第三話 哨戒と訓練
「今日の哨戒任務ではさ、アドヴァーサリが出てくるってブリーフィングで言ってたけどさ……」
隣りを歩くヴェル──同じ分隊のヴェルディナンド・ロレンツがぼそっと呟いた。あの襲撃から一週間が経った。今、私とヴェルは出撃室へと向かう長い通路に居る。私より頭一つ背が高いヴェルを見上げる。軍人らしいとても短い髪の面長のヴェルの視線は前を向いたままだった。ヴェルの話は、先程の任務前打ち合わせで話に出た|敵部隊のシミュレート役の事だろう。アグレッサーとも呼ばれるが、宇宙軍ではアドヴァーサリと言うのが習わしだった。
だが、それがどうしたと言うのか。哨戒任務が訓練を兼ねる事など珍しい事では無いだろうに。つまらない話題だったらただじゃおかない、という気分を込めて私は短かく返す。
「それで?」
私の返事に何か感じるものがあったのだろうヴェルは、慌てて私を見下ろし機嫌をとろうとした。
「まってまって。第一のトホフトから聞いた話なんだけど。最近アドヴァーサリに凄い奴が入ったらしいんだ」
へえ。凄い奴と聞いた私が思い浮かべるのは、今迄常に私の上を行きトップ10に入る人達の事だ。才も努力も普通じゃない人達。どちらかだけでは足りない。片方しか無ければ、ちょっとだけ優秀な私でも追い付ける。追い越せはしないが。私が仰ぎ見て来たあの人達は、どちらも並外れていた。私が凄いと思うのはあの人達だった。
そんな凄い人達が軍になんぞに入るものだろうか。ヴェルの言葉に疑いを持たない訳にはいかかった。
「どんな奴?」
ヴェルには、冷たく乾いた感じに聞こえただろう。私もそれは意識していた。ちなみにヴェルは階級は同格だが私の2年先任だ。つまり階級は同じでも先輩格なので、本来は今の私の態度は制裁対象となってもおかしくない。つまり殴られても文句は言えないのだ。それなのに何故私が不遜な態度をとってるかというと、彼直々のお願いによっている。私が第三分隊に配属された時、彼が
『俺こんな感じで軽薄だし堅苦しいの苦手なんだよね。階級、上になっちゃったらしょうがないけどさ。同格だったら年齢や後先、関係無しにしたいんだよね』
と言ったからだ。だから私はずけずけ言うし、素気なくもする。
「トホフトの野郎あんまりはっきりと言わなかったけど、見た事も無い動きをする、とんでもない奴らしいぜ」
私は一瞬足を止まった。今迄のアドヴァーサリとは一味違う本当の訓練が、今日は待ち受けているかもしれない。
そう思うと、腹の底から熱いものが込み上げてきた。
「それは、楽しみ、だな」
だろう? とヴェルが、普段なら鬱陶しいだけの、どや顔をするが、今はそれ程気にならなかった。他に情報が無いか、根掘り葉掘りヴェルを問い詰めるが彼もそれ以上のものは持ち合せてはなかったようだ。
そんな会話を続ける内に目的地へと辿りつく。HMPSS装着室。別名出撃室。
やけに深い、あるいはぶ厚いというべきか、浴槽みたいな跳ね上げ扉が幾つも並ぶその部屋は何人ものオペレーターやメンテナの人いきれで溢れかえっていた。
私はヴェルに「また後で」と声を掛け、自分専用のハッチに近づく。ハッチの側に付きっ切りの専任のオペレーターとメンテナに挨拶する。
「何時も通り、宜く頼む」
「了解、サラ」
HMPSSは装着者の体格によって細かなカスタマイズが必要になる。見てくれは軍規格品で無個性だし、装着者の体格基準もそれなりに規格化されてはいるが、最高のパフォーマンスを発揮させるにはそれなりのマッチングが必要になる。だから私の機体は私専用だし、オペレーター、メンテナも専任になるのだ。
ここで私は、先程のヴェルの情報に基いたチューンは、敢えてしなかった。目的はアドヴァーサリに勝つ事では無く、こちらの弱点を実践を通じて理解する事、だからだ。相手はどう動き、こちらはどう動かなければいけなかったのか、頭と身体に覚えこませないといけない。だから今迄通りの調整で臨む事が必要不可欠なのだ。
ハッチ奥の宇宙服に二本のケーブルで繋れた二つのモニターとコンソールを、素早い指使いで操るオペレーターとメンテナは私の機体を遅滞なくセットアップして行く。僅か数語で意思疎通する二人の掛け合いは、いつ見ても気持の良いものだ。
