38.彼の真意
宰相との話し合いの当日、わたくしは魔王城の近くにある転移の門のそばに立っていました。
わたくしの隣にはカティが控え、兄様も護衛として付き添っています。そしてそのかたわらに、どこか心もとなさげな顔のクリスが立っています。他にも多くの魔族たちが気配を消して周囲に潜んでいます。
カティが宰相に打診した内容はそのまま受け入れられ、クリスの引き渡しは門の魔界側で行うことになりました。
あくまで秘密裡に引き渡すということにして、まずはカティが門をくぐって人間界で宰相と会う手はずとなっています。そこで首尾よく必要な情報を聞き出せればそれでよし、難しいようなら魔界側に宰相を呼び込んでクリスの身柄をちらつかせることでさらに尋問を試みる、そういう流れです。
こっそり人間界側を探ってみると、想像通り宰相は門の人間界側に多くの兵を集めているようでした。わたくしたちも魔界側に魔族を潜ませているのでお互い様ではありますが。
この転移の門の周囲は草原になっていて、遠くには森が見えています。引き渡しの時間はあちらが指定してきており、それは魔界ではちょうど真昼になる時間帯でした。
「リュリ様、そろそろ時間です。それでは行ってきますね」
「ええ、カティ。どうか気を付けて」
心配しながら見守るわたくしたちの前で、カティは落ち着いた足取りで門をくぐっていきました。
『お待たせいたしました』
門の向こうのカティの声が、魔法の耳飾りを通して聞こえてきます。わたくしは耳飾りから聞こえる音を魔界で待つみなに魔法で伝えました。これで、全員で情報を共有することができます。
『うむ、よくやったカティ。さあ、勇者を早く渡すのだ』
この声が宰相でしょう。彼はかなりの年齢だと聞いていますが、深くよく響く重厚な声は、年の割に若々しく聞こえました。
そしてわたくしはこの声を知っています。旅に出る前、最初に勇者についての情報を集めていた時に聞いた声。「邪悪なる魔王を倒すのだ、勇者よ」と言っていた声でした。
『申し訳ありません、ダニエル様。勇者は門のすぐ向こう、魔界側にいます。魔王様が勇者との別れを惜しんでいて、上手く引き離せないのです』
『ふむ、魔王か。あんなにもか弱く世間知らずな娘が魔王とは、魔族も不幸だな。そんな娘に仕えるお前も』
ダニエルというのは宰相の名でしょう。それにしても、か弱く世間知らずとはひどい言われようです。当たっていなくもないのが余計に悔しいです。
カティが返事をせずに黙ったままです。宰相はそれに構わず話し続けました。
『まったくあの娘め、魔王でありながら勇者に執着するとは忌々しい。一刻も早くあんな男は片づけてしまいたいというのに』
『あの、ダニエル様。一つよろしいでしょうか』
『どうした、カティ』
『どうして貴方は勇者を始末したがっておられるのでしょうか。もしよろしければお聞かせ願えませんでしょうか。ずっと気になっておりましたので』
『何だ、そんなことか。まあいい、私は今気分がいいしな、少し話してやろう』
それを聞いたわたくしたちは、みな一様に息を飲みました。ずっと探していた答えが、今明かされるかもしれないのです。
『私にとって必要なのは勇者の力のみ。今の勇者からは十分な力を奪えなかった。あの男はもう用済みだ。あいつが死ねば、いずれ新たに勇者となるべき者が生まれてくる。そうすれば、今度こそ十分な力を奪うことができるだろう』
そうして得られた答えは絶望的なものでした。これでは、宰相を説得することなどできそうにありません。
カティも相当驚いているのでしょうが、彼は普段とほとんど変わらない声で答えていました。
『勇者の力、ですか』
『ああ、それこそ私が長きにわたって追い求めているものだ。しかしこうして待っているのもじれったくてかなわん、すぐそばにあの男がいるのであればなおさらな。どれ、魔界に乗り込んで直接勇者を奪うとしようか。行くぞ、カティ』
宰相の思わぬ言葉に、わたくしたちは慌てて彼を出迎えるためにそれぞれの位置につきました。
わたくしが一番前で、その背後にクリス、そしてわたくしたち二人を守るように兄様が立ちます。先ほどまで姿を現して話を聞いていた他の魔族たちも急いで隠れ、持ち場につきました。
