第四章 王子殿下にお願いがあります
翌日。
ミーシャは、エリオット王子への面会を申し込んだ。
大司教ははじめ眉をひそめた。
「聖女様。王子殿下は大変お忙しい身でいらっしゃいます」
「それでも、お話ししなければなりません」
「婚約に関するご相談でしたら、こちらで取り計らいますが」
「いいえ。殿下ご本人とお話ししたいのです」
ミーシャは、はっきりと言った。
「わたしの人生のことですから」
なんとか王子への面会が許された。
案内されたのは、王宮の執務室だった。
エリオットは書類から顔を上げ、ミーシャを見て微笑んだ。
「ミーシャ。どうしたんだい?」
「お話があります」
エリオットは、ペンを置いた。
「殿下」
ミーシャは、深呼吸をした。
「殿下と私の結婚を考え直して頂きたいのです」
執務室が静まり返った。
エリオットの目が、大きく見開かれる。
控えていた侍従が、手にしていた書類を落とした。
「……それは、どういうことかな?」
ミーシャは、膝の上で両手を握りしめた。
「殿下のことを嫌いだということではありません。まだお会いしたばかりで、そんなにお話させて頂いたわけではありませんが、殿下は私に優しく接しくださいました。とても素敵な方なのだと思います。でも、今はまだ殿下を好きというわけではありませんし、殿下もわたしを好きではないでしょう?」
「それは……」
「わたしが聖女だから、結婚する必要があると思われているのですよね?」
エリオットは、答えなかった。
「わたしは自分が聖女だなんて思っていません。これからもあの村で茶葉を育てて、お茶を淹れる平凡な暮らしをしていきたいんです」
ミーシャは、顔を上げた。
「シャルロットにお会いしました」
「……そうか」
エリオットは、窓の外へ視線を向けた。
「彼女は、何か言っていたか?」
「殿下をお慕いしていると、おっしゃっていました」
その言葉に、エリオットは目を閉じた。
「……うん」
「殿下も、シャルロット様をお好きなのですよね?」
沈黙が落ちた。長い、長い沈黙だった。
やがて、エリオットは小さく息を吐いた。
「私は……彼女を大切に思っている」
「はい」
「幼いころから、ずっと一緒にいた。彼女がどれほど努力家で、優しくて、責任感の強い人間か、私はよく知っている」
「はい」
「ずっと彼女と共にこの国を守っていくと思っていた」
ミーシャは、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
「でしたら、どうして婚約を解消されるのですか?」
エリオットは、苦しそうに笑った。
「私が王子だからだ。この国のために尽くすよう育てられてきた」
「……それは、シャルロット様より大切なことですか?」
「そうあるべきなのだと思う」
エリオットは、それ以上答えなかった。
その沈黙が、何よりも雄弁だった。
ミーシャは、椅子から立ち上がった。
「では、わたしからお願いがあります」
「何だろう」
「やっぱり、わたしとの婚約を、取り消してください」
エリオットは、ミーシャを見つめた。
「君は……それでいいのか?」
「はい」
「聖女としての地位も、王家からの支援も失うかもしれない」
「はい」
「君は、もっと豊かな暮らしを手に入れられるのだぞ」
「豊かな暮らしって、何でしょうか?」
ミーシャは首を傾げた。
「毎日、好きなお茶を飲めることですか? それとも、好きな人と一緒にいられることですか?」
エリオットは、言葉を失った。
「わたしは、孤児院に帰りたいんです。子供たちが待っていますから」
それから、ミーシャは少しだけ笑った。
「それに、ここは高級なものばかりで、どうも落ち着かないんです。やっぱり、自分には合いません」
思わず、エリオットの口元が緩んだ。
「君は、本当に変わっているな」
「よく言われます」
「王妃になりたいとは思わないのか?」
「思いません」
「贅沢な暮らしも?」
「いりません」
「権力も?」
「もっといりません」
エリオットは、とうとう声を上げて笑った。
それは、王子という立場を忘れたような、屈託のない笑いだった。
「わかった」
笑いを収めた彼は、まっすぐにミーシャを見た。
「君との婚約について、私から父上に願いでよう」
「ありがとうございます!」
「ただし、認められるとは限らない。聖女と王家の結びつきは、大教会も重視しているからね」
「わかっています。それでもお願いします」
ミーシャは深々と頭を下げた。
執務室を出る直前、エリオットが彼女を呼び止めた。
「ミーシャ」
「はい?」
「君のお茶を私はまだ飲んでいなかったな」
「そうでしたね」
ミーシャは答えた。
「今度、殿下にも淹れて差し上げたいです。シャルロット様と一緒に、ぜひ」
エリオットは、少し驚いたあと、静かに笑った。
「それは、楽しみだ」
その日の午後、王宮では大きな議論が巻き起こった。
聖女と王子の婚約を維持すべきだと主張する者。
聖女の意思を尊重すべきだと主張する者。
そして、何よりも重要なこととして、王子とシャルロットの婚約を解消する必要は本当にあるのか、と問い直す者。
ミーシャは、その騒ぎの中心にいるにも関わらず、庭園のハーブに水をやっていた。
自分の気持ちを伝えることができたせいか少しだけ心が軽くなった気がした。




