第25話
小刀を買った翌朝、川湊から吹き上げる風は白く濁り、石畳の継ぎ目を湿らせていた。
ギルドの大広間に足を踏み入れると、朝の鐘が鳴り終わった直後で、土間は依頼書を求める冒険者たちで混み合っていた。
ライゼンが掲示板へ向かおうとしたとき、受託窓口の奥にいた革の指当てをはめた男が、カウンター越しに手招きをした。
「おい、真鍮札の旦那。ちょっといいか」
ライゼンが窓口へ歩み寄ると、男は壁際の長机を顎でしゃくった。
「掲示板の大水蛇、あの組がまだ前衛を探してる。腕の立つ刃を探してたんだ。引き合わせていいか」
ライゼンが視線を向けると、長机の端に、あの三人が腰を下ろしていた。
大柄な男が立ち上がり、こちらへ大股で歩いてきた。
擦り切れた鎖帷子の下に着込んだ分厚い革鎧は、胸元にいくつもの打撲痕が残り、肩口の留め金が真鍮の針金で補強されていた。腰に佩いた幅広の短剣と、壁際に立てかけられた鉄枠の大盾の縁には、泥と砂利で擦れた無数の傷がついている。
「あんたが真鍮札の単独者か」
男は太い首を傾げ、ライゼンの腰の長剣と、肩当ての擦れ具合を一瞥した。
「俺はブルーノだ。前衛で盾役をやってる」
「ライゼンだ」
「話は受付から聞いてる。葦原の大水蛇をやる。俺の盾と、短槍のフェリクス、弓のヨルクの三人だ。頭数は揃ってるが、正面で抑え込んだあと、横から首を叩き割る刃が一本足りねえ。手当は銀貨四十五枚、四人で頭割りだ。一人あたり十一枚と、残りは酒代にでもする。乗るか」
ブルーノの背後で、短槍を抱えた身軽そうな男と、背中に長弓を背負った射手が、品定めするようにライゼンの足元を見つめていた。短槍の穂先は泥除けの油布で丁寧に包まれ、弓の弦の張り具合にも緩みはない。
ライゼンは短く頷いた。
「乗る」
「よし、話が早くて助かるぜ」
ブルーノが太い腕を差し出し、ライゼンの前腕を一度強く握った。
◇
そのとき、長机の脇の柱の陰から、足音が小走りに近づいてきた。
「ライゼンさん!」
エントだった。
雑嚢の紐を肩に掛け、腰には昨日買った樫の柄の小刀を差している。朝の依頼を探しに来ていたようだったが、ライゼンとブルーノのやり取りを聞きつけて目を丸くしていた。
「あの、大水蛇の依頼を受けるんですか? 掲示板に出てた、川沿いの葦原の……」
エントはライゼンの肘のあたりを見上げ、身を乗り出した。
「俺も連れて行ってくれませんか! 荷物持ちでも、松明持ちでもやります。足手まといにはなりませんから!」
ブルーノが眉をひそめ、エントの胸元の木札を一瞥した。
「おい、誰だこの小僧は。木札の駆け出しなんぞ連れて行ってどうすんだ」
ライゼンはエントの腰の小刀に一度目をやり、それから肩口に手を置いて、扉の脇まで押し戻した。
「そこで待ってろ」
「あ……はい」
エントを扉の脇に残し、ライゼンはブルーノたちの長机へ戻った。
短槍のフェリクスと弓のヨルクが、胡乱な目でエントを見つめている。
「荷物持ちとして一人連れて行く」
ライゼンは低く言った。
「組の手当には手をつけさせない。取り分は四人のままだ。後ろに控えさせ、前に出さない。邪魔はさせん」
ブルーノが腕を組み、鼻を鳴らした。
「取り分が減らねえなら文句はねえが……何でそんな小僧を連れて行くんだ。足手まといになるだけだぞ」
「駆け出しに、上の仕事を見せておきたい」
短槍のフェリクスが小さく吹き出し、背もたれに寄りかかった。
「へえ、面倒見のいいこった。まあ、泥水の中で泣き喚かねえなら勝手にしな」
ヨルクも長弓を膝の上に直し、無言で頷いた。
ライゼンは扉の脇で待っていたエントの元へ戻ると、エントが息を詰めて見上げてくる。
「ついてこい。荷物持ちだ」
