37.それぞれの思い
それからの数日はとてもあわただしく過ぎていきました。みな宰相との話し合い、そして戦いの準備に余念がなかったのです。
魔王城でも、いたるところで魔族たちがせわしなく行きかっていました。そんな中、わたくしは人を探して一人で歩いていました。どうしても今のうちに、話しておきたい相手がいたのです。
「あ、リュリ様どうしたんですかあ」
あてどなくさまよっていると、廊下でパーシェと出会いました。魔王城に帰り着いた後だというのに、彼女は旅の間と同じように魔法の道具を大量に持ち歩いています。
「エスメラルダとイヴァンを探しているのです。……ところで、あなたはまだ魔法の道具を持ち歩いているのですね?」
「その二人ならさっき中庭で見ましたよ。で、魔法の道具ですか? だって、これからたぶん宰相とかいうのと戦うことになるんですよね? でしたらこれの出番じゃないですかあ」
「……できるだけ人間を傷つけないように気をつけてくださいね」
「はーい。私としては人間がどうなっても構わないんですけど、リュリ様が悲しむから気をつけますね。あと人間って一応エスメラルダたちの同類ですし。友達の友達は私の友達? あれ、違ったかな」
言いながら背筋を伸ばして少しおどけた敬礼をするパーシェ。旅の間も、そして今も、彼女のおおらかさにはずっと助けられてきましたね。
そう思ったら、するりと感謝の言葉が口をついていました。
「……ありがとう、パーシェ。これからもよろしくお願いします」
「わっ、リュリ様どうしたんですか!? お願いされなくても、もちろん私はずっとリュリ様と一緒にいますよお」
パーシェが笑いながら抱きついてきます。わたくしも彼女の意外と小さな体をしっかりと抱きしめ返しました。
パーシェと別れ、彼女に教えられた通り魔王城の中庭に向かうと、何やら話しているエスメラルダとイヴァンの姿が見つけました。わたくしは彼らに近寄り声をかけます。
「二人とも、少し時間をもらえませんか? 話しておきたいことがあるのです」
「なに? 別にいいけど」
「私も構わない」
わたくしは周囲をうかがい誰もいないことを確認すると、小声で言いました。
「宰相との話し合いですが、おそらく、いえほぼ確実に戦いになります。ですからあなたたちは話し合いには参加せず、ここで待っていて欲しいのですが」
「嫌よ」
エスメラルダがばっさりと切り捨てます。イヴァンも無言でうなずいていました。
「そりゃあまあ、あの人には一応恩もあるけどね。でもそんなもの、罪人に仕立て上げられた時点でちゃらよ。私だって当事者なんだし、真実をちゃんと知りたいの」
「私も……宰相様に恩は感じているが、だからと言って、今回のことから目を背けたくはない。何が正しいのか正しくないのか、きちんと知って考えたい」
「そうよね。……エミールのこともあるし」
そう言って彼女はうつむきました。エミールというのはかつて人間界でわたくしたちを追ってきた方でしょう。確か、かつて彼女たちの友人であった方。彼は宰相に忠誠を誓っているように見えました。
「彼が私たちを追ってきたあの時、彼には迷いが見えた」
「イヴァンもそう思う? エミールはあの人の命令がおかしいと気づいていて、それでも逆らえないって感じがしたわよね」
「同感だ」
「だからねリュリ、私たちは真実を知りたいの。そうすればエミールを助けられるかもしれないから。あれだけ迷いながらあの人に従っているエミールなんて、これ以上見たくないから」
二人はまっすぐな迷いのない目でわたくしを見つめてきました。彼らの気持ちはもう固まっているようです。ならばわたくしも彼らの思いを尊重しましょう。
「分かりました。ただ、話し合いの間は目立たないように魔族たちの間に隠れていてください。あなたたちはクリスを見放していなくなった、今はそういう筋書きになっていますので。そして身の危険を感じたら、ためらいなく逃げてください」
「ええ。でも戦いになったら逃げずに貴方たちに力を貸すわ。ここまで助けてもらったし、それくらいしたいのよ」
「私も助力する」
そう断言すると、二人は談笑しながら歩き去っていきました。どこにも迷いなど見られない、堂々とした足取りでした。
