47 決別の呪文
口を大きく開けた赤竜が出してきたものは、決して挨拶の言葉などではなく、赤やオレンジを通り越して闇のように青い色に染まった高熱の炎だった。
祭壇から吐き出されたその炎は祭壇前の大部屋にやすやすと入り込み、そのままデュオたちを舐め回そうと激しく揺らいだが、その場にいた全員によって張られた集団結界の力もあり、その勢いはほとんど打ち消されていた。
だがいつまでも結界が保てるわけではない、というこちらの心境を知ってか知らずか、ファラの炎はとどまることを知らずなおも吹き付けてきている。
「『パラケルスス』準備できました、いつでも撃てます!」
大部屋のどこからか、魔術師が叫んだ。
「その兵器はどこにあるの?」
結界を張りながら、必死の表情でデュオが問う。
「こちら側の部屋の見えない部分をくりぬいて、祭壇側に砲身が向かうように設置されておる。当然、祭壇からは壁で見えない。打ってからその存在が明らかになる仕組みじゃ」
ラスタバンが言い終わるか終わらないかのうちに、ダナンが声を上げた。
「よし! 『パラケルスス』、撃てーっ!!」
一瞬の沈黙の後、耳をつんざくような破壊音と、ファラの炎とは全く対照的な目のくらむほどの光が世界を包んだ。
その場にいた者全員が立ちすくむ。
轟音に反響して、神殿自体が激しく揺れ動いた。
ファラの炎とはうってかわって、今度は真っ白な砂誇りが祭壇を通してこちらのほうへ吹きつけている。
結界を閉じずに、デュオは様子を伺う。
「……やったか!?」
ダナンが喜びの声を上げる。
祭壇の中は煙のせいで全く視界が奪われていた。
徐々に晴れてゆく煙。
だが、そこで姿を現したのは、
「馬鹿な」
高圧のエネルギーに黒く焦げた祭壇中の壁と、その中で何事もなかったかのようにたたずむ赤竜だった。
そんなものかといわんばかりに首をかしげるファラ。
「そんな……くそっ、総員、祭壇前まで退」
ダナンが言い終わらないうちに、壁に埋め込まれた砲身むき出しの巨大兵器の元に、青い炎がほんの一瞬だけ放たれる。
兵器を操作していて逃げ遅れた魔術師たちの悲鳴が、ぞっとするほど静かな祭壇内に響き渡った。
「……どうして……」
哀れな男に言葉をかける者は、もはや誰もいなかった。
ラスタバンが叫ぶ。
「しっかりしろ! 一旦大部屋に戻り、扉を閉めて作戦を練ることにする! さあ、ついてこい!」
「扉を閉める?」
「そうじゃ。あの巨大な扉それ自体が、すでに強力な結界になっておる。ファラの吐息もしばらくは防げるだろう、さあ、早く!!」
デュオをはじめとする三人が、それに従った。
扉を閉めて(幸いなことにファラの吐息を受けることはなかった。うしろで何かいろいろ焦げているにおいがしたが)、ラスタバンはまず懐から一枚の古びた紙を取り出した。
デュオはそれが一体何なのか、どことなく予感はついていた。
「デュオ、これが『鍵の呪文』の詠唱式じゃ」
黙って頷き、古文書を受け取った。
その光景を呆然と見詰めるダナン。ライオネルもライオネルで、もはやデュオが『鍵の呪文』を唱えることに異論はないようだった。
隣の部屋にはこの世を燃やし尽くしてしまうような邪神がいるというのに、この場は神聖なほどの静寂に満ちている。
時々、祭殿への扉ががたがたと震える。
ファラの炎を防いでいるとはいえ、それも、そろそろ限界のようだった。
ラスタバンが口を開いた。
「呪文を詠唱している間は、高圧の魔力場がお前を包み、誰も近寄れないようになっている。じゃがファラの吐息を防ぐような結界の役割を果たすほど、その魔力場は強力ではない。したがって、わしが途中まで結界を張り、デュオの詠唱の完了とともに撤退する。お前はそのまま詠唱を発動させる。それが一番有用な手段だと思う」
デュオがうなずく。
そして、手にした古文書を……意外なほど軽く、少し薄汚くて、この中にデュオの生きる価値がすべてつまっていたと思うのは少々腹立たしかったが……握り締めると、皆のほうを振り向き、言った。
「デュオ・ネーブルファイン、行ってきます」
だがその言葉につながるように、これが響いた。
「デュオ!」
部屋の中を走ってきたのは、マリーとコートだった。
驚いたような表情を浮かべるデュオ。
二人とも満身創意で、体中に傷をつくっていた。神殿に来るまでに、モンスターとの格闘が幾多もあったことを如実に物語っている。
よほど急いできたのか、はあはあと息をつく。やがて呼吸が整ったのだろう、マリーが口を開いた。
「デュオの運命を変えることは、私にはできない」
続ける。
「でも、三人で過ごした、あの日は本物だった。本当の現実の中で、私たちは友達だった。だからせめて、親友として、最後までいさせて」
