4.初めての旅の夜
しばらくして、森に隣接した草原にルーが降り立ちました。わたくしたちが彼から降りると、ルーはまた『ごはんをさがしにいってきます』と言って飛び立ち、わたくしたちは森のそばで野営となりました。
レッガが収納魔法で持ち運んでいた野営の道具を次々取り出すと、そのまま夕食の支度を始めています。兄様とパーシェは、息の合った動きで手早く天幕を組み立てていました。カティはまた地図を取り出し、明日以降の進路を確認しています。
わたくしだけ、することがありません。いえ、転移の門を封鎖するのはわたくしの仕事なので、わたくしの出番が今ではなく後だというだけのことなのですが、それでも一人だけぶらぶらしているのは気が引けます。
カティに手伝いは必要ないでしょう。むしろわたくしが話しかけたら考え事の邪魔になってしまうでしょうし。ならば。
「何か手伝えることはありませんか?」
わたくしはそっとレッガに近づきました。おそらくここが一番人手を必要としているはずです。どんな料理になるのか気になるという好奇心があったことも否定しませんが。
「おお魔王様、お気遣いありがとうございます。あなたもお疲れでしょうし、どうぞゆるりとお休みくだされ」
「一人だけ休んでいるのも落ち着かないのです。それにわたくしは空には慣れていますし」
「ううむ、そう言われましても……」
レッガと押し問答をしていると、ちょうど天幕の設営を終えたらしい兄様とパーシェがのんびりとこちらへやってきました。
「ん? お前ら、何もめてるんだ?」
「ベル、ちょうどいいところに来たのう。魔王様を止めてくれんか」
「リュリ、お前何かやらかしたのか?」
「ちょっとレッガのお手伝いをしたいと言っただけです」
「あ、お手伝い私もやる!」
パーシェはわたくしの味方のようです。二人がかりで再度レッガに頼み込んだところ、しぶしぶながら野菜の皮むきの仕事を任せてもらえました。
「ったく、分からねえな。何が楽しいんだそんなの」
兄様はそう言って焚き火から少し離れたところで横になりました。夕食までひと眠りするようです。
わたくしは意気揚々と野菜の皮むきに挑みました。白状しますと、こんな事をするのは生まれて初めてなのです。
予備のナイフを貸してもらい、レッガとパーシェの手つきを参考にしながらそろそろと皮を剥いていきます。中々難しいですね。
「あっ」
手が滑りました。指先を少し切ってしまったようです。と、わたくしの声を聞きつけたらしいカティが飛んできました。口を挟む間もなくわたくしの手を握り、治癒魔法であとかたもなく治してしまいました。
「リュリ様、貴女がなぜこんな事をしておられるのですか」
カティは冷たい目でわたくしを見ています。これはお説教ですね。
「わたくしだけ休んでいるのは気が引けたのです。なので、反対するレッガに無理を言って頼み込みました」
「それで怪我をされては私の気が休まりません。ベル殿も休んでおられますし、リュリ様も休まれては」
「兄様は天幕を設営し終わったところなのです。お願いですカティ、あと少しだけ手伝わせてください」
「……分かりました。ただし、見様見真似で怪我をされては大変ですので、正しい皮の剥き方を私がお教えいたします」
結局カティの手をわずらわせてしまいました。失敗です。
けれどカティはとても器用に皮を剥くことができた上に、教え方もとても上手でした。そのおかげで、わたくしもゆっくりとではありますが怪我をせずに皮が剥けるようになったのです。一歩前進です。
レッガは「ここから先は素人の出る幕ではありませんぞ」と言って皮むき以外の作業は手伝わせてくれませんでしたが、それでもわたくしは満足でした。いずれ時間があるときにでも、料理を覚えてみるのもいいかもしれません。
そしてその日の夕食は、わたくしが生きてきた中で一番美味でした。レッガの腕が良いのか、外で食べるせいなのか、もしくはわたくしも少しだけお手伝いできたからなのか。きっとそれら全てのおかげなのでしょう。
食事も終わり、眠る前に思い思いにくつろいでいると、兄様がわたくしを呼びました。どうやら二人で話をしたいようです。
