全知全能と黒魔
空の果て、雲の間から開いた超巨大な黒い渦。そこから溢れ出す強大な気配に、僕は怖気が走るのを抑えきれなかった。
「行きます」
それでも、ルーシェさんは躊躇うことなく青い光の走る銀色の剣を携えてその黒い渦の方へと飛んでいった。
「――――ギャォオオオオオオオオオオオオオオオォッッッ!!!!!」
黒い渦から、超巨大な龍が顔を出した。黒い鱗に包まれ、内側から膨大な魔力が溢れ出す。細長い蛇のような胴体がするりと渦から抜け出した。
「あ、れは……」
化け物だ。勝てっこない。地球にあんな化け物が居たら、一瞬で国が二つ三つと滅んでしまうんじゃないか? だって、僕が地球で戦ってきた魔術士にこんなのは居なかった。こうまで剥き出しの暴力は無かった。自分が弱肉強食の弱者側だって思わされるような絶望的な気分は味わって来なかった。
「……ギャォオオッ!」
渦から出て辺りをぎょろりと見回した黒龍は、目の前に立つルーシェさんに向かって躊躇いも無くその黒金の爪を振り下ろした。
「はァッ!」
「ギャォッ!?」
ルーシェさんが銀の剣を振り上げると、黒金の爪は弾かれて黒龍は驚愕に目を剥いた。その瞬間には眼前まで迫っていたルーシェさんは剣を振り抜き、その目をビシャリと斬り裂いた。
「ギャォオオオオオオオオオオオッッ!!?」
片目を斬られ、潰された黒龍は全長数百メートルはあるその体を空で縦横無尽にうねらせながら飛び回り、そしてルーシェさんを睨み付けた。
「残念ながら、私の剣に付けられた傷はそう簡単には治りませんよ」
「ギャオォォォ……ッ!!」
言葉が通じているのか居ないのか、怒りを滲ませたような咆哮を上げた黒龍は、全身から強く魔力を滾らせるとルーシェさんに向かって一直線に飛んでいった。
「愚直に猛進すると言うならば……」
「ギャォオオオオオオオオオオッッ!!!」
黒龍がその図体に似合わぬ速度で迫る中……青い光が、空を走った。
「ギャ、ォ……?」
「その隙を、斬るだけです」
黒龍の喉元、青い光の線が走っている。その光の輝きが一際増した瞬間、ピシャリと龍の頭が落ちた。美しい程に滑らかな断面を晒し上げて。
「つ、つよぉ……?」
なんだあれ。え、アレが同じ人間なのか。全知全能でも無くてアレなんて、僕よりもよっぽどヤバいんじゃないのか。僕があんなに本能的な恐怖を抱いていた化け物を、殆ど一太刀で捻じ伏せてしまうなんて。
「……いや」
僕だって、やれた筈だ。炎の鎖を突き刺してやれば、僕だって理論上はあの黒龍を殺せたと思う。魔力に対する抵抗の凄そうな鱗だったけど、多分効果は通りそうだったし。
「ビビるな、僕」
怯えてちゃダメだ。僕が躊躇って、怖がって、足を竦ませたその間にあの人の腕が落ちるかも知れない、心臓が破られるかも知れない。だから、僕だってちゃんとやらないと駄目だろう。
「良し……」
見た所、あの黒い渦……ゲートはまだ閉じていない。その奥から溢れ出す気配も、消え去ってはいない。まだまだ、向こうは戦力を……
「……ぇ」
持っている、はずだ。それは分かっていた。でも、これは……流石に、これは流石にあんまりじゃないのか。
黒い渦が更に大きく広がったかと思えば、そこから顔を出したのは……二体の龍だった。黒い鱗を持つ龍が、二体飛び出してきたのだ。
「龍が、二匹……ですか」
ルーシェさんも眉を顰めて呟いた。それに応えるように、黒い渦の中からもう一つ影が現れる。
「――――そうともさ。黒鱗龍が二匹だ、それも倒せたら僕が相手をしてやっても良い」
少し小柄な人影。黒い渦から現れたのは、僕より少し小さい背丈をした少年だった。勿論、魔族である。捻じれ曲がった二本の角が天を突き、ひょろりと伸びる尻尾が揺れている。その背からは翼が生えていて、バサバサとはためくことでか彼を空中に留めていた。
「……何者ですか、貴方は」
ルーシェさんは警戒した様子で刃を向け、少年の魔族に問いかけた。
「二十魔将が一人、『黒魔』のバルティカー」
「二十魔将……」
『黒魔』のバルティカー。そう名乗った少年の姿の魔族を前に、ルーシェさんは難しい顔をした。
「キミらはあんまり知らないだろうけど、魔将議会ってのがあってね。そこで認められれば二十魔将に入れるのさ。六魔臣の下だから、ざっと数えて魔王軍でも上から三十番目くらいの実力者ってことになる」
「……ただの魔将とは違うのですか?」
「同じと言えば同じだけどね。元二十魔将でも魔将を名乗る恥知らずは沢山居るし、それに軍を率いてるだけで魔将だと思ってるバカも居る。そういうことさ」
二十魔将こそが、そもそも本当の意味での魔将ってことか。しかし、三十番目の実力者……僕には、正直言って横に従えられてる黒龍の方が恐ろしいように見える。
「……そう言えば、他の魔族は連れていないのですか?」
「別に居るには居るけどね。皆に襲わせたら流石にあっさり死んじゃうでしょ? だから、僕が先にちょろっと遊んでから好きにさせようと思ってね。ま、先走って死んでいったバカも居たんだけどさぁ」
最悪な知らせだ。この後ろにもまだまだ魔族は控えているということが、確定してしまった。いや、まだ本当かは分からないけれど。
「……なるほど。教えて頂いたことには感謝します」
「構わないよ。どうせ、この後に死ぬんだから……何を聞いたって意味は無いんだからね。そう、冥途の土産って奴だよ」
にやりと笑ったバルティカー。一瞬の静寂が訪れた後、二匹の黒龍の咆哮が空を引き裂いた。




