第11話
どこかの店の裏口、その付近に、二人の男女がいた。顔を手でかばうように隠した女に、怒り狂った男がまたがって暴力を振るっているのが見えた。すすり泣く女と、鼻息荒く罵る男。どう見ても婦女暴行であったし、そいつはそうだと信じて疑わなかった。
もちろん、見て見ぬ振りをすることもできた。もう少し様子を見て、状況を把握することに努めてもよかった。ただ、そいつはそうはしなかった。なんでだろうな。
良心の呵責……に近いかな。どうやって助けるとか、助けたらどうなるとか、そういうことは一切考えなかったらしい。いじめられてる姿が自分と重なっただとか、そういう気分も作用したのだろうか。
ともかく、そいつは走り出していた。
とりあえず男に抱きつくようにタックルして、女から引き剥がした。奇襲だったのもあってか、意外とうまくいった。
『逃げて』
ずいぶんまともに喋っていなくて、ガサガサのかすれた声だった。音量調節もヘタだったな今思えば。
『逃げて』
他に言葉が浮かばなかったらしい。暴れる男を押さえるのに必死で、頭も回っていない。自分が時間稼ぎをしている間に、女が逃げてくれればそれでいい。成功だと思いこんでいた。しかし振り返ると女は起き上がったはいいものの、ぺたんと腰をおろしており、呆然とこちらを見ていた。
どうして。
そいつはそう口にしようとした時、ぐっとなにかに腹を押された。しかしすぐにその感触は失せ、じわりじわりとそこから熱を感じた。
ぼんやりと下に目をやる。すると、否応なく汗がどっと吹き出た。それもそのはず。
自分の下腹部に、ナイフの柄が生えていたのだから。
探検にでも使うような、太いサバイバルナイフであろう。そいつはそう推測した。なぜ推測どまりなのかと言うと、刃の部分は自分の腹の中にすっぽりと入っていたからだ。
男が茫然自失のそいつを蹴り飛ばし、女に駆け寄った。
『なんだよこいつ!』
『知らないわよ!』
『は? お前のオトコじゃないのかよ!』
『知らないわよこんなやつ!』
『と、ともかく逃げるぞ』
『ちょ、ちょっと』
走り去る男の背中を女は立ち上がり、追おうとする。その時、女がそいつを見た。不安・焦燥・憐憫……そんな感じの顔をしていたらしい。
『おい置いていくぞ!』
『ま、待ってよ!』
男の急かしに女は応じた形で、二人はその場を去った。
残されたそいつは、仰向けで路地裏の狭い空を見上げていた。
助からない。
意外とクリアな思考で、そいつは確信したらしい。服の下から血がしみ出して、腰のあたりにぬるくて不快な溜池を作っていた。
そいつは感謝してほしかったのだろうか。
助けたことで、女に感謝してほしかったのだろうか。それとも、女を助けることで、それを誇りとし、自信にしたかったのだろうか。
答えは、そいつ自身にも出せなかったようだ。
ただ薄れゆく意識と、冷たくなっていく肉体の中で、自分は努力の方向性を間違えたのだと、思い知った。
学校で皆と仲良くなりたかったのにうまくいかなかった。ここでも、女を助けようとしたが、結局それはただの勘違いで、あの二人はそこまで険悪な仲ではなかったのだろう。ああいう付き合い方もあるのかもしれない。友人関係さえまともにできないそいつに、男女関係のことなどわかろうはずもなかった。あのまま二人を放っていても、きっとどこかで落とし所を見つけて、仲良く表通りに戻っていたのだろう。そこに横槍を入れられて、気が動転して男はナイフを使ってしまった。そういうことなのだ。
結局、何もかもが空回り。
そいつは自らの失敗を嘲りも怒りも嘆きもしなかった。
ただ、この世界に自分の居場所はなかったのだと、悟った。
そしてそんな世界に、ひどくうんざりした。
……。
…………。
「………………とまあ、こうして、一人の学生の生涯は終わりましたとさ」
だいぶ長くなった上に後半なんて脱線していたような気がする。辛気臭い不幸自慢のようにも聞こえたかもしれないが、一度死んだ高校生の話なんてこんなものだろう。
マオの反応はない。さすがに期待はずれすぎて言葉もないといったところか。
おっくうではあるが、首を横に捻ってみる。
「……すー……すー」
寝てました。
長い上につまらなかったからね、しかたないね。
俺は天井を見上げる。俺も寝よう。
「お父さん……お母さん……」
なんともかわいい寝言だことで。
両親か。うちのは何してるかな。とりあえずテキパキと葬儀やって、遺品整理して終いかな。手間かけさせて悪いなとは思うけど、もう会えなくて悲しいとか、また会いたいなとか、そういうのはない。
多分めぐり合わせというか、かみ合わせが悪かったんだなって。
もっとマシな親だったら、もっと相性が良ければ、少しは違った結果になったかもしれない。虐待はされなかったから、そこだけはマシだったのかもしれないけど。向こうもそんな感じだろう。もっとできの良い子供だったら、と。思う所あれば、また子供を作るだろう。そこまでいったら、もう俺がどうこう考えることではない。
ともかく、あの人達と俺の関係性は、もうないんだ。
自分の方はともかく、マオの方はどうするかな。
彼女を見る限り、さぞ愛情を注いで育ててもらったことであろう。それを本人の意志とはいえ、なかばさらっていくように連れ出したのは……良くはないだろう。かといって、今更事後承諾を取り付けに行くのもあれだし、マオにはマオなりに目的があるようだし。そういうことをするのも無粋というものだ。子供には子供の世界が、子供なりの事情があるものだ。
とはいえ、親からすれば大事な箱入り娘をこのまま連れ回すのも気が引けるので――
そのうち、余裕ができたら挨拶くらいはしておこう。
――なんて、逃げに近い問題の解決の先送りをしつつ、俺は眠りについた。
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