41.絶望は終わらない
銀色の光は一瞬だけ辺りを染め上げ、そしてあっという間に消えていきました。そしてわたくしたちの前には、深手を負った宰相が倒れていました。見る見るうちに地面に血だまりができていきます。これではもう長くないでしょう。
しかし彼は、またも笑っていました。血の泡を吐きながら、それでも愉快そうに。
「は、ははは……お前たちが私を殺すか。魔王が人間界の宰相を害したとなれば、間違いなく王は軍に魔王討伐の命を下すだろうな。それに勇者が大罪人であることも変わらない。結局お前たちは、人間に滅ぼされる運命なのだ」
「それはどうでしょうか」
楽しげに断言する宰相の言葉を、冷静にさえぎる声がしました。
「貴方の言葉は全て記録しています。この記録を王に見せれば、私たち魔族と勇者にかけられた疑惑を晴らすことができるでしょう」
その声はカティのものでした。彼は虹色に光る小ぶりの水晶玉を手の上に乗せています。これは魔王城の宝物庫に収められていたもので、長い時間にわたって音や映像を記録することができるのです。
カティは最初に宰相に会いに行った時にはもうこの水晶玉を起動させていて、そうやって最初から彼らの話を記録していました。そして戦いになってからはパーシェから受け取った魔法の外套をかぶって姿を消し、そのまま宰相の言動をずっと記録し続けていたのです。
その事実をカティが告げると、宰相の顔がまたも怒りにゆがみました。
「お前も私に逆らうか! お前の母がどうなってもいいのだな」
「母はもう自由の身です。全てはリュリ様のおかげです。もう私が貴方の命令に従う理由はありません」
そうカティが冷たく言い放つと、宰相の目が今度はわたくしの方へ向けられました。
「またお前か……! お前さえ、いなければ……お前が勇者を生かして、そして私を倒して……ああ、こんなことなら、お前を消す策を真っ先に練っておくべきだった」
その目は恐ろしいほどの怒りに満ちていましたが、不意に宰相は満面の笑みを浮かべました。その表情の気味の悪さときたら、その場にいた全員が思わず後ずさりするほどでした。
「……ああ、そうだった。最後に面白いことを教えてやろう。私が魔界にわたった後、夜が明けても何の連絡もなければ、私が通った門をくぐって魔界を攻め落とせと残りの兵に言い置いてある。先ほどお前たちが戦った軍の十倍ほどの兵がじきにここに殺到するぞ。そして私が勇者の力で広げた門の封鎖は容易ではあるまい。そう、そこの魔王ですら手こずるであろうな」
宰相は満足げな顔で笑うと、せきこんでまた血の泡を吐き出しました。血で汚れた顔で、さらに笑い続けています。
「私が死ねば、あの軍を止められるのは王だけだ。けれどこの門から王都までは、どれだけ急いでも数日かかるだろうな」
みな不安げに互いの顔を見合わせています。宰相の言葉が真実なら、今までで一番恐ろしい事態が魔界を襲うのでしょう。しかも、悠長に考えている時間はありません。
「はは、忌々しい魔王と勇者、そして魔族と恩知らずども……残り少ない時間を、せいぜいうろたえて過ごすがいい……夜明けは、もう近い」
そう言うと宰相は動かなくなりました。そして辺りには沈黙が満ちていました。
痛いほどの沈黙を破ったのは、やはりカティでした。彼は急いで門に駆け寄ると、人間界をさっとのぞき、すぐに戻ってきました。
「人間界は、もう東の空が白んできています。そして近くに多くの兵が集まっている気配がしました。宰相の言葉は真実と考えてよいでしょう」
その言葉を聞いて真っ先に反応したのはエスメラルダです。先ほど魔力を使いすぎたらしく顔色がやや悪いですが、それでも威勢よくまくしたてました。
「あんの男、昔からやたらと用意周到で陰険な手を使ってたけど、最後の最後にこんなもの仕込んでおくとか、嫌がらせにもほどがあるでしょ!」
「エスメラルダ、今は愚痴を言うより対策を考えることが先だ」
同じく魔力を消費して疲れた様子のイヴァンが、彼女を静かな声でなだめています。
「私もそう思います。まずは状況を整理しましょう」
そう言うとカティはわたくしたちを見回し、難しい顔になりました。
「この状況であの兵力とまともにやりあうのは厳しいですね。けれど門の封鎖は間に合わないでしょう。しかも、先の戦いで無力化した人間の兵をどうするかという問題もあります。このままここで戦えば、彼らにも被害が出かねません」
「だったらここを放棄して、一度戦線を下げるか」
いつの間にかエミールとの戦いに決着をつけていたらしい兄様が言います。さすがに無傷とはいかなかったらしく、あちこちに血が薄くにじんでいます。
「そうすると魔界に大軍勢が揃ってしまいますよお」
そう言うパーシェにも疲労の色が見え始めています。
「それに、ここで倒れている連中を放っておけば、人間界にいる軍勢に合流してしまうのではありませんかな」
ガラントが指摘します。彼はあまり疲れているようには見えませんでしたが、それでもずっと魔法を使い続けていたので消耗はしているのでしょう。
「そうですね。……ひとまず、彼らはそのままにして下がりましょう。今のわたくしたちに、これ以上戦うだけの余力はありません。彼らが魔王城に攻めてくるまでに休息をとり、再度戦力を集め直して軍勢を押し返すほかありません」
そう言って、全ての魔族に退却命令を出しました。今は安全なところに逃げるのが最優先です。
