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第六話 シミュレーター

 あれから四週間が過ぎた。今日は訓練日でいつも通りの通常訓練を終え、これからポポフ女史による特別訓練を受けるため、例の黒い板が設置された訓練室へ移動している途中だった。

「最近、宇宙服の操作の仕方が変わってきてないか?」

 同じ分隊員のデイブがヴェルに話しかけるのが耳に入る。非番を合間に挟みつつ哨戒任務と訓練は絶え間なくやってくる。だから、訓練の影響が任務に現れてもおかしくはない。というより現れない方がおかしい。

「操作の仕方というよりさ、判断が早くなった。というか反応が早くなった、ていう感じかな」

 ヴェルのいつもの軽い調子を崩さない言葉に、私は内心頷いていた。

「ああ。見て、確認して、適切な方法を選択して、実行する。それぞれのステップが前よりは確実に短縮されていると思う」

 二人の会話にアダンが加わる。分隊長に次いで階級の高い彼が会話に加わるのは珍しい。彼は階級からくる自分の発言の影響力というのを理解しているからか、普段は隊員同士の雑談に近い会話にフランクに割り込む事は無かった。風紀や規律に問題がありそうな場合は別として、だが。

「短縮されているというのは実感として首肯するところなのですが。自分の感覚としてはそれぞれのステップが以前よりもスムーズに繋がっていると言うか、無意識に最適解を選ぼうとしているというのが近いと感じています」

 アダンの言葉に少しだけ違和感を感じていた私には、このキムの発言はしっくりきた。そう、アダンのいう発見・確認・選択・実行の繋りがよりスムーズになっていた。もちろん、完璧では無いが大きな間違いを犯す事もなかったのだ。

 これは、変則横飛び──あの特別訓練をそう呼ぼう──で得た気付きを哨戒任務に応用してみようと思い立ち、実践してゆくうちに得られた成果だった。

 発見から確認までは思いの外てこずらなかった。確認のための視線移動を省略するだけだったからだ。その代り専任オペレーターに頼んで対象の種別や距離などの情報を分かり易く表示してもらうよう、それこそ色や形、大きさ等で識別しやすくなるようプログラムを修正してもらったのだ。

 選択した動作・機動を実行するのも、今迄行ってきた事の延長線上にあった。他の分隊員達がどうやっているかは知らないが、私は元々自身の身体を使って操作する方が得意だ。例えば反転する時など、反動制御用リングに手指や音声などで指示を出すより、身体を直接捻ってコントロールする方が性に合っていたのだ。だからより早く、より正確に自身の身体を操る事に励めばいいのだった。

 ただ確認から判断・選択までについては簡単では無かった。膨大な数のシチュエーション・視界パターンと、それに適う行動の結び付けは一丁一石に成し遂げられるものではなかったのだ。更に言えば、同じシチュエーションであっても、個人としての判断・行動が要求される場合と隊としてのそれが要求される場合があって、単純な結び付けをする訳にはいかないのだ。

 だが、迎撃兵としてみると。個人あるいは隊の行動は、詳細は異っても、結局二つのケースに分類されると気付いてからは、それ程大きく外すような事は無くなった。その二つのケースとは、今これから相手を迎えるのか、それても補給あるいは撤退しているのか、だった。そこさえ取り違えなければ、そしてその時の自分の役割や位置取りさえ理解していれば、選択肢は大幅に狭まる。選択肢が減れば迷いは減る。こうやって発見から行動までの繋りはスムーズになってきたし時間も短縮されてきたのだ、というのが私の実感だった。

「はたから見れば、高々十分の一秒程度でしか無いだろうがな」

 リック分隊長が苦笑のような発言でこの雑談を締め括る。だが、分隊員は全員知っている。十分の一秒は高々などと言う言葉で修飾される様な時間では無い、と。私たちは一秒間で数百から千メートル以上の速さで動くものを相手にしている。相対的に見れば彼我の速度差は更に倍以上になる事もある。その中で十分の一秒早く動ければ数十から数百メートルは早く動きだす事ができ、優位に立つ可能性は増え、無駄な距離を機動する事も減り、燃料も生命維持に必要な資源も少量ですむかもしれないのだ。だからリック分隊長の言葉は私たちに向けたものでは無い。分隊長の言葉は軍の外側から見た場合の評価だ。お前達は、()()十分の一秒のためにどれだけの予算を使っているのだ、という民間人──特に地球に住む者──の評価の事だった。

 雑談が全員の苦い笑いで終る頃、訓練室はすぐそこまでの距離に迫っていた。分隊長を先頭に訓練室に入った私達の目にあの黒い板は映らず、代わりに大型の立体的な機器が三台鎮座していたのだった。機器の前に立つポポフ女史は私たちの入室に気付くとその小柄な身体をこちらに向ける。

