35.魔王の策略
今後の大まかな作戦を決めたわたくしたちは、来た道を大急ぎでとんぼ返りしました。転移の門をくぐって魔界に戻り、また大きくなったルーに乗って全速力で魔王城を目指します。
もう宰相は兵を集め始めていますから、時間をかければかけるほど彼の兵力は増してしまい、今後の作戦がより困難なものになってしまいます。
そして魔族は変わらずにクリスを狙っていますから、うかつに地上に降りるわけにもいきません。常に焦りを感じながら忍耐を強いられる、今までで一番過酷な旅路でした。
けれどルーが無理をしてくれたお陰もあって、予定よりもずっと早く魔王城が見えてきました。ルーが減速する時間すら惜しんで、わたくしはクリスと猫の姿になったシャトを抱えてルーから飛び降りました。落下の勢いを魔法で相殺し、そのまま魔王城のテラスに着地します。
わたくしはシャトを床に降ろし、クリスを連れてゆったりと歩き始めました。この時間なら、彼はいつもわたくしの部屋に隣接した執務室にいるはずです。扉を叩くと、カティの声が返ってきました。そのまま扉を開けます。
カティはわたくしたちの姿を見、目を見開きました。黒い瞳孔がどんどん大きくなって、真ん丸になります。
「ただいま戻りました、カティ。勇者は仲間に見捨てられ魔界でも追われる身となったことに絶望して、人間界に戻りたいと言っています。どうせ死ぬしかないのなら、せめて陽光の元で死にたいのだと」
わたくしは悲しそうな顔をして彼に告げました。ここからは見えませんが、一歩後ろに立っているクリスは、打ち合わせ通りに虚ろな目をしてうつむいているはずです。
突然の展開にさすがに頭がついて行っていないらしいカティに、わたくしはさらに告げました。
「ですが、彼をどうやって人間の手に渡したものか、困っているのです。一度は共に旅をした相手ですから、その辺に放り出したくはありません。それに下手な人間に捕まってしまっては、その後どんな扱いをされるか分かりません。できれば、王国でもそれなりの地位のある人にたくしたいのですが」
「……それでしたら私にお任せください。人間界に少々ですが、つてがありますので」
ようやく立ち直ったらしいカティが返事をしました。わたくしは悲しげに笑うと彼に抱きつきます。いつものわたくしらしからぬ行いではありますが、今はどうしてもこうする必要があるのです。
「ああ、やっぱりあなたは頼りになりますね。今まで迷惑をかけてしまってごめんなさい」
カティが動揺する隙すら与えずに、わたくしは彼の首元に顔を近づけました。
「あら、あなたはこんな首飾りをしていましたか? なにか魔法の道具のように見えますが」
白々しくそう言うと、わたくしは彼の首飾りを素早くつまんで壊しました。シャトの首輪とよく似た、布の紐と銀色の板でできた首飾りを。シャトの時と同じように。
首飾りが彼の首から外れ、わたくしの手の中でその残骸が下がっているのを見ると、カティは絶望したような叫びをあげました。
「リュリ様、それは!」
「大丈夫よ、カティ」
ちょうどその時、元の姿に戻ったシャトがわたくしの後ろから現れました。カティの瞳がまた驚きに見開かれます。
「かあ、さん……どうして」
「魔王様が助けてくださったの。私たちはもう自由よ、カティ」
シャトがそう言うと、カティは顔をくしゃくしゃにして机に手をつき、うつむいてしまいました。シャトはカティのそばに行くと、しっかりと彼を抱きしめました。カティも彼女を抱きしめ返します。
そこから先は、二人とも声にならない嗚咽を上げ、ただ泣きながら抱き合っているだけでした。親子の再会を邪魔してしまわないように、わたくしはクリスを連れてそっと自室のテラスに戻りました。
テラスには、わたくしと共に魔王城に戻ってきた全員が勢ぞろいしていました。飛べるパーシェとガラント、そして飛行の魔法を使えるエスメラルダが手分けしてルーから全員を下したようです。当のルーも、また小さくなってレッガの肩に乗っています。
