくれたのは誰?」
両隣にいたのは誰?
いつも僕を励ましてくれたのは誰?
「つらいときにはお互いを支えあうって約束をかわしたのは、誰?」
涙が、止まらなかった。
覚えてるさ。
覚えてるとも。
三人がお互いを、補い合う。
三人がお互いを、支え合う。
それが、スリースターズなんだよ。そうだよね。
僕の、大切な、かけがえの無い人。
「マリー!! コート!!」
泣きながら、震える声で、力いっぱいその名を叫んだ。
体はいつの間にか直立で立っていて、走る気力も復活している。
涙をぬぐって、言う。
「ごめん、もう僕行かなきゃ」
しかし振り向いた先にいたのは、先ほどの自分の姿を若干小さくしたような、男の子の姿だった。
髪の毛は短かったし、眼鏡などはかけていた痕跡すら見いだせない。
顔立ちも幼さがいっそう強調されていたようだが、デュオにはそれが誰だったか、すぐにわかった。
「人間に、生きる役割なんて、どこにもないよ」
男の子がデュオを見上げながら、微笑む。
「でも、あるとすれば……もし、あるとすれば」
そう言って、男の子は、なおも走り続けている二人の姿を見やる。
「あの二人のためにも。……こんなところで死ぬなんてのは、無しだよ?」
「アルフィム王子……」
「僕の分まで、生きて」
そう言葉を託され、まばゆい光がデュオを包んだ。
☆ ☆ ☆
「デュオ!」
耳に覚えのあるしわがれた声が響く。
目を覚まし、ファラがまだ倒されていないということに気づくまで、そう時間はかからなかった。
体を起こし、あたりを見回す。
祭壇にファラの姿はなかった。それだけではない、コートもマリーも、革新派の二人もその場にいない。
「ファラは? 僕、どれくらい気絶してた? ほかの皆は?」
言いながら威勢良く立ち上がったが、体に力が入らず、がくりと膝をついてしまった。
疲労などという生易しいものではなかった。全身が動かない。言うことを利かない。
かろうじて生きている、そんな感じだった。
倒れかけたデュオを支えながら、ラスタバンが苦渋の表情で言った。
「お前が気絶してたのは、ほんの一分くらいじゃ。……やはりお前の体では、術が不完全だったのかも知れん……ファラはその体に傷を負ったが、致命傷とは言いがたい。そして……」
上を見上げるラスタバン。
祭壇には、天井がなかった。いや、祭壇だけではない。
その上の闘技場も、天井を突き破られている。
そしてはるか上空を、何かが浮遊していた。あまりに巨大なそれは、ひと目で何であるかがわかる。
竜の形をした邪神、ファラだった。
「祭壇を突き破って、上へ行った。ダナンとバルムス、そしてライオネルがたった今ファラを追いに出発したところじゃ。祭壇が崩壊し、神殿自体も大変危険な状態にある。そこでマリー嬢とコート君は、無理を言ってわしが避難させた。ちょうどこの上の闘技場の中では、これ以上ファラが移動するのを、騎士庁と魔法庁が総出でなんとか防いでいる」
「……時間がない。僕、もう一度『鍵の呪文』唱える」
気力は十分だが、もはやその目は半分しか開いてない。自力で立つことすらままならない。そんなデュオをラスタバンはつらそうに見つめた。
「デュオ……すまない。お前にだけこんなつらい思いをさせようとは」
「それは言わない約束だよ、おじいちゃん。とにかく……ファラをどうにかできるのは、僕しかいないんだ。僕がいなきゃ、皆死んじゃう」
ラスタバンの肩にもたれたままの、うなだれたような格好で、デュオが言った。
「……わしも老いた。集中力もいつまで持つか、わからんが……やってみるしか手はないか」
こくり、とデュオがうなずいた。そして、笑う。
「偽翔の双対――フェアリーフェザー」
ラスタバンが二人が履いている靴に向けて詠唱をする。
「ゆくぞ、デュオ」
そして、人形のようにがくりと体を垂らしたデュオを背負って、ラスタバンは力を振り絞ると、大きく跳躍した。