「本当ですか!」
「手当は組からは出ない。俺の取り分から一割払う」
エントは目を瞬かせ、それから深々と頭を下げた。
「一割も……ありがとうございます! 絶対に荷物は落としません!」
◇
五人で長机を囲んだ。
ブルーノが卓の中央に布を広げ、木炭の欠片で線を引きながら話し始めた。
「相手は大水蛇だ。長さは大人の背丈の三倍はある。川沿いの深い葦原に巣を作ってやがる。普段は水の中に潜って頭だけ出してるが、獲物が近づくと泥の中から一気に跳ね上がって巻き付いてくる。骨をへし折られて泥水に引きずり込まれたら終わりだ」
フェリクスが腰の短槍を指先で叩いた。
「俺の役目は、水蛇が跳ねた瞬間に太い捕獲網を頭から被せることだ。網には重石がついてる。頭さえ封じりゃ、巻き付きの狙いは外れる」
「俺が正面から大盾で当たりを止める」
ブルーノが太い腕を卓の上に置いた。
「突進を受け止めたら、ヨルクが後ろから両目を射抜いて動きを止める。その隙に、ライゼン、あんたが横の死角から飛び込んで、首の付け根を両断しろ。鱗は腹側が柔らかいが、背中は硬い。狙うなら頭のすぐ後ろ、首の付け根の皮一枚だ」
「エントは後ろだ」
ライゼンが言った。
「予備の道具と松明の束を抱えて、乾いた足場の端で待機しろ。水には入るな」
「はい、分かりました」
エントが頷いた。
ライゼンは卓の上に描かれた炭の線を見つめた。
「葦原の足場はどうなっている。水の深さは」
「深いところは腰まで浸かるが、巣の周りは中洲になってる」
フェリクスが答えた。
「背丈を超える葦が密集してて見通しは最悪だ。足元は腐った泥で、一歩ごとに足を取られる。踏み固められた土手は、巣の北側に一本だけ通ってる」
「退く道筋はその土手だな」
「ああ。もし暴れ狂って手がつけられなくなったら、北の土手へ駆け上がって距離を取る。泥水の中じゃ走れんからな」
◇
話がまとまると、五人は支度を整えるために一度解散した。その足で、ライゼンとエントは市場と道具屋を回り、必要な資材を揃えた。
泥水でも火が消えにくいよう獣脂を厚く塗った松明を四本、太い麻縄を二束、長剣の刃金を拭うための乾いた麻布を三枚買い込んだ。エントは背負い袋の代わりに雑嚢の口を広げ、昨日買った樫の柄の小刀を抜き差しして刃の収まりを確かめた。雑嚢の底には、ライゼンから渡された火打ち石と鉄片を、濡れないよう油紙で二重に包んで押し込んでいる。
「ライゼンさん、松明の油、もっと多めに塗っておきますか?」
「それでいい。持ち手の布が滑らんように縄を巻いておけ」
「はい!」
夕暮れまでに支度を終え、宿の部屋へ戻った。
エントは手に入れたばかりの小刀を抜き、手桶の水で濡らした砥石で、刃先のわずかな引っ掛かりを擦り落としていた。
夜になり、鎧戸の隙間から冷たい川風が吹き込んできたが、エントはすぐに寝藁へ潜り込み、道具を抱えるようにして目を閉じた。
◇
翌朝、空は薄い灰色に覆われ、東の地平に朝靄が低く這っていた。
ギルドの前の広場に五人が集まった。
ブルーノは大盾を背中に負い、フェリクスは太い捕獲網を丸めて腰に括り付けている。ヨルクの背の長弓には、湿気を防ぐ革の覆いが掛けられていた。
ライゼンは長剣の鞘を左手で軽く押さえ、その数歩後ろに、松明の束と麻縄を両腕に抱えたエントが立った。
「行くぞ」
ブルーノが短く声をかけ、南門へ向かって歩き出した。
五人の靴音が石畳を叩き、まだ人通りのまばらな通りを抜けていく。
門をくぐると、川面から立ち上る生臭い水煙が風に乗って鼻を突いた。下流へ向かうにつれて川幅は広がり、岸辺の平野の奥に、人の背丈を優に超える赤茶けた葦の群生が、霧の底で重く波打っているのが見え始めていた。