みなに断って二人で天幕を離れて少し歩くと、兄様がぽつりと言いました。
「お前、次の門は湖のそばだろ……大丈夫なのか」
「ああ、兄様はそのことを気にしていたのですね。わたくしももう幼子ではありません。それに兄様もいてくれます。ですから大丈夫です」
兄様はこの世でたった一人、前のわたくしの話を知っている人なのです。ずっと昔、わたくしが前の自分の記憶と今の自分との間で困惑していた幼い頃、事情を知らないながらもわたくしをずっと支え励ましてくれたのが兄様でした。わたくしは兄様への信頼の証として、前のわたくしについて覚えていることを全て話したのです。
だから兄様は、わたくしが湖を苦手としていることを知っています。湖を見ると、前のわたくしが迎えた最期を、どうしても思い出してしまいますから。
思えばあの頃のわたくしは、とても不安定な子供でした。十五歳の姫としての記憶を持っているため年の割に大人びており、それでいて魔族である自分を受け入れられず駄々をこねる、周囲からすればさぞかし扱いづらい子供だったでしょう。
兄様たち同世代の子供が魔王城に呼ばれたのには、そんなわたくしを何とか落ち着かせようという意図もあったのでしょうね。その目論見は効を奏し、わたくしはすっかり落ち着いて一人前の魔王になれたという訳です。そう考えると、兄様には感謝しかありません。
「兄様、いつもありがとうございます」
様々な思いを込めて兄様に礼を言うと、兄様はわたくしの頭に手を置いて、わたくしの髪をくしゃくしゃにしてしまいました。がっしりとして力強い、とても大きな手です。
「こんなことでいちいち例を言うな、水臭え」
付き合いの長いわたくしには分かります。兄様は照れています。これは照れ隠しです。
ならばお返しをしましょう。わたくしは腕をいっぱいに伸ばすと、兄様のこめかみのあたりから生えている大きな角をなでました。
「こら、お前は子供か。いつまでも俺の角触ってんじゃねえ」
子供の頃のわたくしは兄様の角を触るのが好きでした。あの頃、わたくしは魔族というものがよく分かっておらず、どうしてこの子の頭には角が生えているのだろうといぶかしんでいたものです。
この角は作り物なのではないかと疑ったこともあります。ですが兄様――当時は兄様とは呼んでいなかったのですが――の角を触っているうちに、しまいには魔族とはこういうものなのだと納得するに至りました。あの頃は兄様とわたくしとの身長差も今ほどありませんでしたし、兄様の角を触るのも簡単だったのです。
「まあ、お前が大丈夫っていうならそれを信じるさ。そろそろ戻ろうぜ」
そうしてわたくしは兄様と共に、みなのところに戻りました。
「あー、おかえりなさいリュリ様! 一緒に寝ましょうよー!」
もう遅いのにパーシェは元気いっぱいです。
「リュリ様、戻られましたか。ベル殿もおられますが、一応気を付けていてくださいね」
カティは相変わらずわたくしのことを心配してくれます。
「あら、レッガはどうしたのでしょう」
「食事の後片付けが済んだ直後に寝てしまいましたね」
「年寄りに夜更かしはこたえるからの、とか言ってましたよお。ほらリュリ様、夜更かしは美容にも良くないんですよ、寝ましょう寝ましょう」
パーシェがわたくしの腕をとって天幕に引きずり込もうとします。わたくしはふと夜空を見上げました。昼夜ではっきりと明るさを変える人間界の空とは違い、魔界の夜は月が一つ沈んだ分少し暗さが増す程度です。
かつて人間界で見ていた陽光の暖かさをぼんやりと思い出していると、パーシェが腕を引く力をゆるめ、そっとわたくしの顔を覗き込んできました。
「あの、リュリ様大丈夫ですかあ? あ、もしかして私と一緒に寝るのが嫌だとか!」
一人で勝手に解釈して一人でおろおろしています。かわいそうなのでその誤解は正してあげましょう。
「大丈夫ですパーシェ、少し考え事をしていただけですから。さあ一緒に寝ましょうか」
そう答えると、パーシェの顔がぱあっと輝きました。まったくわたくしときたら、過去の思い出にひたって周りを心配させるなんて魔王失格ですね。