「皆さん。迎撃隊の全隊員が[L8]をクリアしたので、今日からはこのシミュレーターによる訓練に移ります」

 その機器は確かに彼女の言う通りHMPSSのシミュレーターに酷似していた。ヘルメットとパワーアシスト用の外骨格、装着者の動きを読み取るセンサー群が仕込まれたベルト。全体を繋ぐ背部支持板がバックホーに似た大型機器のアームの先端に、バケットの代りに接合されていた。ただそのアームが、今迄のシミュレーターとは比べものにならない位長く複雑な形をしていたのだった。そしてバックホーの運転席に相当する個室の背後には人の背丈程の正方形のディスプレイが聳えていたのだった。

「まずは、私がやってみますね。イサワさんお願いします」

 そう言ってポポフ女史が中央の機器に近付くと、機器の側に付いていた一人の技師と思われる女性が彼女にセンサー群のベルトを巻きつけ、外骨格を調整しながら装着し、最後にヘルメットを被せた。それが終ると女性技師は、バックホーの運転席に相当する部分に乗り込みなにやら手元を操作する。ポポフ女史は装着具ごと宙に持ち上げられた。

「シミュレーション反復横飛び[L5]開始します」

 マイクを通した技師の音を合図に、ポポフ女史の身体は中空であの変則横飛びの動きを再現しはじめる。確かにそれは横飛びの動きだったのだが、その速度、というか動き出しと停止の速度が尋常なものではなかった。ジェットコースターならもっと大きな力を体感する事ができるだろうけれど、それは滑らかに変わる力の中での最大値が大きいのであって、静止状態から一瞬で最大値の力を体感する事は無い。だが、このシミュレーターはそれをやってのけたのだ。

 背後のディスプレイにはポポフ女史の視界が表示されているのだろう。白線が左右に、距離も時間もランダムに現れては消える様子が表示されていた。それに気付いた私は、自分の感覚を呼び起こし比較する事で、彼女の動きがどれひとつとして誤たず、全て正確にトレースしていると判断した。中には自分の感覚に無い程大きな距離を跳んだものもあったが、着地、に相当する映像は正しく白線を捉えていたのだった。恐しいものを見てしまったものだ。治まる事のない胴震いが私を捉えて放さなかったのだった。

 一分間の激しい運動をを終え、床に降ろされた装着具から抜け出してきたポポフ女史は、何事も無かったかのようにすたすたと私たちの前に歩いてきた。あれだけの急激な揺動に晒された直後の人の動きとはとても思えない。顔色さえ普段通りのままだった。

 私は化け物を見るような目付きになるのを自覚して、それを表さないよう必死に堪えた。

「見ての通り、人間の身体では出す事の出きない力で反復横飛びをしてもらう事になります。シミュレーターの設計上、左右へは初動で最大1Gの加速が掛ります。今後慣熟が進めば上下、前後へも跳んでもらう事になりますが、全て初動最大1Gで行われます。つまり、それが新型宇宙服の仕様という事です。ここ迄で、何か質問は?」

 誰も声を上げなかった。何を質問すればいいのか、私は何も思いつかなかったのだ。それはポポフ女史も想定したらしく、にっこり笑ってこう告げる。

「体験してみなければ分かりませんよね。先ずは10秒体験してもらいましょう。分隊長、アダン、ヴェルの三人からどうぞ」

 呼ばれた三人は、単純に女史から見て左から三人だったに過ぎないが、その並びのままそれぞれシミュレーターに向かう。シミュレーター付きの三人の技師によって手早く、だが落下しないようしっかりと装着具を身に付けられ宙吊りにされていった。開始の合図とともに始まった三人の横飛び運動は……蹴飛ばされ、止めきれず、切り返しも遅れ、タイミングを逃し……シミュレーターに振り回されっぱなしの10秒だった。床に下され装着具を外したあと何とか立っていられたのは分隊長ただひとり。あとの二人は立っている事も困難で床に蹲まってしまっていた。

「少し休んで下さい」

 技師のサポートを受けるアダンとヴェルの二人は、それでも満足に立てなかった。「仕方が無いですね」と呟きアダンの下へゆく女史に何をするのか訝る私は次の瞬間驚きに開いた口が塞がらなくなった。

 女史はひょいとアダンを小脇に抱えあげるてしまったのだ。そのままヴェルの下へゆき更に彼も反対側の小脇に抱えてしまった。疲労のためか足をばたつかせる事もなく、二人は女史に抱えられたままシミュレーターの外へ連れ出してしまった。

 それこそ化け物を見る目をしてしまったのだと思う。

「やだ、私は化け物じゃないですよ? 単に身体強化が使えるだけで、普通の人間です」

 いや、化け物だろう! いや、だからあんな人体破壊シミュレーターでも大丈夫だったのでは? いやいやそれだと分隊長も化け物並って事になるが……

「ちなみに、私がシミュレーターを使った時は身体強化は使ってませんよ。どのレベルまでクリアできるかはその人次第ですが、大体の人は[L5]位は出来るようになります。ここは軍ですから皆さんのミッションは[L6]から[L7]クリアでしょうか。さて、分隊長もシミュレーターの外に出たようなので、キム、デイブ、サラの三人は準備して下さい」