「オッケーです」
「セットアップ完了」
二人の作業に見惚れていた私は、掛けられた声に意識を取り戻す。
「ありがとう」
一言だけ感謝を告げた私は、ハッチの奥にある宇宙服へと体を潜りこませた。両足を、ついで両腕を宇宙服のそれへ差し込み、全身をその空隙に押し込む。背後から三度、音が聞こえた。一つ目は宇宙服内を密閉するための背中部分が閉じられる音。これはプラズマエンジンを載せる為のジョイント部分でもある。二つ目はそのジョイントにエンジンが装着される音。そして三つめはエンジンを含んだ全体を出撃室から分離し、密閉する為の浴槽ハッチが閉じられる音、だ。与圧・減圧は、最後のデカい浴槽の内部でだけ行なわれる。空気を充填するのも抜くのも最小限で済むこのシステムを開発したのがルスだというのは皮肉としか言いようが無い。
棺桶と化した宇宙服はクレーンで加速器の架台に運ばれていく。
架台に据えられた振動と外部電源が接続された為の通信回復に、少しだけほっとする。
『ヴェル、サラ。一分後に発進。ブリーフィング通り安全距離到達後、コロニー東側をソーラーサイドへ向かえ。索敵はアクティブ。遭遇したデブリは可能な限り捕獲する事。ソーラーサイド到達後は同軌道を逆進、帰投せよ。帰投後検討を行う』
通常の哨戒兼デブリ掃除の手順で今回の担当宙域はコロニー東側という事だ。了解のサインを送りしばらく待つ。発進の指示が聞こえ視界が回復、そして背面全体を叩きつけられた私はあっという間に瞬かない星の世界へと投げ出されていた。
しばらく慣性まかせに航行したのち、コロニーが左前に見えるように姿勢を変える。そこには巨大なスターサイドの円盤が視界の半分を占めていた。丁度視界の中央に円盤の端っこが来ている。視界の左隅には宇宙艇の着床ポート集合体、俗に言う茶筒が見えた。円盤の少し奥には、コロニーの自転方向とは逆回りする巨大なリングがあるが、その全体は視界の外にあって、それを支えるためのスポークくらいしか見えない。スポークの更に奥を付け根とする巨大な湾曲した板である太陽電池パネルが、星野を台形に切り取るようにそびえていた。
今回のコース設定はスポークの先、巨大なリングを迂回するように設定されていた。背後のエンジンを噴かす。緩やかなカーブを描きながらコロニーの東側へ回りこむ。しだいに居住部の底にあたる壁面や太陽電池パネルの陰に隠れたグラスパネル、通称河が姿を見せ始めた。スポークの先にある巨大リングが視界の右端に姿を表す頃、今度はコロニーが右前に見えるように再度姿勢を変える。茶筒が視界の真ん中辺にきた。それは少しづつ左へ流れてゆき、スポークがその存在感を増してゆく。私は頭だけを右に振った。そこにあったのは接近するリングだった。宇宙服のコンピュータが律儀に映し出す白線はリングの外をかすめている事を示していた。その白線上の少し先にはヴェルの宇宙服を表す緑色のマーカが表示されている。
コロニーのリングの真横で、私は背後のエンジンの噴射を止める。白線はコロニーの真横をサニーサイドへと一直線に伸びていた。私は先行するヴェルへと通信を送る。
「軌道変更完了。ヴェルの後衛位置を確保」
『了解、サラ。これよりアクティブを二秒間隔で打つ。サラは一秒ずらして打ってくれ。……3、2、1、ピン』
ヴェルに遅れることきっかり一秒後、二秒間隔でアクティブを打ち始めるが周囲は静なものだった。異常があれば赤色マーカが表示されるが、まだそれは無かった。
そんな静かな時間はコロニーの半分を過ぎるまで続いた。
『前方に異常軌道物体有り。これより接近行動に移る』
きっちり一秒後、私の視界にも赤いマーカが表示された。その軌道要素を確認した私は、左手指の動きで右肩のレーザーにそれを追跡するよう指示する。
「サラ、異常軌道物体確認。レーザーで追跡中。ヴェルの接近を支援する」
『了解。接近開始』
直後、ヴェルの宇宙服はあらかじめ姿勢を変えていたのだろう、私の視界の更に先へとプラズマ噴流の光柱が走るのが見えた。私とヴェルの相対距離はどんどん縮まる。が、異常軌道物体との距離はそれよりも速く接近していた。そいつはレーザー追跡の予想軌道を外れはじめていた。それは加速しているのか? そんな事があるのか? 数瞬の迷いの後、私はヴェルに事実だけを告げた。