コートがそれに続いた。
「水臭えよ、デュオ。危険だろうがなんだろうが、俺たちが黙って見てるとでも思ったか? 親友だろ……俺たち」
その目に涙を浮かべ、顔さえ歪めて、デュオが答えた。
「もう……もう会えないかと思ってたんだ」
泣きじゃくりながら、親友の元へと飛び込む。
支えるマリー。
二人を覆うように、コートが手を回した。
「デュオ……死んだら駄目」
無理だとわかっていながらも、マリーが懇願する。
顔を引き離して、デュオが首を縦にふった。
涙で塗れた頬をぬぐい、微笑みながら言う。
「生きて帰ってくるから」
あの日見た、丘からの景色。
「運命になんか、負けないから」
洞窟での、どきどきするような冒険。
「絶対、冒険、しようね」
力を合わせて、お互いを励ましあった日々。
「忘れないよ」
忘れない。
絶対に、忘れない。
そして最後に、デュオはダナンの方を向いた。
口を開く。
「確かに、『魔海』の存在は、大きなパワーを秘めています」
デュオは言った。
「それを封印してしまうのは、人間全体の進歩を阻害することなのかもしれない。……いや、現にそうだと思います。……戦争はこれからも続くでしょう。民衆の生活は今までと変わらないでしょう」
ダナン・オーウェン。戦争をなくし、人類全体の幸福のために、『魔海』の価値を見出した男。
デュオ・ネーブルファイン。それを『封印』するために生まれた子供。
デュオが、ラスタバンを見た。バルムスを見た。そして、マリーとコートを、見た。
最後にもう一度ダナンに視線を戻すと、はっきりとした声で、言った。
「それでも僕は、今、目の前にいる人たちを、守りたいと思います」
かけがえのない親友を。
必死になって自分を守ってきた大人たちを。
うなずいて、デュオが祭壇の方向を向いた。
ラスタバンが、デュオの前に立ちはだかる。
「デュオ。……ありがとう」
言って、呪文を詠唱する。次の瞬間には大きな結界が、ラスタバンの前に現れていた。
扉が激しく揺れ動いた。
後方ではバルムスが結界を張り、ファラの炎から全員を守る用意をしている。
それを見たデュオが安心して、一呼吸おく。
そして言った。
「燃ゆる命 神より与えられし力持て 我ここに解き放たん」
どの詠唱式にも属さない独特の詠唱が響き渡る。
と、祭壇の扉が突然砕け散り、中から目に焼きつくほどの青い炎が吹き荒れ、その場を支配する。
ラスタバンによって張られた結界がその効果を果たし、デュオの元に炎の影響はまったくといってよいほど及ばなかった。
結界を弾かれた炎はマリーやコートたちのいる方向へとその勢いをあげていたが、バルムスの結界がその進行を許していない。
「揺らぐ灯火は淡く強く 子らはその恩恵にあずかり」
目の前のバルムスの額に、汗が浮かんでいるのが確認できた。
相当の負荷がかかるに違いない。失敗は許されなかった。
「這い寄る混沌は光輝に照らされ 永遠の果てにその終を見る」
目を閉じたデュオの顔に、二人の顔が浮かんだ。
マリー・ソルブレイド。
コート・ホイットニー。
死ぬときは、二人の顔を思い浮かべながら死のうと、そう心に誓っていた。
「命 その姿槍に変え 貫くは守るべき者の為」
次の瞬間、デュオの周りをまばゆい光が包んだ。
その場にいる全員が目をくらますほどの光の中、デュオの視界では祭壇の奥にたたずむファラの姿がはっきりと映る。
こちらをにらみ、ファラはしかし臆することなく破滅の吐息を吐き続ける。
お前ごときに、何ができる。
『複製体』のお前ごときに。
不完全な生たるお前ごときに。
心の中でデュオは叫んだ。ファラは言葉を話したりなどしない。自分の力を疑ってはいけない。どうしたデュオ・ネーブルファイン。そんなことでは集中力が切れてしまう。
どこからとも無く、しかし声は確実にデュオの頭の中に響いてきている。
汗を浮かべるデュオ。
目を細めるファラ。
真っ白な空間の中、互いをにらみ合う二人。
「守るならば全て 救うならば永久に」
なんとか詠唱式をひねり出す。
デュオの周りを取り巻く光は、確かに収束をはじめ、前方に掲げた手に集まってきた。
あとは結句を言うのみだ。
前はファラ以外に何も見えないが、どこで結句が言われるかを知っているラスタバンは、すでに避難を済ませているはずだ。
今まで感じたことも無いほど強力な、ややもすると爆発してしまいそうな力を、なんとかデュオは集中力だけで制御する。
『鍵の呪文』。その結句を言うときが、来た。
ファラを目の前に、デュオがその口を開いた。
終わりにしよう、ファラ。
僕も、お前も。
「悠久の鍵――スペルオブディース」
そして光が、デュオの手から解き放たれた。




