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第五話 新しい訓練メニュー

「新装備による訓練の前にやらなければいけない事があります」

 ポポフ女史はそう言うと、私達を訓練室へと率いていった。そこには、見慣れない4メートル四方の薄く黒い板状のものが6セット敷かれていた。黒い板の角から伸びたケーブルの先には表示パネルと端末が、そして端末には作業員がひとり付いていた。これから何をやらされるんだ、と私は訝る。

「これから反復横飛びをしてもらいます。まずは私がやって見せますね」

 そう言ってポポフ女史は一枚の黒い板の中央に立ち、作業員にお願いします、と声を掛ける。端末を操作する作業員が「レベルはいくつから?」と問うとポポフ女史は「5で。10秒毎に一つずつ上げる感じで」と返答する。「どうぞ」と作業員が応えると黒い板の中央に一本の白線が現れ、彼女はそれを軽く跨ぐ。

 何が始まるんだと注視していると、彼女の身体は左右に軽やかに跳躍していった。ただし、その幅は長い時もあれば短い時もあり、移動方向も規則的ではなく、跳躍と跳躍の間の時間もばらばらだった。彼女は自分の意思でそう動いているのではなかた。黒い板上に現れては消える白線がその様な不規則なものだったのだ。彼女はその不規則に現れては消える白線を一挙動で踏むよう、自身の身体を跳躍させていたのだった。

 彼女の動きは次第に速くなってゆく。最初は蝶の様な動きだったそれは、最後には忙しない蜻蛉のそれに変わり、突然の静止で終わりを告げた。

「これを皆さんにやってもらいます。見ていて分かる通り一分間、現れては消える白線を追い掛け踏んでください。三十秒の休憩を挟んで十回を1セットとして、4セットやりましょう」

 息を詰めて注視していた私達は、彼女のその指示に意識を取り戻し、それぞれ思い思いの黒い板へ進んだ。

「レベル1からお願いします。10秒間問題なかったらレベルを一つ上げて下さい。休憩後は直前にクリアしたレベルの一つ下からの開始で」

 私達が全員黒い板の中央に立った事を確認したポポフ女史は、黒い板の横で端末を操作する作業員に指示を出した。

「開始してください」

 私の両足の間に白線が表示される。左右どちらに次が現れるのか、視線を絶え間なく揺らす。右っ、と思ったのは視線が左に向いていた時だった。左足で黒い板を思い切り蹴る。だが力を込め過ぎたのか右足は新た白線を足幅五つ程外に外してしまった。

 今が右だったから次は左、と見当を付けると果してその通りだった。それも中央。右足で黒い板を蹴る。が、今度は足幅三つ程足りなかった。次は。普通の反復横飛びだったら、次は左だが、と考えていると予想通り次は左だった。が今度は足幅二つ程多かった。

 視線を左右に飛ばし、何時何処に現れるか分からない白線に常時意識を払いながらのレベル1は、終ってみれば極普通の反復横飛びだった。現れては消える白線を、正確に踏む、という二つの違いを除いては、だ。だが常に白線に探し続ける事によるストレスと、そこへと移動するための力の加減を瞬間的に判断し実行しなければならないという負荷が、単なる一分間の反復横飛びをそれ以上のものにしていたのだ。

 両膝に手を付いて屈んでいた私の息はとても荒いものだった。たった一分間の運動にここまでの疲労を感じた事は無かった。ちらりと表示パネルを見ると[L1]の表示が映し出されていた。多分次の一分間の開始レベルの事だろう。白線をきちんと踏めてはいなかった。だが、たった一分の経験でレベル1は通常の反復横飛びと同じという事が分かった。だったら、それに合わせて蹴る力を調整すればいい。それでクリアできるだろう。だが、それでいいのか? レベル2になったらどうする? そのパターンを分析・把握していけば多分同じ事は出来ると思うが……それがこの訓練の目的なのか? 多分違う。

 それは全てのレベルのパターンを記憶する事と等しい。けれど、高レベルのそれに、パターンなんてあるのか? という疑問に行き着く。ではどうする。

 そう考えていた時だった。それは休憩時間が終わるギリギリの間合だった。

「皆さん。視野をもっと広く持つ事を考えて下さい」

 ポポフ女史の助言が聞こえてきた。視野を広く……深く考える前に開始を告げられる。再び中央に立ち白線を跨ぐ。疲労はまだ抜けてはいない。30秒で回復するには少々疲れすぎていたようだ。白線の視認が遅れてしまった。咄嗟に黒い板を蹴るが、次の白線は踏めなかった。それはしようが無い。そもそも視認が遅れたのだから。先程分かった事実を使えば、今回は少し楽に動けたかもしれない。だが、それは何か違う。そんな事を考えながらやっていたからだろう。次の休憩時間も荒い息を吐いたままだった。表示パネルは相変わらず[L1]。他の分隊員のそれを見る余裕は全く無かった。

