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6-10


()()()()!」


 光の速さで閃く雷光の中で、五十槻(いつき)は数えている。この瞬間に破壊した門の数を。


 ()()()()


()……」


 羅睺(らごう)の門は、百雷山(ひゃくらいさん)八合目以上の中空に多数出現している。縦横無尽の雷電は、九つ目の門を破壊しようとするけれど。


「ッ!」


 急激に神籠の出力が切れた。雷光がかき消えるとともに、五十槻の身体は空中へ投げ出されてしまう。

 八朔の宿痾(しゅくあ)のおかげで、五十槻の痛覚は鈍麻している。なおかつ戦闘への意欲は亢進(こうしん)し、感覚は研ぎ澄まされ、少女にはありとあらゆる事象へ即応できる確信があった。

 けれど身体は満身創痍である。銃創の縫合は破れ、軍服へしとどに出血もしている。

 それよりも何よりも。


「腹が……」


 五十槻は落下の途中で再び神籠を発動する。放電を纏い軍刀を構えつつ、さきほど仕損じた九つ目の門へと狙いを定め。


「腹が減っている!」


 大声で宣言しながら、紫電は赤い光を打ち砕いた。いまわの際の羅睺門が放つ強烈な放光を受け、白獅子の面が真紅に染まる。

 そう、五十槻は空腹である。なにせ稲玉山(いなたまやま)で銃撃を受けて以降、昏睡状態だったのだ。当然何も食べていない。能力が中途半端に切れたのは、体力が失われているからであろう。

 落下直前、身体が(かし)いだところで五十槻は再び神籠を発動する。今度は山頂方向へ、一筋の神雷が上昇の軌道を描く。一拍遅れて轟く雷鳴。

 五十槻は冷静に分析する。どうやら発動時間がふだんより短いようだ。だが異能の発動自体に制限はない。この窮地において、五十槻は初めて知った。稲妻と化すときの持続時間が、自身の気力体力に連動しているということを。

 そして少女は思い出す。社殿に、たしか。


「ひ、ひぇえ……」


 社殿では。崩れた祭壇の裏手に身を潜めるようにして、祝部(はふりべ)の古田が太った体を縮ませている。

 古田からしてみれば恐ろしい光景だ。欄干の外に見える景色の中に、不吉な赤光が断続的に増えていくことも。それを狂暴な雷霆(らいてい)が、凄まじい轟きを発しつつ、次々と薙ぎ払っていくことも。

 そして不意に──迅雷がやみ、八朔の神籠は忽然と社殿内へ姿を現した。軍装の少女はいつの間にか欄干の内にいて、確固たる足取りで床板の上を歩んでいる。

 まだ、羅睺の門はいくつも残っているのに。


「御当代、何を……!?」


 古田には答えず、五十槻はずかずかと崩れた祭壇近くへ進んでいく。

 床に転がっていた物を拾いあげる。供え物の梨だ。

 八朔の神籠はあっけなく白獅子の面を外し、ぞんざいに放り投げた。間断なくしゃくっと梨をかじる音。この娘は戦闘中に梨を食っている。古田は後方から呆然と、喫食中のその背中を見守るしかない。


「甘くてうまい」


 戦いのさなかと思えぬ台詞である。夜叉は軍刀を右手に携えたまま、あっという間に梨一個を平らげる。足りなかったのか、足元に落ちていたもう一つも拾い上げた。

 そうこうしている間に、社殿の外では異常発生した門の群れが、同時に光を放ち始める。


「く、食ってる場合か! 早く、禍隠を何とかしろ!」


 古田は思わず声を上げた。しかしながら中年の祝部は、目前の少女に先刻投げ飛ばされたばかり。叱責の声はちょっと怯えている。

 五十槻は構わず二個目の梨も胃の腑へおさめているところである。

 社殿を取り囲む羅睺門の輝きは収束し、今度は粘性の黒い液体がそれぞれの赤い円からどろりと吐き出される。禍隠出現の前兆だ。

 果たして、粘液は地表へ落ち切る前に、黒い歪な物体を多数形作る。鳥類の形。飛禽(ひきん)型の禍隠である。

 黒い怪鳥の群れは生み出されるや、一様に空へ舞い上がった。百雷の空を覆いつくすほどの大群はまるで、暗い雷雲の下に、さらに曇天を作っているかのような有様である。ぎゃあぎゃあと、耳をつんざくような鳴き声が岩壁に反響する。

