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行きがかりの英雄譚  作者: 水縒あわし
第1章 分かれ道

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第24話



 エントが毎朝、鐘が鳴り終わる前に宿を出て下水暗渠へ通っていた七日の間、ライゼンは一人で町の中を歩いていた。


 夜、宿の部屋へ戻ってきたエントが、泥のついた手で銅貨を数え、暗渠の奥の様子や作業頭に言われたことを話すのを耳に挟みながら、翌朝になれば再び一人で宿を出た。


◇


 最初の日は、町を歩いた。


 川湊の岸壁には十数隻の平底船が横付けされ、分厚い板を渡した通路を、人足たちが麻袋や木樽を担いで行き交っていた。川面を渡る風は冷たく、湿った川泥と魚の脂の匂いを絶え間なく運んでくる。


 船大工の作業場では、平底船の竜骨にタールを塗る黒い煙が立ち上り、大鋸を引く乾いた音が石畳に反響していた。


 職人街へ入ると、皮なめし職人が張った牛皮が壁一面に並び、鍛冶屋の軒下では熱した鉄を打つ火花が散っていた。


 中央通りの市場には、平底船から陸揚げされたばかりの根菜や泥のついた芋、塩漬けの魚を並べた露店が連なり、買い物籠を抱えた女たちが行き交っていた。


 川湊の裏手、荷揚げ場から三筋入った細い路地へ足を向けた。


 板壁が傾き、軒下に錆びた鎖や割れた滑車が転がっている。看板を出していない古道具屋があった。


 開け放たれた引き戸の脇、軒先に置かれた木箱の中に、刃金の減った片手剣や、錆の浮いた鉈、大小の小刀が無造作に放り込まれていた。帳場の奥の腰掛けで、痩せた老人が木片を小刀で削っている。

 ライゼンは歩みを止め、木箱の中に並んだ刃物の峰の厚みや、柄の留め鋲の並びを一瞥した。奥の棚の隅には、使い古された小道具の入った浅い木皿が見えた。店の中へは入らず、そのまま路地の先へと通り抜けた。


◇


 別の日、ライゼンはギルドの掲示板から、一人で引き受けられる依頼の紙を一枚、引き抜いた。



『川船搬入物資の護衛・移送。船着き場から指定宿舎まで。半日、銀貨二枚。単独受託可(真鍮札以上)』



 船着き場の石段へ行くと、灰色の地味な上着を着て、革の書類入れを抱えた若い男が立っていた。買い手である研究者の使いの者だった。その脇に、二頭立ての頑丈な荷車と、手綱を握る人足が一人控えている。


 荷台の上に据え付けられていたのは、太い鉄格子で組まれた四角い檻だった。


 檻の底に、人の膝ほどの大きさのトカゲがうずくまっていた。


 岩場に棲む類で、背中から尾にかけて灰褐色の硬い鱗がびっしりと覆い、四肢には岩肌を掴むための太く鋭い鉤爪が生えていた。横に細く裂けた黄色い瞳が、鉄格子の隙間から周囲を睨みつけている。


 使いの男がライゼンの真鍮札と長剣を一瞥し、書類に印をつけた。



「裏門の宿舎までだ。途中で人が集まると暴れるから、近づけさせないでくれ」



 荷車が動き出した。


 車輪の鉄輪が石畳を叩き、川湊から中央通りへと向かう。通りには荷運び人足や買い出しの町人が溢れていた。


 檻が軋む音を聞きつけて、道端の子供たちや買い出しの人足が立ち止まり、首を伸ばしてきた。



「おい、トカゲの化け物だ」「どこの山で獲ってきたんだ」



 物珍しさに野次馬が荷車へ近づこうとするたびに、檻の中のトカゲが喉を膨らませ、シューッと鋭い威嚇音を立てた。太い尾が鉄格子を激しく叩き、荷車の枠がガタガタと揺れる。


 ライゼンは荷車の斜め前、人足の歩みを邪魔しない位置を取りながら歩いた。


 寄ってくる野次馬の前に立ちふさがり、手で距離を制する。交差点に差しかかると、荷車の死角になる路地の陰に目を配り、車輪に巻き込まれそうな通行人の足を止めるよう、人足に短く声をかけた。


