全知全能と終わりなき者
己の存在の根幹、術式により作り上げられた頭脳とも呼べる場所が、魔力の撹拌によって揺らぐ。視界も、思考も揺れて、ふらつくディーは老人の突き出した杖の先に開いた魔法陣をただ見ることしか出来なかった。
「『烈火熱驟』」
赤い魔法陣。そこから凄まじい勢いで駆け抜けたのは、炎熱だった。雫の如き無数の炎は、ディーへと殺到してその体を溶かして無数の穴を開けていく。
「……!」
「ほう、なるほど?」
ドロドロと、溶けたディーはそのまま……地面に沈んで、落ちていく。土の中へと浸透し、姿を消した。そこで時間を稼ぎ、撹拌された状態から回復しようという……防衛本能的な、反射の反応だった。
「確かに、それは厄介ですな……並大抵の魔術士であれば、手も足も出ないでしょう」
しかし、老人は杖を土の中に僅かに突き刺して、魔力を流し込んだ。
「『蝋魔印』」
力を持った魔術が、液状となり土の中にどろりと流れ落ちていく。それは、土に混じった泥と更に混じり合って……瞬間、地面の中が爆発した。
魔術に侵されることを恐れたディーが、魔術によって自身の体ごと爆発させたのだ。
「ふむ、思ったよりも反応が速い。ゴーレムと侮っていたが、戦闘の心得が全くない訳でもないらしい」
考察し、呟く老人の前に……窪んだ地面から、泥が人の形を成して現れた。
「それに、強いな」
「当たり、前だ」
人の顔を取り戻し、ディーは泥の体から人の体へと肉体を変容させた。
「でなければ、悪は裁けない」
「では、私を裁けると……そういう訳ですか?」
その質問に答える代わりに、ディーは老人へと飛び込んでいった。その腕を刃に変えて、そして足元から泥の濁流を呼び起こしながら襲い掛かる。
「『浮遊』」
老人のその体が、ふわりと宙に浮き上がる。制御の難しいその高難易度魔術を、老人はしかし容易く操っていた。
「これで、泥も届きませんでしょう。勿論、貴方自身も」
余裕綽々の笑みを浮かべた老人に、ディーは言葉を発することも無く指先を向けた。
「『魔尖弾』」
「ッ」
小さな魔法陣から放たれたのは、魔力の錐体。単純な仕掛けのその魔術はしかし、効率的に効果を齎す。
「危うい……!」
浮遊の魔術。機動力の高いわけでないその魔術の影響下では、高速の錐体は回避不可。老人は仕方なく、杖を己の前へと振るって防いだ。杖の直撃地点に魔法陣が開き、バチリと魔力の火花を散らして魔法陣は崩れ去った。
「防げたが、これで……」
残り、四つだ。老人は内心で冷や汗をかきながら、呟いた。杖に仕込まれた防御術式、その起動は五回までしか叶わない。その一回を、ここで使ったのだ。
「『魔尖弾』」
「ッ!!」
構うことなく、二度目の弾丸を放ったディー。老人は焦りを抱きながらもしかし、一度見た魔術故に……対策も、既に用意していた。
「『歪空妙異』」
空間が、僅かに歪む。その一瞬の歪みに錐体は呑み込まれ、その向きを捻じ曲げられて明後日の方へと飛んでいった。
「空は愚策と、学ばせて頂きましたが……しかし」
浮遊の効果を今の内にと切って、地面に降り立つ老人。しかし、そこに殺到するのは泥の濁流だ。それから逃れるために飛んだのが空。結局、地上に降りるのならばこの対策を考える必要があった。
「こちらもこちらで、相当に厄介なようで!」
「良いから、呑まれろ。己の罪と、疾く向き合え」
老人はしかし、逆境に寧ろ笑みを浮かべて……魔力を籠めて大袈裟に杖を振り下ろした。
「巧妙に切り抜けるには、些か状況がタフ過ぎます故に……」
白く輝く魔力の刃が、泥の濁流を切り裂いていく。その刃の後ろ、泥の濁流が空いた隙間へと老人は飛び込んだ。
「かつての如く、やらせて頂きましょうか」
好戦的な笑みを浮かべ、老人は刃と共に突き進んでいく。その身には光が宿り、杖に仕込まれた刃にも魔力が灯っていた。
「そう簡単に、悪が……私から逃げられると、思うな」
「何をおっしゃる!」
遂に辿り着いた、敵の眼前。魔力の刃を腕の刃で打ち払ったディーに老人はその杖を思い切り振り下ろした。
「逃げるのは私では無く、貴方でございましょうにぃッ!!」
斬り裂いた。泥の体が真っ二つ。閃いた杖の先の刃は、その矮小さにも関わらず強大な敵を斬り裂いていた。魔力の撹拌、本来ならば魔法陣や魔術を掻き消す為に使われるその効果は、ディーの構造そのものに大きな影響を及ぼして……
「――――何を、言っている?」
崩れ落ちた、黒き泥。それを見下ろす老人の背後に、影が立っていた。
「逃げるのは、お前だ。いつだって、己の罪から逃げ出すのはお前達だと……そう、決まっているだろう」
「な、な……ッ」
確実に切り裂いた筈。偽物でも、幻影でも無い。確実に、斬ったのだ。魔術士としての、長いキャリアを持つ老人はそう分かっていた。驕りでも無く、事実であると確信している。
「何故、何故……!?」
故にこそ、意味が分からなかった。殺した筈の存在が、未だ眼前に立ち塞がっていることが。
「泥、だ」
「……は」
短く困惑の声を漏らした老人の、その目の前で……ディーの体が、二つに増えた。いや、それだけではない。泥の濁流が、姿を変えて無数の泥の人形……ディーと化していく。
「泥に、終わりはない。死など、無い。穢れはいくら祓おうと、人の闇より這い出て来るもの。故に、我に終わりはない。全ての罪を裁くその日まで、私は消えることは無い」
「そういう、こと……か」
目を見開いた老人。その目に映る無数の影を、漸く脳は理解した。
「自己複製、能力……ッ!」
目の前の存在は、魔術士ではなくゴーレムなのだ。人では無く、罰なのだ。