「……イエス……マム」

 一番左のシミュレーターに進む私の歩みはまるでバンジージャンプに挑む絶望の底に沈んだ人みたいにのろのろとしたものだっただろう。そいうスリルが好きな人ならどうなんだろうか。嬉々として臨むのだろうか。いや、そんな人でもあれは無理だろうな。などとグダグダ考えながら進む私に「はい、キリキリ動く!」と叱咤の声が飛ぶ。腐っても軍人である私は、檄を飛ばされれば身体が自動的に反応してしまう。残りの行程を駆ける様に縮めるのだった。

 センサーのベルトを上腕・前腕・胸・腰・腿・脛にきっちりと巻かれ、その上から外骨格を緩みなく装着され、ヘルメットを被せられる。背後のアームが駆動音とともに上げられると、両足が床を離れていった。緩みの無い外骨格は身体を一分の隙もなくホールドし、落下の恐怖は全く感じさせなかった。

「腕は脇にぴったり付けて、肘から先は90度を維持して下さい。それでは開始します」

 指示通りの姿勢をとり視線を前方に固定する。両足の間に白線が表示され視界全体を、眺めるよう意識を切り替える。左端を白線が掠めた、と考えるまでもなく、変則横飛びの要領で右脚を蹴り出しした。上手くいった、思ったと同時に、恐しい衝撃が身体を襲った。首が右に倒されようとする。外骨格が無かったらへし折られそうな衝撃だ。

 現行のHMPSSで加速する時のあの背後からの衝撃に比べれば確かに小さいが、それは確実にハンマーで全身を一度に叩かれるようなあの衝撃だった。今まで受けた事の無かった方向からのそれは、咄嗟には対処の方法さえ思いつかなかった。だがそれは一秒にも満たない時間の事だった。その衝撃が過ぎさった時、私は一つの重大なミスに気付いてしまったのだ。

 真横に跳んでない。原因はすぐ分かった。蹴り足の力を込める方向が、重力のある事を前提にしたものだったのだ。コロニー内だから疑似重力と言う可きか、いや今そんな些細な事はどうでもいい。このズレを修正しなければ、と左手指に修正パターンを描かせる。軌道修正用スラスターの作動を指示するそれは、上手く働いた。が着地には遅過ぎた。すでに左の白線は視界の中央に近付いていた。今度は着地しようと左足を出す。先程とは逆方向からの衝撃が身体を叩く。首が左に倒されようとする。叩き付けられながらもスラスターを先程とは逆方向に噴射させ上下動が0になるよう左手の指をひらめかせた。

 これだけ長く説明しているので、時間的な余裕はあるのだろうと思うかもしれない。だが、実際はここまで半秒と掛っていないのだ。あと十九回以上こんな事を繰り返さないといけないのだ。こんなの、耐えられる人が居るのだろうか? いや、居たよ。ポポフ女史が、居た。やはり彼女は化け物だ。しかも身体強化無しで一分間やってのけてたよ。

 次々と明滅する白線を追い掛け上下左右に振り回されながら私がぼんやり考えていた事は、無理だ・出き無い、ではなかった。無理だろうな・出き無いだろうなと思いつつも、頑張れば無理じゃなくなるかも・出きるかもしれない。選ばれた人にしか出きない事かもしれないけど、そうじゃないかもしれない。出きないかもしれないけれど、そうと分かるまでは食らい付いてみよう、という事だった。

 気が付けば私は床に下され、装着具は全て外されていた。私も、アダンやヴェルと同様立ち上がれない者の一人だった。顔色は多分悪いし、何なら軽い吐き気もあったが、シミュレーションを開始する前の絶望的は気分は残ってはいなかったのだ。

 シミュレーター付きの技師に支えられながら訓練室の壁際に連れていってもらい休憩をとる。隣にはデイブが座り込んでいた。更にその隣にはキムが。二人とも青い顔をしていた。私の顔も負けず劣らずだっただろう。互いに無理矢理作った苦笑いを見せ合った。

「さて、初体験いかがだったでしょうか。その辺のアトラクションでは味わえないスリルを体験できたと思うんですが」

 ポポフ女史は、悪戯っ子のような笑みを浮べていた。

「あれは……公的機関の許可が下りないと思います、マム」

「そんなアトラクション、任務以外で体験したくはないです、マム」

 そんな意見がボソボソと呟かれる中、私は違う事を考えていた。いや、そんなものがあったら行くしかないでしょう、と。

「サラは、喜び勇んで行きそうな顔をしてますね。非番の時間全てを使ってでも行きそうです」

 見抜かれていたようだ。まったく油断ならない女史だった。私は苦笑と照れと気分の悪さの混じった変な顔を作るのが精一杯だった。ポポフ女史は悪戯っ子の笑みを崩さずに分隊員全員に号令を出した。

「5分間の休憩を挟みながらの10秒間シミュレーション十回を1セットとします。今日は1セット行って下さい。進捗次第でシミュレーション時間を増やす、セット数を増やす等対応していきましょう。では分隊長、アダン、ヴェルの三人から始めて下さい」

 女史の声が高らかに訓練室に響き渡った。


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