 トカゲが格子に爪を立てて身を乗り出したが、檻が破れることはなく、道中で刃を抜くような事態も起きなかった。


 通りを抜けて指定された石造りの屋敷の裏門に着くと、使いの男が檻の留め金を改め、中のトカゲの四肢を確かめた。

 男は書類に受領の検印を押すと、革袋から銀貨を二枚取り出し、ライゼンの手のひらに落とした。


◇


 また別の日、掲示板の中段の隅に、日帰りの仕事が出ていた。



『北東農耕地、害獣侵入経路の特定および防護指導。日帰り、銀貨一枚』



 受付に紙を出し、北門を抜けて町の北東へ向かった。


 平野の縁に沿って広がる農耕地には、泥で固めた土留めと、細い丸太を組んだ低い柵で囲まれた芋畑が広がっていた。


 畑の入り口で待っていたのは、泥のついた前掛けをした初老の農夫だった。




「昨日も入られたんだ。せっかく育った芋が根こそぎ掘り返されちまってな」



 農夫の案内を受けながら、ライゼンは畑の外周を歩いた。


 土手の斜面、柔らかい黒土の上に、深くえぐれた二つ割れの蹄の跡が残っていた。歩幅は広く、蹄の沈み具合から見て、成獣の大猪が一頭だった。


 柵の根元に目をやる。


 細い丸太の横木が斜めに押し上げられ、地面が握り拳ほどの深さに掘り返されていた。丸太の樹皮には、乾いた泥と、猪の背中から擦り落ちた太く硬い剛毛がこびりついている。


 視線を山側へ移すと、灌木の茂みの間に、下草が踏み荒らされて細いトンネルのようになった獣道が続いていた。近くの山裾から伸びる涸れ沢の出口だった。


 ライゼンは柵の合わせ目を小刀の鞘で小突いた。


 丸太を結びつけている麻縄が雨で腐り、手で押すと横木が簡単にたわんだ。地面との間にも、大人の膝ほどの隙間が空いている。



「ここだ」



 ライゼンは農夫に言った。



「沢の出口から一直線に下りてきている。この丸太の結び目を太い針金に替えろ。地面の隙間には大きな石を敷き詰めて土を固めろ」



 農夫が屈み込み、言われた隙間を覗き込んだ。



「石を詰めるだけで保つかい」


「通り道が塞がれれば、猪は別の柔らかい土を探して迂回する」



 農夫は納得したように頷き、腰の布袋から銀貨を一枚取り出して差し出してきた。


 日暮れ前には町へ戻り、ギルドの窓口に半券を返した。


◇


 七日のうちの、ある日の昼下がり。


 宿へ戻る前にギルドの大広間に立ち寄ると、掲示板の中段には、あの依頼書がまだ同じ場所に貼り出されたままだった。



『川沿い葦原、大水蛇の巣の捜索および駆除。手当て銀貨四十五枚。推奨四人(盾役および捕獲網持ちを含むこと)』



 依頼書の羊皮紙は、他の紙の擦れで四隅がわずかにめくれ上がっていた。


 掲示板のすぐ横の長机で、三人の男が腰を下ろしていた。


 大柄な体躯に擦り切れた鎖帷子を着けた盾役の男が、机に肘をついて眉をひそめている。その隣で、短槍を膝の上に横たえた軽装の男と、背中に長弓を背負った射手が、空になったジョッキを指先で回していた。



「……今日も前衛の応募はなしか」



 短槍の男が低く吐き捨てた。



「受付のやつ、真鍮札の単独者に声をかけてみるって言ってたが、誰も乗ってこねえらしいぞ」


「川湊の護衛のほうが割がいいからな。わざわざ葦原の泥水に潜って、大水蛇の相手なんざしたがらん」



 盾役の男が太い指で机の木目を叩いた。



「網と弓があっても、突っ込んできたところを横から叩く刃がもう一本なきゃ、俺の盾ごと葦の奥へ引きずり込まれるぞ。……腕の立つ前衛が一人、入ってくれりゃあ、すぐにでも出られるんだがな」



 三人は机の上で腕を組み、掲示板の前に立つ冒険者たちの背中を値踏みするように見回していた。


 ライゼンは依頼書の紙面から視線を外し、酒卓の男たちに声をかけることもなく、そのまま踵を返して広間の扉へと向かった。



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