第10話(第2章)
そいつはまあ、そこそこの家庭で育ったのさ。
とりあえず衣食住には困らなくて、一応は親の庇護のもとで暮らしていける。
ただ、父も母も夫・妻に無関心で、子供の相手より仕事の方が楽しそうだった。もっと言えば、家庭の逃げ場として仕事に打ち込んでいたのかもしれない。
だからかな。その二人の子供のそいつが中学――中級の学校ってところかな――でうまくいってなくて、周囲と馴染めなくても、とりあえず落第せず登校していれば問題なしと判断していたんだろう。
そいつはいつも受け身で、積極的に何かをやるようなやつじゃなかった。誰かに誘われることを期待して、ただ無為に過ごしていた。そうしてるうちに、他のやつらは他のやつらで仲良くなって、絆を深めていったのにな。
気がつけば、そいつは孤立していた。
学校の皆が、悪意をもってそうしたわけじゃない。いつの間にかそいつだけ群れにいなかったんだ。でもそれは当然だったんだ。何かあるわけでもない、面白くもなんともないやつが、行動を起こすこともなく、ただ存在だけしていた。そんなやつと仲良くなる理由なんてないわな。そいつはそれでも何かしようとはしなかった。状況が、環境が、なんとかしてくれると思っていたんだ。
いや、思い込みたかったんだ。
そう思い込んで、逃げたんだ。自分から他人と向き合ったり、他人と関わり合ったりすることを。傷ついたり、否定されるのが怖かったのかもしれない。だから、安易に時間が解決してくれるだろうと思って、結局そいつは何もしなかったんだな。それが処世術として、正しかったのかはわからない。
ただ言えるのは、中学を卒業する時、そいつには何の思い出もなかったし、周りには誰もいなかったんだ。
悲しみ……虚しさ……まあ要するに、ろくな印象はなかったんだろう。そいつは進学を機に、変わろうとした。今度は自分から動いて、他人と関わろうとしたんだ。
そこで、努力の方向性を間違えた。
『ういーっす。皆よろしくっす! 俺と友達になってよ!』
髪型をいじって、無理してテンション高いキャラを演じてみた。
クラスの連中は特に反応するでもなく、一瞥するだけだった。
『なにあれ』
『ダッサ……』
ヒソヒソと声がして、嘲笑も聞こえてきて、ウケてないのだけはわかった。
クラスが決まって早々、歓迎されていないのはわかった。それでもそいつは諦めなかった。諦めたらどういう結末か、もう経験済みだからな。それは嫌だったから、続けたんだ。
最初はこんなんでも、そのうち周囲と打ち解けられるって期待したんだ。
自分にも友達ができて、自然と所属するグループができて……そういう流れを、期待したんだ。
今思えば、他人に依存していたんだな。
他人が自分に好意的である義理も保証も、何もないのに。
『えー、そろそろ学級委員長でも決めるか。誰か立候補するか』
『うぃっす! 俺っす! 俺やるっす!』
教師の言葉に、そいつはいの一番で手を挙げた。これまでの経験から、その手の役職はクラスの中心人物がやっていたからな。
『他には……』
教師が見回すが、他の奴らは目を伏せたり視線をそらす。そりゃ委員会なんて面倒事は避けたいだろう。そいつも今までそうだったからな。
『……じゃあ頼むぞ。次に文化委員と体育委員だが……』
『はいはい! それも』
『気持ちはありがたいが兼任は無理なんだ。他には……』
そういうわけで、そいつは学級委員長になり、立場上はクラスの長になったわけだ。ただ、そいつは勘違いをしていてな。クラスの中心になれるようなやつが、その人望で学級委員長だのリーダーだのになるのであって、学級委員長になったからといって、クラスのまとめ役や人気者になれるわけではないのだ。
『俺が学級委員長になったからには、このクラスを明るく楽しいものにしていくんで、よろしくっす!』
教壇に立ち、そんなことをのたまった。そんな能力も腹案もないのにな。
クラスの連中の目は冷ややかで、それが初対面ゆえの固さだとそいつが思ってたのは、若気の至りというやつだったのか、あるいはコミュ力不足による誤信だったのか。
『うざ……』
前々からブツクサ言っているガラの悪い女子が吐き捨てた。とりあえず、そいつはその時からギャルという人種が決定的に嫌いになった。どう考えてもこの手の輩を敬遠するようになったのは、やはりこの頃のことが原因であろう。