わたくしたちが固唾を飲んで門を見ていると、門から人の上半身がすっと現れ、あっという間に全身が現れました。全身に鎧をまとい武装した兵士のようです。
その兵士が何か合図をしたのか、次々と人間が門から現れました。彼らも兵士のようです。その中にはいつか戦ったエミールもいます。彼はわたくしを憎々し気な目で見ていました。カティが兵士たちに続いて門をくぐり、そのままわたくしたちのそばまで急ぎ足で戻ってきました。
最後に、一人の老人が門から現れました。肌にはしみが浮き多くのしわが寄っていますが、その背筋はすっと伸び、目も精力的に輝いています。
わたくしはこの人物をどこかで見たような気がします。記憶の中のその人物はこんなに年老いてはおらず、もっと若い姿をしていましたが、この目には見覚えがあります。そう、あれは前のわたくしの最期の夜、王宮からわたくしを連れ出し、湖に導いたのがこの男でした。
血の気が引いて身が震えそうになるのを懸命にこらえました。今一番恐ろしい思いをしているのはわたくしではなくクリスです。わたくしが過去の感傷に囚われている暇はありません。
わたくしがクリスをかばうように立っていると、宰相はわたくしに向かって口を開きました。
「君と会うのは初めてだな、魔王殿。私が宰相のダニエルだ。早速だが勇者を渡してもらおうか」
「初めまして、宰相殿。その申し出はおかしくありませんか? わたくしは魔王です、あなた方人間はわたくしを討とうとしているのでしょう。どうしてわたくしを放っておいて勇者を連れて行こうとするのです?」
「主従揃って質問が好きなのだな。どうしても何もない、勇者は大罪人だ、しかも今まで散々逃げ回っている。君を討とうとすれば、その間に彼はまた逃亡してしまうかもしれない」
わたくしの後ろのクリスが息を飲む気配がしました。
「しかし勇者をかばうとはおかしな魔王だ。そんなにお望みなら、君も彼共々ここで討ってやってもよいのだが」
彼の言葉に周囲の魔族が色めき立っているのが分かります。遠くからかすかに殺気が漂ってきました。それを察知したらしいエミールが、宰相に歩み寄り耳打ちします。
「おや、どうやら魔王殿は兵を伏せておられるらしい。気づかなければだまし討ちをされるところだったな。仕方ない、粗暴な魔族どもを撃退するとしよう」
それはまぎれもなく、宰相の宣戦布告でした。
宰相がそう言うと同時に、隠れていた魔族が一斉に姿を現しました。上空から槍を構えたパーシェと小さいままのルーが下りてきます。わずかな手勢のみを連れている宰相との兵力差は一目瞭然です。
しかし宰相は全く動じることなくにやりと笑いました。彼がすっと手を上げます。
その途端、信じられないことが起きました。宰相の後ろにある転移の門、それがどんどん大きくなっていき、数人が同時に通り抜けられるのに十分な大きさになったのです。
「門の大きさが変わるなんて、聞いたことねえぞ!?」
兄様が思わず叫びます。みなも驚きを隠せません。もちろんわたくしも。
そうやって驚きで棒立ちになっている魔族たちを尻目に、人間の軍勢が隊列を組んで門から侵入してきました。彼らは一糸乱れぬ動きで散開すると、いっせいに武器を構え魔族と向かい合いました。これで数の上では五分五分といったところでしょうか。
向かい合った両軍を楽しげに見渡すと、宰相は愉快でたまらないとばかりに言い放ちました。
「驚いただろう、魔族の諸君。これこそ私がそこの勇者から奪った力。空間を繋げる力だ!」
そのまま彼は高らかに笑っています。そっとクリスを見ると、彼は真っ青になりながらも、力強い目で宰相をにらみ続けていました。
「勇者よ、お前はかつてこの力の恩恵に預かっているのだぞ? 魔界を目指す旅の途中、お前たちの前に新たな転移の門が突然現れたことを、お前はおかしいとは思わなかったのか? あれは私の差し金だ。この力を使って、お前たちの行く手に道を作った。お前が力をつける前に、魔界に放りこんでしまいたかったからな」
宰相はおかしそうに笑うと、辺り一帯に響き渡るような大きな声で高らかに叫びました。
「さあ、邪悪なる魔王と大罪人たる勇者を討て!」
その号令に続き、人間の軍勢が雄叫びをあげながら一斉に突撃してきました。