彼らを見送ってほっと息をつき、振り返るとそこには兄様が立っていました。気配を消したまま、いつの間にかわたくしの背後に来ていたようです。
兄様はわたくしが驚いたのを見ると満足げな顔になり、そのままわたくしの頭をなでてきました。突然どうしたのでしょう。
「あの、兄様? なぜ頭を?」
「ああ、ちっと褒めてやりたくてな」
わたくしは何か褒められるようなことをしたのでしょうか。全く身に覚えがないので首をかしげていると、兄様は笑って言いました。
「お前、旅に出る前と比べてずいぶん変わったよな。つい最近まで、俺にしがみついている臆病な子供のままだと思ったのに、えらく強くなってしっかりしちまった。今みたいなとんでもない事態でも、うろたえることなくどっしり構えやがって。いやあ、本当に変わっちまった」
「そんなに変わりましたか? ……そう言えばカティにも変わったと言われましたね。彼は『楽しそうにしている』と言っていましたが」
「それもあるな。まあそれがあのクリスのおかげだってのが、ちょいとしゃくに触るがな」
そう言うと兄様はわたくしの髪をくしゃくしゃとかき回し始めました。
「リュリ、お前がどこに進もうとも、お前の背中は俺が守ってやる。俺はお前の護衛で、それ以前にお前の兄だからな」
一瞬だけ真顔になると、兄様はまたいつもの人懐っこい笑みを浮かべました。小さいころからわたくしを勇気づけてくれるこの笑みが、わたくしはとても好きでした。
わたくしも兄様に笑い返し、そのままわたくしたちはしばらくの間黙って微笑みあっていました。
毎日準備に追われているうちに時間は過ぎていきました。いよいよ明日、わたくしたちは宰相と相まみえることになります。わたくしは明日に備えて早めに床につきましたが、全く眠気がやってきません。どうやら緊張しているようです。
いつまでもこうしていても仕方がないので、外の空気を吸おうと部屋を抜け出しました。テラスに出て、ゆっくり月光浴でもしましょう。
そう思って外に出たわたくしの耳に、かすかな笛の音が聞こえてきました。
「こんばんはクリス、素敵な曲でした」
笛の音が止むのを待って、わたくしはクリスに声を掛けました。
先ほどテラスに出たとたん聞こえてきたかすかな笛の音。その出所が気になって探しに行ったところ、城壁の上の通路で一人ひっそりと笛を吹いているクリスの姿があったのです。
「ああ、リュリ。わざわざ聞きにきてくれたのかな? 嬉しいけど少し恥ずかしいね」
そう言って微笑むクリスの顔は、かつての明るさを取り戻しているように見えました。
「眠れなくて外に出たら、笛の音が聞こえてきたのです。誰が吹いているのか気になって探しに出てしまいました」
「ああ、君も眠れなかったのか。仕方ないか、明日はいよいよ宰相様との顔合わせだからね」
「ええ。……あなたが人間界で幸せに暮らせるかどうかが、明日の話し合いにかかっているのかと思うと」
「ありがとう、君は相変わらず俺の幸せを祈ってくれているんだね」
クリスはふと顔を上げ、夜空を見ました。彼の目線の先には二つの月が輝いています。
「……俺はね、最悪人間界に戻れなくてもいいと思ってる。君を悲しませたくないから、俺は生きることを決して諦めない。けれど俺が生きる場所はどこであってもいい。そう思うんだ」
彼の信じられない告白に、わたくしははっとして彼を見つめました。彼はわたくしの方を見ることなく話し続けています。
「話し合いの結果、宰相様が俺の命を狙い続けるのなら……俺は魔界に残る。そのまま転移の門を封鎖してしまえば、宰相様といえど何もできないだろう。もしそうなったら、俺が魔界の住人となることを許してくれるかな、リュリ?」
そこで彼はわたくしを見、とても優しく微笑みました。彼の顔には諦めも絶望もなく、ただ穏やかな色で満たされていました。
だからわたくしも何も心配することなく、安心して微笑み返しました。
「はい。その時は魔王の名にかけて、あなたを魔界で受け入れることを約束します。……一緒に生きましょうね、クリス。何があっても」
「ああ。何があっても」
そのままわたくしたちは並んで夜風に吹かれていました。明日何があろうと、きっとわたくしたちは大丈夫。根拠などありませんが、そう心から思うことができました。