まあそれでも、何割かの連中は、わずかながら期待の要素をそいつに持っていたようで、最初は何事もなく回っていたんだ。クラス単位の行事やら連絡やらは、曲がりなりにも学級委員長であるそいつを経由するわけだからな。事務的であっても、会話はせざるを得ない。
しかしだ、何の経験もないやつが、集団をコントロールできるわけもない。徐々にボロがでてきた。それは負の実績として、確実にそいつへのヘイトに変わっていったのだ。
『あいつ使えねえ』
『でも面倒事引き受けてくれてるわけだし』
『結局処理できなくてこっちが迷惑してんじゃん』
数週間たち、そんな愚痴が聞こえてくるようになった。さすがのそいつも危機感を覚えた。なんとか挽回しようと思った。だが、そもそも挽回できる能力があればこんなことにはなっていないわけで。結局、どんどん空回りしていくだけであった。
『ったくうざ……』
『死ね』
やはりギャルは嫌いであった。奴らはとくになにか貢献するでもなく、人のやることなすことケチをつけ、自分の誰得の外見と趣味に労力を全振りするからである。
新体制になってから二ヶ月くらいが経ち、体育祭のシーズンになると、そいつのポジションはだいたいはっきりしていた。
『ついに待ちに待った体育祭っす! 皆で力を合わせてテッペン取ろう!』
『…………』
『…………』
『…………』
うるさいだけ。口先だけの役立たず。産廃……ゴミ……
クラス全体の厄介者である。
このあたりから、クラスの連中はそいつに無関心になり、一部は敵意を持つようになった。無視は当たり前、下駄箱にイタズラされるのは当たり前、机の中から私物がなくなっているのも当たり前。
結局、自分が属するグループどころか、友人の一人さえ、そいつにはなかった。
得られたのは迫害される毎日で、苦痛の日々であった。
いつからか、そいつは学校に行かなくなった。クラスでの付き合いはもとより、勉強すら手につかなくなったのだ。学校生活のことを考えるだけで気持ち悪くなり、吐き気がした。親には腹痛だ風邪だと言い訳を並べて、登校の時間帯は布団の中で過ごし、昼間は外をあてもなくぶらついた。下校の時間帯には家に戻り、同じ学校のやつと遭遇しないように過ごした。
そいつはどこで間違えたのか、どうすれば正解だったのかわからなかった。ただ自分は、皆と仲良くなりたかっただけだ。それなのに気がつけば、その皆は自分を傷つけ、追い詰めた。自分への侮蔑、嘲笑……悪意が、ともすれば憎悪が、はっきりとあった。
努力を無意味とは思わなかったが、これから先、どう努力すればいいかわからなかった。ただ時が流れていくだけだ。そのまま死んで消えれば、すべては終わるのだろう。その時まで、自分は待っていればいいのか。
それが結論なのだろうか。
自分自身、わからなかった。
同年代が勉学だ部活だと人生を謳歌している間、そいつはひたすらそれとは無関係に過ごした。意味もなくさまよい、人目を避けて歩く。家ではゲームやアニメで時間をすり潰し、空想の世界に逃げた。
そいつは、もう何も期待なんてしていなかった。
少なくとも、この人生と――
――この世界には。
《本日のニュースです。日ノ本総理が掲げる新社会保障制度について、野党からは弱者の切り捨てと批判が相次ぎ、野党第一党の大和代表は次のようにコメントを――――》
リモコンを置いたそいつは沈黙したテレビを背に部屋を出ていく。ここに戻ることはないと、そいつはまだ知らなかった。
そいつが街をぶらつくのは、転機を待っていたのだろうか。この状況を変えるなにかを。だとすれば、少なくともそれは学校にはないから、もっと広い社会というものに求めたのだろう。
そいつはパーカーのフードを被ってマスクをし、伊達メガネをかけていた。そいつは一応まだ学生であったので、日中に市街をうろつくことへの補導や質問をされるのが面倒だったからだ。要するに学生なのに学校にいないのはおかしいだろって怒られるのを嫌ったんだ。それもあって、表通りは避けた。もっぱら、ひとけのない路地裏ばかりだった。人目につかない、なにかよからぬことをするにはうってつけの場所。
だからこそ、そいつは転機というものに直面した。
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https://kakuyomu.jp/works/16816700426124062593
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