「ヴェル。異常軌道物体は予想軌道を外れている。邂逅点は……十秒後、東側百」
『了解っ。くっ、間に合わねぇ!』
レーザー追跡も間に合わない。いや、追跡できない。なぜならその赤いマーカは上下左右ジグザグに動きまわっているからだ。しかもそのリズムに規則性が無い。更に前後の加減速も自由自在だったのだ。あり得ない……
『サラ……。ロックされたみたいだ……。いくら逃れようとしてもピッタり張り付いて引き剥がせねぇ』
ヴェルの呆然とした声が響く。赤いマーカはヴェルの行動を予測しているかのように彼との距離を保ちながらも複雑な動きをしていて、あれでどうやって狙いを定めているのか、まるで魔法でも見せられているような気分になった。
『駄目だ。動けねぇ。戦力外通告をくらっちまった』
どうする。戦うか。逃げるか。やはり指示を仰ぐべきか。
「管制、こちらサラ。現在敵対的所属不明機と遭遇。不明機は見た事の無い機動を行う。今後の対処方法を乞う」
管制からの指示はふた呼吸の後届く。
『サラ、こちら管制。不明機をコロニーから引き離せ。できるなら捕縛せよ。それから記録を忘れるな。以上』
捕縛……無理だろう。
「サラ、コロニーからの引き離し及び捕縛、了解」
無理でも指示が出た以上はそれに従わざるをえない。仕方が無い、記録を開始しよう。
さて、コロニーとの距離を確認しよう。視界に重ねられた表示を読むとエンジン全開でも問題無しだ。赤色のマーカの位置と距離を確認。さっきより近付いていた。それもあのジグザグ機動でだ。本当に有り得ない動きをする奴だ。
まずはコロニーへ向けてプラズマエンジンを噴射する。これで相手が私を追ってきてくれれば、引き離しはクリア。という事にさせてもらおう。追ってこなかったらどうするか、まだ考えは無いが、それはその時の話だ。
運よく相手は私を追ってきてくれたようだ。次はロックされないように接近しなければならない。相手はあんな機動を行いながらヴェルをロックし続けた腕の持ち主だ。こちらも相当の無茶をしないといけないだろう。とりあえず赤いマーカが正面にくるように姿勢を修正する。さて、ここからだ。私の右手があるパターンで動く。パターン入力後、上体を適当に前後に揺すったり左右に捻ったりする。するとどうなるか。プラズマの噴出する方向が上下左右に偏向するのだ。だから私の宇宙服はその向きを変えずに上下左右に機動する事になるのだ。
これはあまりやりたくは無かった。想像してみるといい。凸凹で未舗装の道路を猛スピードで駆け抜けたらどういう目に合うかを。きっとそれは生涯心に残る体験となるだろう。その体験を今私は味わっている訳だ。そして赤いマーカの奴は、私の宇宙服がとる機動より更に大きく鋭い、デタラメな機動を行っている。私が有り得ないとか魔法のようだと言うのが分かってもらえただろうか。
と、色々悪足掻きをしている訳だが、そもそも今の私では相手をレーザー追跡する事すら容易ではない。相手の動きがそれを許さない。ましてや相手を捕縛できるなどとはひと欠片も思ってはいない。ただただ時間を稼ぎ、できるだけ多くを記録し、分析資料を増やす事だけが目的だった。そしてそんな私の悪足掻きも長くは続かず、とうとうレーザーロックされ、戦力外通告がなされてしまったのだった。
色々と衝撃を受けている私に管制からの指示が届いた。
『ヴェル、サラ。訓練を終了する。帰投せよ』
了解のサインを送信し、今の管制の言葉を噛み締めた。今のは訓練なのだ。それもアドヴァーサリ相手の。つまり、近い将来、所属不明機という名のルスの襲撃はあの様な形態になる、と上層部は考えているという事だ。私もあれを修得しなければならないのだ。それも、その為の訓練に費せる時間は多分、それ程無い。だが今の機体でそれが可能だろうか。先程の私の機動だって、完璧とは言わないができる限りの事はやったつもりだったのだ。それ以上を求められるとは……ぞっとする現実に私の背中は冷い何かで覆われていく様だった。