 無数の禍隠が出現する様に、いよいよもって古田の恐怖は最高潮を迎えたらしい。次に彼の口から放たれるのは、命乞いだ。


「ひっ、た、助けてくれ! 死にたくない!」

「人に死を強いておいて、何をいまさら」


 ごくりという嚥下(えんげ)の音の後に、五十槻は淡々とそう告げる。見放したような言い方ではあったが、八朔の神籠はこう続けた。


「言ったでしょう古田さん。あなたは証人です。此度の継承の儀がお流れになるところを、見届けてもらわなければなりません。だから──あなたに生きていてもらわないと困るんです、僕も」


 死なせません、と五十槻は言い切った。


「帰還後には、色々お聞かせいただきます。弓槻のこと、それから僕のこと──すべて転用派の意向でしょう? 楽しみですね、どんなことをお話ししてくださるのか」


 そう言って少女はちらりと古田を振り返る。その顔を見た祝部は、余計に恐怖した。

 五十槻は夜叉の顔で微笑んでいる。曇天の百雷の景色の中、紫の瞳の瞳孔を異様に窄ませて、うっすらと口許に笑みを浮かべ。眼光は炯々(けいけい)としている。

 欄干の前で佇む姿は──まるで十年前の、八朔達樹の再来だ。


「ごちそうさま。しかし足りないな、食事も禍隠も」


 獰猛な微笑のままそうつぶやいて、五十槻は食べ終わった梨のヘタをぽいと放り投げた。

 さて、空腹は少しばかり満たされた。口腔には甘ったるい後味がまだ残っている。梨の汁でべたついた左手を、軍服の裾でぬぐい。

 百雷の夜叉は落ち着いた挙措で、軍刀をいったん鞘におさめた。

 刀の柄へ、そっと手をかける。身をかがめ、抜刀の構えを取る。

 社殿を取り囲む黒鳥の群れが同時に(はね)()つ音。群が一斉にこちらへ襲い掛かってくる気配。

 同時に五十槻も鯉口を切った。鞘と(はばき)との間に、白い刀身がわずかに垣間見えた、刹那。

 紫電が(はし)る。

 社殿から発生した長大な雷が、一瞬のうちに数多の禍隠を切り裂いた。その半色(はしたいろ)の電光の中、刀を刺突の体勢で構えたまま、夜叉はうっすらと笑っている。梨を食ったおかげか、わずかばかり神籠の持続時間は増したようだ。五十槻は振り返りざま間髪を容れず、二撃目の雷を放つ。

 かくて疾風怒濤の迅雷が、縦横無尽に百雷の空一面へ閃いている。自然の雷ではありえない、激しい雷光の連続。間断ない爆音の雷鳴が、山野を震動させている。

 渇いた黒い雪が下界へ降り注ぐ。炭化した禍隠の骸だ。


 無窮自在(むぐうじざい)の夜叉が狂奔する様は、麓からもよく見えた。

 もちろん、まだ二合目あたりでうだうだしている、お迎え小隊の面々にも。


「獺越少尉、甲伍長! あの紫の雷は!」

「いつきちゃんだ……」

「うそ……胸を撃たれているのに、あの人……!」

「ハッサク……!」


 一同はとろとろ伸びる銀杏(いちょう)の樹に掴まったまま、ただただ空を仰ぐばかりである。いますぐ駆けつけたい気持ちは全員同じだが、百雷山の険しい峰を自力で登攀(とうはん)するのと精一の神籠に頼るのとでは、後者の方がわずかに早い。気は急くが、このとろくさい樹の幹にしがみついているのが最善手。

