42.奇跡よ、もう一度
わたくしはクリスと顔を見合わせ、互いに手を取り合って新たな虹色の門をくぐりました。この時のわたくしたちには、この門が王都に通じているという確信のようなものがあったのです。きっと奇跡は起きたのだと、素直にそう思えました。
門の向こうはどこかの部屋でした。王宮の一室なのかとても豪華なのに、どこか寂しさを感じる小さな部屋。
窓はなく、壁に作りつけられた棚には細々としたものが並べられています。隣の部屋に続く扉を開けると、そちらは見たところ寝室のようでした。どうやら門が通じたのは、寝室に隣接する小部屋だったようです。物置代わりに使われていたのでしょうか。
隣の寝室は装飾や調度こそ豪華ですが、敷布も天幕も古びて色あせています。部屋全体もそれなりに掃除はされているようですが、どこか埃臭さが残っています。この部屋はもう長い間誰にも使われていないのでしょう。
クリスはこの部屋がどこか分かっていないようでしたが、わたくしには分かりました。だってこの部屋の主は、ほかならぬわたくしでしたから。
けれど魔族として過ごした幸せな時間は、ここでの寂しい思い出をかき消していたようでした。この部屋は記憶にあるものとほとんど変わっていないのに、懐かしさはさほど感じませんでしたから。
「ここは……どこだろう。王宮なのは間違いないんだろうけど」
クリスが部屋の中を見回しながらつぶやきました。
「王宮の奥、人のほとんど来ない辺りだと思います……王の居室まで、道が分かるかもしれません」
前のわたくしはここにほとんど幽閉されていたも同然でしたので、王宮の中をまともに歩いたことなど数えるほどしかありません。その時のかすかな記憶を必死にたどりながらそう答えました。
クリスはおや、という顔をしましたがそれ以上何も尋ねず、だったら行こうか、と寝室の出口に向かいました。その途中で足を止めます。
「人の気配がする。いったん隠れよう」
そう言って彼はわたくしを連れて、物置に戻りました。扉を薄く開けて寝室の様子を見ながら、二人で息をひそめます。
衣擦れの音がゆっくりと近づいてきます。この音からするとやってきたのは一人だけ、鎧は着ていないようですから巡回の兵士でもありません。
それでは誰がやってきたのでしょうか、こんな夜明け前に。
その答えはすぐに得られました。扉がゆっくりと押し開けられると、とても小さな老人が姿を現したのです。
身にまとっているのは上等な素材でできているのが遠目にもよく分かる夜着と、ビロードらしきしっとりとした光沢を放つ生地にふんだんに刺繍がほどこされた、とても豪華な外套。見るからに位の高い人物です。
その老人は部屋の中央にある椅子に腰かけると、壁に飾られた肖像画に小声で何事か話しかけました。あんなところに肖像画などあったでしょうか。
クリスが老人の顔を見ようと躍起になっています。「もしかすると、あの人は陛下かもしれない」と小声で教えてくれました。クリスも王に会ったのは一回だけでしたし、その時の王は正装していたので、あのような姿だと確信が持てないのだそうです。
そうしてクリスがじりじりと姿勢を変えているうち、わたくしたちが隠れていた扉の金具がキィ、と鳴りました。老人がこちらを振り返ります。
見つかってしまいました。こうなった以上、あの老人に事情を話すほかないでしょう。そう判断してわたくしは羽を隠すと、隠れていた小部屋から一歩踏み出しました。
きっと何者か尋ねられるでしょう。衛兵を呼ばれるかもしれません。まずはどうにかして話を聞いてもらわなくては。そういったわたくしの考えは、予想もしない一言で裏切られました。
老人はわたくしを見ると、そのしわに囲まれた目を極限まで見開き、ぽかんと口を開けてしまいました。あまりの驚きぶりに、彼は大丈夫なのかと心配になってきた頃、老人は見開かれた目をくしゃくしゃと細くして、涙を流しながらはっきりと言いました。
「オーレリア……生きてそなたにまた会える日がくるとは」
わたくしは混乱しました。その名は前のわたくしの名。けれど今のわたくしは前のわたくしとは似ても似つかぬ姿です。髪の色も目の色も、そして面差しも、何もかもが違っています。だから今のわたくしを見てその名で呼ぶ者など、いるはずがないのです。
そしてその混乱の中気づきました。この老人はクリスが推測した通り、今の王です。つまり彼は、前のわたくしの父。そう気づいてから改めて老人の顔を見ると、確かに父の面影がそこには残っていました。
