第28話
大水蛇の巨体から血が抜け、泥水の色が赤黒く濁りきったころ、フェリクスが腰から解体用の太い小刀を抜いた。
刃の峰を握り、首の切り口に当てて骨の継ぎ目をこじる。
「頭を落とすぞ。討伐の証拠だ」
ブルーノが大盾を泥の上に倒し、蛇の頭部を上から押さえつけた。二人がかりで太い腱を断ち、頭部を胴から完全に切り離す。
フェリクスは短槍の石突きで上顎をこじ開け、内側に並ぶ親指ほどの長さの牙を、小刀の背で叩いて四本とも根元からへし折った。続いて腹側の白く柔らかい皮に刃を入れ、傷のない胸元から腹にかけて、幅三握りほどの帯状に皮を剥ぎ取っていく。硬い背中の鱗も、擦れのない綺麗な部分だけを四角く切り抜いた。
土手の上から、足音が近づいてきた。
エントが松明の束と麻縄を両腕に抱えたまま、足元を確かめながら泥の斜面を下りてきた。
「手伝います」
エントは泥に足を取られながらも四人のそばへ歩み寄り、抱えていた麻縄を差し出した。
「剥いだ皮、これで縛りますか?」
「おう、助かる」
フェリクスが縄を受け取り、丸めた皮を二束に縛った。
切り落とした頭部は、大人の頭の倍ほどもある大きさだった。血抜きをしても泥を吸ってずっしりと重く、麻袋に詰めると袋の底が張り裂けそうに膨らんだ。エントがその麻袋の口を両手で固く縛り、フェリクスが折れ曲がった短槍の柄を袋の結び目に通して担ぎ上げた。
ブルーノが牙の包みを腰嚢に収め、ヨルクが回収した矢を矢筒に戻す。
五人は泥水をかき分け、葦原を抜けて街道へ出た。靴底にこびりついたヘドロが、歩くたびに重く足首を引っ張っていた。
◇
昼過ぎ、フルトの南門をくぐり、ギルドの大広間へ入った。
泥だらけの五人が土間へ踏み込むと、周囲の冒険者たちが足を止め、道を開けた。
受託窓口のカウンターへ進み出ると、フェリクスが担いでいた麻袋を土間に下ろし、口を大きく広げた。
中から現れた大水蛇の頭部を見て、窓口の男が目を丸くした。
「……仕留めたか」
男は鉄筆を置き、頭部の左目に刺さった矢傷と、首の切断面を改めた。帳簿に太い受領印を押すと、引き出しから布袋を取り出し、カウンターの上に銀貨を並べた。
銀貨四十五枚。十枚ずつの山が四つと、端の五枚が整然と置かれた。
続いて、エントが抱えていた皮の束と牙の包みを『資材・採取物受納』の窓口へ運んだ。
係の男が皮の厚みと傷の有無を確かめ、牙の根元の欠けを爪で弾いた。
「皮が二束で銀貨六枚。牙が四本で銀貨二枚だ。合わせて八枚」
金属の重い音が響き、八枚の銀貨が板の上に落ちた。
カウンターの脇で、ブルーノが硬貨を四等分した。
「手当は四十五枚だから、一人十一枚。余った一枚は酒代だ。素材の八枚は一人二枚ずつだな」
ブルーノは太い指で銀貨をまとめ、ライゼンに銀貨十三枚を押し出した。
「ほらよ、ライゼン。取り分だ」
ライゼンは銀貨を受け取り、十一枚と二枚に分けて腰の小銭袋へ滑り込ませた。
◇
ギルドを出て、船着き場に近い路地の酒場に入った。
昼間から油煙の立ち込める薄暗い店内で、五人は奥の長机を囲んだ。
運ばれてきたのは、炙った羊のあばら肉の皿と、蒸した芋の山、それに大きな陶器のピッチャーに入った黒い麦酒だった。
フェリクスが空のジョッキを三つ並べ、勢いよく酒を注ぎ分けた。
「おい、小僧にも注ぐか」
フェリクスが余っていた四つ目のジョッキに手を伸ばしかけたが、ブルーノが太い腕を伸ばしてその手首を上から押さえた。
「よせ。子供に酒を飲ませてどうする」
「水にしておけ」
ライゼンが低く言った。
ライゼンは通りかかった給仕に水を頼んだ。運ばれてきた素焼きのコップに、エントが自分で冷たい水を注ぎ、両手で包み込んだ。