 また、百雷山へ続く麓の道では。


「五十槻……!」


 法定速度を超えて疾走する一台の車。その後部座席からはらはらと前方の空を注視しているのは、藤堂綜士郎だ。百雷山の登山道まであと少し、というところ。


 さて、八朔の神籠は本来、非常に優れた視力を有している。平常の五十槻ならば、旧知の友人・先輩や、敬愛する上官の接近に気付いたかもしれない。

 だが現在、五十槻の注意は百雷上空の禍隠および門にばかり向けられていて、遥か下方の彼らの存在は、まったく察知されていない。

 紫の瞳は、百雷上空の戦況にばかり注意を注いでいる。次の瞬間、どの軌道を描けば最大限に殺戮できるだろうか、圧倒的な破壊を成し遂げられるだろうかと、思考はそれだけを追っていた。

 いままた、神雷が山上に閃いた。稲光の一瞬の間に、軍刀ごしに感じる数多の手応え。

 血が騒いでいる。もっと斬れ、もっと殺せ、もっと壊せと。

 五十槻が──忘我の霹靂神(はたたがみ)大御稜威(おおみいつ)(ふる)う度、大量の禍隠が死に、赤い正円もかき消えていく。

 銃創の痛みはすでに消え失せている。

 しかし。傷口がなくなったわけでも、出血が止まったわけでもない。


「ははっ」


 気付けば空を埋め尽くすほどの怪鳥も、赤い光も、あと僅かな残党を残すのみだ。思わず喉から愉悦の笑いが迸る。

 あと一息で殲滅は成し遂げられる。五十槻は山頂より高くに出現した門へ、狙いを定めた。

 けれど。

 少女の視界は突然暗くなる。眩暈(めまい)だ。


「っ……!」


 神籠の効力が消えた。身体が重力に負ける感覚。落ちる。

 赤い血の飛沫を伴って、夜叉は真っ逆さまに落ちていく。五十槻は何度も移動を再発動させようとするけれど、うまくいかない。


(出血が多すぎたんだ)


 曇天の中に自らの血が散るを視界に捉えつつ、五十槻は歯噛みした。宿痾(しゅくあ)にうかされるまま、夢中で戦っていたことが仇になった。痛みの鈍麻は少女に、怪我の存在そのものを忘失させてしまったらしい。

 五十槻は百雷山の岩肌に衝突する寸前である。すんでのところで神籠の発動が間に合い、五十槻はごくわずかな距離、紫電と化すことができた。岩盤との激突を免れ、五十槻は岩盤から少しせり出したゆるい斜面に着地を果たす。

 着地と言っても、受け身はまったく取れていない。五十槻は稲妻から投げ出されるように姿を現すと、緩やかな勾配の上を横ざまに転がり、やっとのことで止まった。何とか離さずに持っていた軍刀を支えに、ゆっくりと、しかし覚束ない姿勢で立ち上がる。口の中が切れている。五十槻は血の混じった唾を霊山の地面へブッと吐き捨てた。軍服の下で、脇腹から血が流れる感覚。


(血を止めなければ)


 先ほどの荒っぽい着地のせいで、軍服に破れ目ができている。ちょうどいいとばかりに、五十槻はそこへ左手を突っ込んだ。内側のシャツの生地を破り、直接指で傷口に触れる。

 直後、服を透かして、紫色の発光が起こる。ジジッと溶接のような音。軍服の内側で、五十槻は銃創を──焼いている。

 焼灼(しょうしゃく)の処置である。

 激痛だった。八朔の神籠が鈍らせることのできる痛覚の範囲を、超えている。


「ああああああ!」


 獣のように吠えて五十槻は耐えた。自分の肉が焦げる匂いが漂ってくる。患部だけを焼き、衣類に類火を及ぼさないよう、慎重に電撃を調整しつつ。五十槻はひたすらに堪える。

 やっと指を離したときには、血は確かに止まっていた。軍服の破れ目から白煙が上がる。

 けれど一息つく間もなく。


「新手!」


 空が赤く光ったかと思うと、上空から何かが降ってくる気配。鳥の禍隠ではない。

 どぉん、と土煙を上げて現れたのは、巨大な狼の姿をした禍隠である。

 それが同時に複数。

 五十槻の脇腹にはまだ、激痛の名残がじくじくとわだかまっている。


「関係ない。皆殺しだ……!」


 そして死闘は再開される。


 この百雷山での戦いは当初、八朔の神籠の優勢から始まった。けれど、時間が経つにつれ。

 火雷(ほのいかづち)が不発に終わることが多くなった。

 太刀筋が弾かれる回数も増えていく。

 目がかすむ。

 再び現れた怪鳥の禍隠に背後からついばまれ、少女は苦痛の悲鳴を上げた。

 祓神鳴神の加護である、戦時高揚が失われつつある。肉体が瀕死寸前までに消耗したからだ。

 焼灼した部分の痛覚も鋭くなっていく。


(いやだ──)


 黒い狼の爪牙から必死で身をかわしつつ、夜叉の中に、恐怖が芽生えていく。

 損耗が増すごとに、予感も確実になっていく。

 おのれが死ぬ、という予感が。


(死にたくない死にたくない死にたくない!)