「おとう、さま……」
気づけばわたくしの口からそんな言葉がこぼれ落ちていました。王はまだぼろぼろと泣いています。クリスは状況についていけていないらしく、わたくしと王とを交互に見ています。
「おとうさま、どうしてわたくしがオーレリアだとお分かりになるのですか? 今のわたくしは魔族ですのに」
こう尋ねると、王はなおも涙を流しながらこちらに歩み寄り、そっとわたくしの手をとって答えました。
「理由などない。ただ余には分かるのだ、そなたがオーレリアだと。そうか、そなたは魔族に生まれ変わったのだな。余がそなたを不幸にしてしまった分、どうかこれからは幸せに長く生きてくれ」
わたくしの目からも涙が一粒、ころんとこぼれ落ちていきました。きっとこれはオーレリアの涙なのでしょう。
壁に掛けられたオーレリアの肖像画が、笑ってわたくしを見下ろしていました。白に近い金の髪に澄んだ青い瞳の、心を押し殺したような目をした幼げな少女。ええ、やはりわたくしと彼女は似ていませんね。
そして王はわたくしの手を取ったまま、独り言のように語り始めました。
オーレリアに予言が下ってからずっと、彼女が死してからもずっと、彼女に何もしてやれなかったことを悔やんでいたということ。
彼女の運命と向き合うことができず、ほとんど彼女と顔を合わせないまま別れることになってしまったということ。
彼女の死後は自分以外の者がこの部屋に立ち入ることを禁じ、こうして早朝や深夜にこっそりと彼女と話しに来ていたのだということ。
もし生まれ変わりというものがあるなら、今度こそは長く幸せに生きてほしいとずっと願っていたということ。
わたくしとクリスは、ただ黙って王の話を聞いていました。今が一刻を争う状況だということは分かっていますが、それでも長い間一人で苦しんできたであろう王の気持ちを思うと、彼の告白を邪魔することなどできなかったのです。
一通り話し終わった王は言葉を切り、「さて、そなたが勇者を連れてこんなところに現れたのには訳があるのであろう。申してみよ」とまだ目を赤く腫らしたまま静かに言いました。
我に返ったわたくしとクリスは、手短に王に今の状況を伝えました。全ては宰相のたくらみであったこと、彼の策略によって魔界が危機にさらされていること。例の水晶玉の映像が動かぬ証拠となってくれました。
王はその一つ一つを悲しげな眼をして静かに聞いていました。さすがにわたくしが魔王であると打ち明けた時は驚いた顔をしていましたがそれ以上何も言わず、わたくしたちの話を最後まで聞き終わるとゆったりと立ち上がりました。
「全ての事件は、宰相が余の目を盗んで引き起こしたものだった。ならば余は彼の主として、この事件を終わらせねばなるまい」
そう言った王の目には今までの弱々しさはみじんもなく、そこには力強く威厳にあふれた光が宿っていました。
わたくしたちが門をくぐって元の戦場に戻ると、慌てふためいたカティたちに出迎えられました。わたくしたちが突然門を作って消えてしまったように見えたため、彼らは撤退することもできずに、ここでやきもきしながら様子を見る羽目になったようです。
「リュリ様、何も言わずに姿を消されたので心配しました。既に魔族の大半は撤退済みです。貴女たちも早く撤退してください」
そこまで言ったカティが、わたくしとクリスのすぐ後ろに立つ老人に目を留めました。これは誰なのだろうかといぶかしんでいるようですが、同時に彼は老人の正体に見当がついているようでもありました。
「リュリ様、そのお方は……」
「人間の王です。事情は全てお話ししました。王はこの事態を収めるために来てくださったのです」
その言葉を聞いたカティは姿勢を正し、すっと王に膝をつきました。
「ご足労、痛み入ります。私たち魔族からもお願いします、あの軍勢をどうか」
そこで王はカティの言葉をさえぎりました。
「立つがよい、魔族の若者よ。今魔界に迫る危機は、余たち人間の不始末によるものだ。ゆえに、余は人間の統治者としてこの不始末に決着をつけに来た」
王はわたくしたちをゆっくりと見渡すと、威厳のこもった声で言いました。
「では魔王よ、案内をよろしく頼む」
わたくしとクリスが王の両側を守り、王の後ろにはカティが付き従います。そうやってわたくしたち魔族と人間は一団となって大きな転移の門をくぐり、軍勢が控えているだろう人間界へ粛々と向かっていきました。




