あるはずのないものが……
日はすでに落ち、辺りは何も見えない。
バイクのライトだけが頼り。
山道は、広い裾野をぐるりと回る格好になっていて、急カーブがないのはありがたかったが、道の両側からはみ出している木の葉が邪魔をして、前方がよく見通せなかった。
ハンドルを持つ手がブルブル震えているのは、人を化かすキツネが、カーブの向こうで待ち構えているような気がしてならなかったからだ。
やっとの思いで坂を下り切った。と、ホッとしたところで、心臓が停まりそうになった。
闇の中に、忽然と姿を現したのは、彼女が言ったとおりの景色。
レンガ造りのレストラン。広々とした駐車場。どでかい電照看板には『NOUSON』の六文字。
キツネに騙されたのだろうか。
一時間ちょっと前までは竹藪だった場所に、こんな大型店舗があるはずがない。
だが、空を見上げると、この時期の星座がいつものように瞬いていた。
どうやら、現実の世界に間違いないらしい。
しかし、どう考えてみてもおかしい。舞台用セットだったとしても、こんなに短い時間では組み立てられない。
僕は、自分を納得させる方法を考えてみた。
結論はすぐに出た。
不思議なことは、なにもない。
山道は一本だけだと思い込んでいただけ。坂の途中で、二カ所、あるいは何カ所かに枝分かれしていたのだ。
竹藪側から登って、レストラン側に下りてきただけの話。
だがここで、問題が起きた。
僕は自分が口にした約束は、どんな小さな事でも守るようにしてきた。
捨て台詞だったとは言え、レストランで待っていますと、僕は言った。
レストランが実在している以上、このまま通り過ぎるわけにはいかない。形だけでも、待つことにしよう。
でも、どれぐらい待てば、約束を守ったことになるのか見当がつかなかった。
しかし、考えているうちに、参考になりそうな基準を思い出した。
たしか、特急料金の払い戻しは、二時間以上到着が遅れた場合だった。
でも、いくら何でも二時間なんて待てない。その十分の一にしようと思ったが、中途半端のような気がしたので、三分足して、十五分待つことにした。
ヘルメットをぬぎ、汗でぬれている頭を夜風でしばらく冷ました後、何気なく、今下りてきた山道に視線を向けた時、何かしっくりこないものを感じた。
山全体が、うごめいているように見えたのだ。
視力が落ちたのだろうか?
手の甲で、目をこすってみたが、変わらなかった。
二年前の免許切り換えのときは、何も問題なかったのに……
不安を胸に、もう一度良く見てみると、なんということはなかった。
レストランから漏れる明かりに浮かび上がった夜霧が、裾野を伝って下りてくるところだった。
今、どのあたりにいるのだろう。
反射的に、さきほどの彼女を思い出した。
道に迷って、竹藪側に下りたんじゃないだろうな。懐中電灯ひとつで大丈夫なのだろうか。
だがそこで、待てよ、と思った。
私のことは、心配しなくても大丈夫と、笑いながら言っていた。
あの笑いは、この辺りの地理には詳しいの。夜道には慣れているの。ということだったのだろう。
僕は、そう思うことで、彼女のことを忘れることにした。
どうやら県道とは逆の方向に下りてきたらしい。何か冷たいものでも注文して、県道に抜ける道を教えてもらおう。
レストランに向かって二、三歩歩いたところで、僕は「ぎゃっ」と叫んでしまった。
入り口に、だれかが立っていた。
白いジャージを着た女性。ニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。
そんなバカな。
だが、間違いなく、彼女だった。
パニックに陥り、体が硬直状態になってしまった僕のすぐ近くまでやってきた彼女は、笑顔のままで、
「思ったより、早く着いちゃったの」
と言った。
「ど、どうやって、ここまで、こ、こられたんですか?」
しかし彼女は質問には答えなかった。ふふふと笑って、さっさと店の中に入っていった。