 必死で念じるが、しかし。


「うあッ」


 五十槻は短く叫んだ。片足を噛まれたのだ。大狼の禍隠に。巨大な犬歯が脛に食い込んでいる。

 そのまま大狼は五十槻の足を(くわ)えて持ち上げて。

 猛獣はぐるんと首を振るう。五十槻の視界はぐるりと回った。続いて、投げ飛ばされる感覚。


(僕には、まだ──!)


 無念を思う暇もない。五十槻の身体は勢いよく空を舞い、挙句下方の岩盤へ叩きつけられた。

 背中に強打の衝撃。

 それは──半死半生の少女には、もはや耐えられない打撲だった。

 かはっ、と五十槻の喉から気息が漏れる。紫の瞳は虚ろになって、眼振の症状を呈していた。

 仰臥のまま夜叉はぴくりとも動かない。意識は虚ろである。

 その胸郭の内。心臓からの血液の拍出(はくしゅつ)は停止している。

 心室細動が起きている。


(──────)


 いま全身の血管を伝っているのは、五十槻の最後の生命だ。

 虚ろな紫の眼から一筋、滴が頬を伝って流れていく。五十槻の目はいま、外界の光景を映していない。上空、円陣を組み、鳥葬のときを待つ飛禽(ひきん)の群れなど、見えていない。

 真っ青な唇が、とうどうたいい、の音の形に動いた。

 沈黙。


「死んだ……!」


 社殿からこわごわ戦況を見守っていた古田が、思わずそう呟いた。語調は喜びを噛み締めているようだ。


「おのれ小娘め、死ぬなら禍隠を道連れにすればよいものを。麓の神事兵へ救助要請の式札を送らねば……」


 古田と同じく。禍隠の群れも、動かなくなった八朔の神籠へ、嘲笑うかのような吠え声を投げかけていた。上空で獲物が死ぬのを待っていた鳥の群れが、五十槻のもとへ舞い降りようとしている。


 しかし。

 見開かれたままの五十槻の瞳は。

 まだ紫の色を──祓神鳴神の色を宿したままである。

 死んでいない。八朔の神籠は、まだ──。


 不意に少女の左腕が持ち上がる。

 その手が軍服越しに、心臓の位置へ当てられる。


──(かけ)まくも(かしこ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの大前に

  神實(かむざね)八朔(ほずみ)五十槻(いつき) (かしこ)み恐み(もうさ)


 ドンッ! と鈍い音があたりへ響き渡った。

 禍隠たちが一斉に動きを止める。


 ドッ、ドッ、ドッ。


 音は断続的に響き続ける。

 同時に、胸にあてられた五十槻の手も動いている。肋骨をへし折らんばかりの力強さで。

 それはまるで、心臓に鼓動を与えるかのように。


──藤堂大尉。


 朦朧とした意識の中で、五十槻は大好きな人のことを思い出している。

 背中をとんとんと、優しく叩いてあやしてくれる、あの大きな手のひらを。

 思い出の中、子守唄のような手のひらの律動(リズム)は──自らの胸を押す五十槻の手のひらと。鼓動の律動(リズム)と同期している。


──僕は生きなければならない。


 鼓動を刻む手に、ビリッと紫電が走った。


──だから神さま。どうかどうか、お力をお貸しください。

──どうか、どうか。僕のこの生を、幸せに至るまで永らえさせてください──。


 五十槻の心臓に──洞結節(どうけっせつ)に。

 鼓動が戻る。

 拍動が宿る。

 全身に血が巡る。

 荒々しき霹靂神(はたたがみ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの血潮が──。

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