 だが、と思う。先程より疲れてないんじゃないか? と。

 二回目だから身体が少し慣れてきたという事も考えられる。だが、それだけでは無いような気がしている。

 もやもやした気分を抱えながら三回目に挑む。目の動きが鈍い。右、左と交互に視線をやるが、二回目までと比べてもその動きが小さくなっているのを実感する。

 [L1]からの四回目、視線を動かすだけの気力が尽きかけてきた。意識ははっきりとしている。ただ、頻繁に目を動かすのが億劫になってきたのだ。もう、どうにでもなれ、とさえ思っていたのだ。それなのに、明滅する白線への身体の反応は良くなってきた気がしていた。いまだに踏み外す事は多い。だが身体は楽に動けるようになってきた。

 四回目の休憩時間、息は荒いがもう膝に手を付く程では無かった。だから、少しだけ考える余裕ができた。もう視線は動かさない方がいいのでは? 四回目はそれまでと違い、身体の固さがほぐれていたように感じた。それ迄との違いは何だ?

 五回目、もう視線は正面に向けたままだ。そして正面を注視する事を止めた。ぼんやりするのとは違う。ただただ眼前の映像をそのままに捉える事にしたのだ。

 映像の左端が変化したのを感じた。視線を向けそうになるのを堪える。その代り右脚に力を込め、跳んだ。着地した左足が線を踏んだかどうか確認のために下を向きたくなる。がそれも堪えた。目の前に広がる映像パターンだけを覚えるようにした。次は右端が、そしてまた右端がと刻々と変わる映像パターンに合わせて身体を動かし跳ぶ。一々確認したくなる衝動をその都度抑えていくうちに身体が順応したのか、視界の揺れは少なくなり、首と肩の力が抜けるようになってきた。それを実感した時、五回目は終了した。

「サラさん。だいぶ良くなってきました。その感じを忘れず続けて下さい」

 急にポポフ女史から声を掛けられ、思わず声のする方へ振り返る。目に飛び込んできた彼女は、もう一息! とでも言えそうな仕草をしていた。まるでハイスクールの学生のノリだ。軍の訓練とは場違いなその仕草に、私は思わず脱力してしまった。これは、小会議室での印象を改めないといけないのか? あの時の老練な雰囲気は気のせいなのか? 

「……あ、はい」

 私は言葉少なに応じた私は、いや今はそれよりも、と先程の感覚を思い出そうと努める。分かった事は、あまり白線の明滅に気を取られない事、できれば広く全体を認識できるようにできるだけリラックスする事だ。そう、「視野を広く」だった。漠然と眺めるのではなく、映像パターンとして捉える。極端に言えば視野に映る個々のものを、あれは何これは何と識別せずあるがままに受け入れる。その状態になると、その変化が、たとえそれが何であれ、酷く目立ってくるのだ。特に白線の明滅の様な急激な変化は目立つ。あとはその変化に対して身体が正確に反応するように馴らしていけばよい。着地の確認も同じようにできるだろう。新たな映像パターンとその時の自分の姿勢、両脚の開き具合や足腰の屈め具合を付き合わせ、身体に覚え込ませていく。

 六回目、中央に立った私は最初の白線が現れると、左足でそれを踏み着地をイメージした姿勢をとりながら視界に映る映像パターンを覚える。まずはそこからだ。最初は右。これは右足での着地になるから反応優先で、とりあえず右へ跳ねる。次に左。蹴り足の力を調整して最初に覚えた映像パターンと比べる。始めの内は大まかでいい。次も左、そして比較。右、右、反応優先。

