第3話:皇帝の晩餐会と、噛み合わない二人
帝都ルミナス・ヴァルヘイム。
帝国の至宝である聖女セラフィナの巡礼帰還を祝し、時の最高権力者、皇帝グスタフ・ヴァルフレア自らが主催する盛大な晩餐会が開かれていた。
白亜の広間には帝国の重鎮たちが居並び、最高級の香水と音楽が空気を満たしている。
「セラフィナよ、よくぞ無事に巡礼を終えた。教国の安寧は我が帝国の安寧でもある。壮健な姿を見られて余も満足だ」
玉座に座るグスタフの声は、地響きのような威厳を湛えていた。その傍らでは、第一皇子エドワードが誇らしげに胸を張り、隣に座るセラフィナへと熱い視線を送る。
「父上、セラフィナは少々お疲れのようです。今夜は私が責任持って、彼女の心を癒しましょう」
エドワードは自信満々に銀の食器を操り、完璧な所作で彼女の皿に肉を切り分けた。
「さあ、セラフィナ。これは我が直轄地で獲れた極上の黒毛牛だ。君の帰還を祝して、最高の料理人に焼かせたよ。この芳醇な香り、君の巡礼の疲れを吹き飛ばすに違いない」
エドワードは、自慢の黄金の髪をなびかせ、これ以上ないというほどの「王子様スマイル」を浮かべた。
だが。
「……十日後ですわ」
「……え?」
エドワードの動きが止まる。セラフィナは、目の前の極上の肉には目もくれず、うっとりと遠くを見つめていた。
「十日後の朝……。カーム・ブルームの市場であの方は、最高のレタスを届けてくださると仰いました。……ああ、早く十日が過ぎませんかしら。月日の流れが、これほどもどかしいなんて……」
広間が水を打ったように静まり返った。
皇帝グスタフが太い眉をひそめ、身を乗り出す。
「レタス……だと?聖女よ、それは何かの暗号か?あるいは、新たなる神の啓示か?」
「いいえ、陛下。……『愛』、ですわ」
カラン、と乾いた音を立ててエドワードの手から銀のフォークが滑り落ちた。
「愛……?セラフィナ、君は何を言っているんだ。たかがレタスに愛だと?私が今、これほどに情熱的に君に語りかけているというのに!」
「エドワード様……。貴方様のワインは確かに高貴ですわ。ですが、あの方の瞳は、どんな宝石よりも澄んでいました。あの方が背負っていた野菜の籠は、この晩餐会のどの装飾よりも輝いて見えましたの。……ああ、十日後が待ち遠しい……」
エドワードは屈辱に顔を真っ赤に染め、拳を握りしめた。
帝国第一皇子である自分が、名もなき市場の「レタス」に敗北したのだ。
晩餐会の後、エドワードはセラフィナの側近を影に呼び出した。
「正直に言え。セラフィナに何があった。あの様子は、まるで……不届きな男に誑かされたようではないか」
「は……。実は、巡礼の帰路にて、ある農家の男に救われまして。聖女様は、その男と十日後に再会する約束を……」
「農家の……男だと?この私を差し置いて、そんな土くれにまみれた奴と密会するなど、断じて許さん!」
エドワードの嫉妬の炎は、すでに制御不能なほどに燃え上がっていた。
「面白い。その男が何者か、この私が直々に確かめてやろう。十日後、私もカーム・ブルームへ同行する。不敬な輩であれば、その場で我が聖剣の錆にしてくれる!」
こうして、帝都の平和な夜は終わりを告げた。
一方、その頃。
辺境の村では、アルトが鼻歌まじりに「レタスが美味しくなる呪文(神聖魔法)を畑に注ぎ込んでいた。
「よしよし、十日後には最高のシャキシャキになるぞー」
運命の再開まで、あと数日。
皇帝の懸念、皇子の殺意、そして聖女の執念。
それらを全て「肥料」にするかのように、アルトのレタスは青々と育ち続けていた。