ライゼンは腰の小銭袋を解いた。
袋の口に指先を入れ、銀貨を一枚と、銅貨を五枚取り出した。
硬貨を一枚ずつ指先で整列させ、エントの前へ押し出した。
「一割だ」
エントが息を呑み、卓の上の硬貨を見つめた。
「俺の手当の十一枚からの一割だ。銀貨一枚と、銅貨五枚。素材の分は入っていない」
「あ……はい」
エントは両手を伸ばし、銀貨の表面を指の腹でそっとなぞった。それから銅貨を五枚、一枚ずつ数えながら手のひらの中に拾い集めた。
「……ありがとうございます。ちゃんと、受け取りました」
エントは硬貨を雑嚢の奥へ収め、紐を固く引き絞った。
◇
フェリクスが羊の骨から肉をこそぎ落とし、ジョッキを飲み干した。
肩口の擦り傷に布を当てながら、息を吐き出す。
「しかし、手練れの前衛が横にいると楽だな。泥の中で刃が滑ったときは肝が冷えたが、水路を塞いでくれたおかげで助かったぜ」
ブルーノが空になったジョッキを卓に置き、ライゼンを見た。
「ライゼン」
大柄な身体をわずかに前に乗り出してくる。
「あんた、フルトに長くいるのか」
「まだ決めてない」
「なら、また俺たちと組まねえか。近いうちに、西の山裾の採掘坑道の警備が入る。二人以上の依頼だが、前衛が二人いれば手堅く回せる。手当の割り振りも今日と同じでいい」
フェリクスが卓の向こうで身を乗り出し、ヨルクも静かに視線を上げてライゼンの顔を見た。
ライゼンは卓の上の水差しに触れたまま、視線を上げなかった。
「……今は、一人で歩いている」
ブルーノは少し眉を上げたが、それ以上押し込んではこなかった。
「そうかい。まあ、気が向いたらギルドの掲示板を見てくれ。俺たちも当面はこの町にいる」
ブルーノは残っていた酒を喉に流し込み、太い息を吐いた。
◇
酒場を出ると、川湊からの冷たい風が通りの埃を巻き上げていた。
三人と別れ、ライゼンとエントは石畳の路地を宿へ向かって歩いた。
エントはライゼンの斜め後ろ、二歩ほどの間隔を保ちながら歩いていたが、ふいに歩幅を狭めて並んできた。
「ライゼンさん」
声は低かったが、息の底が張っていた。
「何だ」
「……あの一太刀目、なんで切れなかったんですか?」
エントは自分の右腕を軽く引き、振る仕草を手元で小さく再現してみせた。
「首の付け根に、ちゃんと当たってましたよね。骨のところまで刃が入ってたのに、なんで一撃で落ちなかったんですか」
ライゼンは足を止めずに答えた。
「泥の上では、踏み込みが半分になる」
「踏み込みが……」
「足元が滑れば、腰の重みが刃に乗らん。固い地面と同じ振り方をしても、力は泥に逃げる」
「なるほど……足元が沈んでたから……」
エントは納得したように小さく呟き、自分の靴底を見下ろした。
数歩進んだところで、エントが再び口を開いた。
「もう一つ、聞いてもいいですか」
「何だ」
「大水蛇が暴れて逃げようとしたとき、なんで水路のほうへ走ったんですか?」
エントの目が、真剣にライゼンの横顔に向けられていた。
「蛇の真後ろを追ったほうが近かったのに、ライゼンさんは泥を横切って、わざわざ水路の入り口に先回りしましたよね。なんであそこへ走ったんですか?」
川面から吹きつける風が、二人の足元を通り抜けていった。
ライゼンは前方の路地を見据えたまま、短く言った。
「逃げ道を塞いだだけだ」
それ以上は言わなかった。
エントは「逃げ道を塞いだだけ……」と口の中で一度繰り返し、それから前を向いて歩調を合わせた。
二人の靴音が、川湊へ続く石畳の上に乾いた音を立てて落ちていった。




