第五章 聖女の条件
大教会は簡単には折れなかった。
「聖女様。あなた様は、ご自身の立場を理解しておられない」
大司教は、重々しい声で告げた。
「聖女は、国の宝です。王家と結びつくことで、より安定した地位を得られます」
「でも、わたしは誰かを不幸にする結婚をしたくありません」
「個人の感情が優先されるべきではありません」
「……わたしの人生なのに?」
ミーシャの言葉に、大司教は眉をひそめた。
「あなた様は、神に選ばれた存在なのです」
「わたしは、神様から直接、何かを頼まれた覚えはありません」
「……」
「毎朝、水をあげて、葉っぱを摘んで、お茶を淹れていただけです。それを、みんなが聖女だとおっしゃっているんです」
ミーシャは、まっすぐに大司教を見つめた。
「もし、それが聖女ということなら、わたしはこれからも喜んで皆様のためにお茶を淹れます。でも、結婚まで決められたくありません」
大司教の顔が赤くなった。
「あなた様は、王家と教会に逆らうおつもりか!」
「逆らいたいわけではありません」
ミーシャは、静かに答えた。
「ただ、自分の気持ちをお話ししているだけです」
大司教は何か言おうとしたが、そのとき、部屋の扉が開いた。
「そこまでだ」
国王だった。
大司教は慌てて膝をついた。
「陛下!」
国王は、ミーシャの前まで歩み寄った。
白髪交じりの髪に、鋭い眼差し。その姿には、長年、国を治めてきた王の威厳があった。
「ミーシャ。そなたの話は、エリオットから聞いた」
「……はい」
「そなたは、王妃になることを望まぬそうだな」
「はい。申し訳ありません」
「なぜ謝る?」
ミーシャは顔を上げた。
「え……?」
「望まぬものを望まぬと言っただけで、なぜ謝る必要がある」
国王は、少しだけ笑った。
「私も若いころ、王になどなりたくなかった」
大司教が目を見開く。
「陛下、それは……」
「黙っておれ」
国王は一喝した。
「王家の責務が重いことは、私が一番身をもって知っておる。皆が聖女の出現にどれほど喜んでいるかもわかっておる。だが、そなたの意思を無視して聖女としての役割を負わせることも、結婚という人生を左右する決断も強制するつもりはない」
王はミーシャをみた。
「そなたは、どうしたい?」
ミーシャは少し考えた。
「わたしのお茶で、誰かが少し元気になってくれたらうれしいです」
「それは王都で聖女としてか?」
「いいえ。できればこれまで通り、あの村の教会で、わたしにできることをしていきたいです」
「できることをか……」
国王は、ゆっくりと繰り返した。
「ならば、こうしよう」
彼は、大司教へ向き直った。
「ミーシャと王子との婚約は、再度本人たちの意思を確認した上で白紙に戻す」
「陛下!」
「聖女としての力については、引き続き調査を行う。しかし、本人の意思に反する拘束は認めぬ。今後の活動の内容も、本人と教会で協議するものとする」
大司教は、顔を青くした。
「ですが、聖女様を自由にすれば、他国が……」
「聖女は物ではない」
国王の声が、部屋に響いた。
「心を持った人間だ。ほんの十五歳の少女だ。まずは、それを忘れるな」
ミーシャは、目を丸くした。そして、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、陛下」
「礼には及ばん。だが、そなたに一つ、頼みたいことがある」
「はい」
「今晩、お茶を淹れてくれぬか」
「……え?」
国王は、少しばかり気まずそうに咳払いをした。
「最近、夜、なかなか眠れなくてな」
ミーシャは、思わず笑った。
「それでしたら、カモミールとレモンバームのお茶はいかがでしょうか。お食事の後、お持ちいたします」
「うむ。では、頼む」
こうして、ミーシャの婚約は正式に取り消されることになった。
同時に、シャルロットとエリオットの婚約も、改めて二人の意思を尊重する形で継続されることになった。
大教会は今後も必要に応じて、ミーシャを王都に呼び寄せることを条件に折れた。
そして、ミーシャが王宮のハーブを使って淹れたお茶も王宮内で評判になっていた。
お茶を飲んだ王妃がよく眠れるようになった。騎士たちが、訓練のあとに飲むと気分が落ち着くと言っている。侍女たちが、仕事の合間に飲むと疲れがとれると飲むのを楽しみにしている。
ミーシャは、王族、貴族、侍女、料理人、庭師…‥誰にでも関係なく頼まれればお茶を淹れた。皆がミーシャのお茶を飲むと、少し元気を取り戻し、笑顔になった。
けれど、ミーシャは決して、それを奇跡だとは思わなかった。
「ただのお茶ですよ」
そう言って、いつも笑うのだった。