 七、八、九、十回目と、まず左足着地の正しい映像を頭に染み込ませ、左の映像の変化と右脚で蹴る力の調整を繰り返していった。

 一つ目のセットが終わると少し長い休憩が設けられた。ここでようやく他の分隊員の進み具合を確認する余裕ができた。大体が[L1]のままだった。分隊長だけは[L2]と表示されていた。あれが次の開始レベルだとすると、分隊長はもう[L3]をクリアしたという事だ。他は私と大差ないようだった。今は一人ひとりに一々確認すべきではないだろう。映像の変化を蹴り足の調整に結び付け、それを脳と身体に染み込ませる事が優先だ。左へ跳ぶ場合は大分良くなってきたと思う。2セット目からは右へ跳ぶのパターンを加えていこう。

 2セット目の一回目から五回目、左右を逆に再び同じ事をひたすら繰り返す。そうする事で右の場合の力加減が何となく分かってきた。まだぎこちない面はあるが、あとは反射で行えるようになるまで反復するだけだ。

 そして2セット目が終わる頃、[L1]とは異なる明滅が現れたのだった。新しいパターンは左への跳び幅が毎回異なっていた。だがそれで慌てる事は無かった。今迄だって白線をきっちり踏んだ状態から次の動作に移っていた訳では無いからだ。時にはより遠くへ、時にはもっと近くへと跳ねなければならなかった。それの応用と考えれば[L2]は体験済みだったとも言えない事もないのだ。あとは新しい距離感を感覚に落とし込むだけだっ

た。

 3セット目、4セット目と続けるうちに白線の明滅パターンは様々に変わっていったが、それでもやる事は一つ。新たな映像の変化と蹴る力の量を感覚的に脳と身体に馴染ませる、それだけだった。だから私はただひたすらその感覚を身体に叩き込んでいたのだった。

 4セット目が終わった時、私の表示板は[L3]に変わっていた。他の分隊員の表示を見ていくと、分隊長が[L4]、ヴェルが[L3]で他は[L2」だった。これは成績としてはどうなのだろう。良し悪しを比較するもの、例えば他の分隊の成績が分からないから知る由もない事だ。だが、そう言う疑問の解消は訓練後にやればいいだろう。

「皆さん注目」

 ポポフ女史の号令に私は直立し、身体を彼女に向ける。全員が彼女に向き直ったのを確認したポポフ女史はこう続けた。

「表示板に示されているのは次回の開始レベルです。皆さん[L2]以上なので、今の一時間半程の訓練で[L3]はクリアしたという事です。初めて受ける訓練で、この成績は優秀だと言えるでしょう。普段の鍛錬の賜物でしょうか」

 ポポフ女史は私達一人ひとりの顔を順繰りに見詰めながら評価を述べる。

「哨戒・アドヴァーサリ訓練もありましたから、今日はここまでにしましょう。明日以降の訓練メニューにはこの変則反復横飛びを加えていきます。[L7]がクリアできるまで毎回4セット行なって下さい。何か質問は?」

 私を含め、声を上げる者は一人としていなかった。これがどう役立つのか、などと言った疑問は単なる一兵卒が口にするものではないからだ。まあ、分隊長は単なる兵卒では無いけれど。軍の訓練に無駄なものなど無い。その時が来れば自ずとその意図を悟るようになる。その日が来るのをただ大人しく待てばいいのだ。

「今日の訓練の映像は全て録画してあります。閲覧するには端末から訓練データベースへ自身のIDで照会して下さい。今日はこれで解散」

 イエス・ マム! そう言って敬礼する。それは私だけではなかった。ここに居る隊員全員が敬礼していた。ポポフ女史が、苦笑気味に答礼を返す。様式美はここまででいいですよ、そう言って彼女は訓練室を出て行った。その足取りは軽やかだった。私たちはそれを黙って見送る。

 様式美と言われた敬礼は、実はたんなる形だけのものでは無かった。それは分隊長も含めた隊員全員の、ポポフ女史への敬意がもたらしたものだった。彼女が最初に見せた手本は[L5]から始まり、十秒毎にレベルを一つ上げ、一分後には[L10]に達していたのだ。それも軽々と。私より小さな体躯であるにもかかわらず、だ。

「すげえな……」

 ヴェルの呟きが全員の気持を代弁していた。ハイスクールの学生の様でありながら経験豊富な老練さを持ち、更には鍛えあげられた兵にも劣らない、年若い情報部の連絡員。なんなんだ、それは。どれだけハイスペックなんだ。あまりにも突き抜けた存在を目の当たりにすると、もう羨望も嫉妬も覚えない。過去何人も目にしたあの人達と同じだ。

 何とも言えない深い溜息をひとつつき、私は足早に訓練室を後にする。早く自室に戻って今日の訓練映像を確認したかったのだ。


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