魔王城に撤退する準備が進んでいる間、わたくしはカティから渡された水晶玉を無意識に指先でもてあそびながら、必死に考えていました。
先ほどは退却命令を出しましたが、人間の大軍勢に攻め込まれては魔族にも被害が出てしまいます。何か、他にもっといい方法はないのでしょうか。
こちらに攻め込もうとしている軍勢を止められるのは王だけだと、宰相は言っていました。ならばカティが記録していたこの水晶玉を持って王に会いに行けば。いえ、クリスたちは未だ大罪人とされていますから、彼らが王のもとまでたどり着くのは不可能に近いでしょう。
ならば魔族を使いに出せば、とも考えましたが、魔王討つべしとの声が上がっている王都に魔族を送り込むのは危険です。
となると、一番確実なのはわたくしが王都に乗り込むことでしょう。宰相によれば、今の王は前のわたくしの実の父とのことですし、一度顔を見てみたいという思いもありました。けれどそれを抜きにしても、ここはわたくしが行くべきだろうと思ったのです。わたくしであれば、多少の危険は問題になりませんから。
けれど、どうやって行くのかという問題はまだ解決していません。この門からだと、ルーに乗せてもらっても王都まで二、三日はかかるでしょう。今にも軍勢が攻めてこようというときに、そんなに時間をかけてはいられません。
ああ、王都に通じる門があればいいのに。そう思ったとき、ふとあることに気づきました。わたくしはクリスの元に歩み寄り尋ねました。
「クリス、宰相は倒しましたが、その……奪われた力は戻ってきているのでしょうか」
「ああ。何だか身の内に力が満ちているような気がするんだ。あれだけ戦った後なのにね」
確かに、ずっと宰相と激しく切り結んでいたにもかかわらず、彼に疲れた様子は全くありませんでした。彼はじっと自分の手のひらを見つめていましたが、ふと何かを思いついたように宰相が広げた門に近づきました。
「空間を繋げる力というのも、戻ってきているのかな。だとしたら門も操れるのかもしれない」
そう言うと、彼は門を触り始めました。彼が忙しく手を動かしていると、わずかに門が広がりました。
「……どうやら、この力は門を広げたり新しく門を作ったりすることはできても、門を消すことはできないみたいだね。この門を消せれば、話が早かったんだけど」
彼はぎこちないながら、宰相が見せたのと同じ力を使うことができていました。わたくしは意を決して、彼にもう一度声を掛けました。
「クリス、一つ思いついたことがあるのです……途方もない話なのですが、笑わないで聞いてもらえますか」
「ああ、笑わないから聞かせてくれ」
「その、実は……あなたの力で、王都に繋がる門を作ってほしいのです。そうすれば全て解決できるでしょうから」
わたくしの言葉を聞くと、彼は困ったように眉を下げました。
「それはそうなのだけれど、俺にはそこまでの力はないよ」
「先ほどと同じように、わたくしが魔力を貸します。二人の力を合わせれば、きっとできます」
自信なさげにしている彼に、わたくしははっきりと断言しました。
「本来であれば魔王以外に扱えないわたくしの剣、白銀の月牙を、あなたは扱うことができた。それ自体がもう奇跡のようなものなのです。わたくしたちは奇跡を起こして、宰相を退けたのです」
クリスが目を丸くしています。あの時、何故かわたくしは確信していました。白銀の月牙を彼が使うことができると。奇跡は起こせると。ならばもう一度だけ、わたくしは奇跡を望みたい。
「だから……わたくしたちなら、きっともう一度奇跡が起こせるのではないかと、そう思うのです」
根拠などどこにもないわたくしの言葉に、それでもクリスは心を動かされたようで、いつものように優しく笑って答えました。
「そう、だね。……失敗したって少し時間を無駄にするだけのことだし、一か八かやってみようか」
そしてわたくしたちは二人並んで門の前に立ちました。わたくしは門のすぐ前に、クリスはわたくしの横に。
彼はわたくしの片手を両手でそっと握り、わたくしの目を見て微笑みながらうなずきました。それから目を閉じ、何かに集中しているような表情になりました。彼の周りに、虹色のもやのようなものがうっすらと集まり始めています。
わたくしの手からクリスの手に、魔力が流れていくのを感じます。その流れは少しずつ勢いを増し、あっという間に大量の魔力が失われ始めました。衝撃で崩れ落ちそうになるのを、必死で踏みとどまります。両腕に巻き付いた魔力の月鎖が熱を帯びています。わたくしはそのまま、空いた片手を傍らの門に差し入れました。
人間界はもう朝が近く、沈みかけている月が西の空に輝いています。
魔界は夕方近く、三つの月が思い思いに輝いています。
魔力の月鎖が巻き付いたわたくしの片手は人間界に、もう片方の手は魔界に。
魔界の三つの月と人間界の一つの月が、わたくしに力を貸してくれています。ただ魔界で暮らしていたのなら決して得られなかったであろう、四つの月が惜しみもなく注いでくるまばゆい月光。わたくしはその月の恵みを全て魔力に変えながら、それをただひたすらにクリスに渡し続けていました。
いつまでも続くかに思われた魔力の流れが、不意に止まりました。反動でよろめいたわたくしの目に映ったのは、わたくしを抱きとめて笑うクリスと、彼の横でひときわ美しく輝く新しい虹色の門でした。