わたくしがカティから外した首飾りを掲げると、みなが笑顔になり歓声を上げました。
そのままテラスで待っていると、しばらくしてカティとシャトが二人並んで現れました。二人とも穏やかな笑みを浮かべています。
「リュリ様、まずは礼を言わせてください。母を助けてくださって、本当にありがとうございました」
「いいえ、わたくしこそあなたの苦しみに気づいてあげられなくてごめんなさい。首飾りは壊したから、これでもう宰相の目を気にせずに話せますね」
「母が解放されていた時点でもしや、とは思いましたが、貴女は私が宰相の耳目になっていたことをご存知だったのですね」
「ええ。そして首飾りを壊す前に、あなたを通じて宰相に罠を仕掛けようとしたのです」
「罠? ああ、さきほどの不可解な行動はそういうことでしたか」
いつもの冷静な顔をしながらも、どこか晴れ晴れとした表情のカティが納得したようにうなずきました。
「不可解、でしたか?」
「はい。争いごとを好まないあなたが、ウンディーネ族とはっきり敵対してまで守ろうとした勇者をあっさり見捨てるというのは、どうにも腑に落ちませんでしたから」
「クリス、貴方愛されてるわねえ」
わたくしとカティが話し込んでいると、エスメラルダがクリスを小突いて言いました。カティはそこでふと我に返ったようにみなを見渡すと、改めてわたくしに向き直りました。
「リュリ様、その辺りの話も含めて、一度お互いの情報をすり合わせませんか。最後に貴女と話してから時間も経っていますし、その間に状況も動いています」
「そうですね。お互い長い話になりそうですから、一度場所を変えましょうか」
わたくしたちはそう言って、会議室に場所を移すことにしました。長い長い打ち明け話になりそうな予感がしました。
会議室につくと、みな思い思いの席に着きました。全員が着席したのを見届けたカティがおもむろに口を開きます。
「まず、私は以前から魔界と人間界に複数の斥候を放ち、二つの世界の情報を常に集めていました」
「ええ、最初の旅の間、あなたの情報にはずっと助けられてきましたね」
「ありがとうございます。リュリ様が人間界に渡ってすぐ、あの盗賊たちが宰相の手のものであるとの知らせが入りました。門のある岩山を爆破した盗賊の頭は宰相の子飼いであり、爆破に用いた魔法の道具も宰相から渡されたものでした」
その言葉に、クリスがはっとしてカティを見つめました。手がわずかに震えています。
「私とリュリ様の会話は首輪を通して宰相に聞かれていましたから、彼は勇者がどの門から人間界に戻るつもりなのか知っていました。だから、勇者を殺せるように前もって罠を仕掛けておいたのでしょう」
「そんなにも前から、俺は命を狙われていたのか……やはり、エスメラルダの密命もそうだったのか……」
「そもそも貴方が勇者となった時点からずっと、貴方は宰相に命を狙われていたのですよ。あの男は勇者を殺すことに異様に執着しているようでしたから」
落ち込んでいるクリスに容赦ない追撃を加えると、カティはさらに続けました。
「その企みはリュリ様によって防がれました。ですが、あの抜け目のない男のことです。きっと二重三重に罠を仕掛けているに決まっています」
「実際、人間界に王国兵を伏せていたのよね、あの人は」
エスメラルダが小声でつぶやいています。クリスとイヴァンもうんざりした顔をしていました。
「この状態で私がリュリ様と連絡を取り続けると、勇者の最新の情報が宰相に流れ、勇者がより執拗に宰相に狙われてしまう。その結果、勇者と共にいるリュリ様に負担をかけてしまいかねない。そう考えて、貴女との連絡を絶ったのです」
これでカティと連絡がとれなくなった理由が分かりました。きっと、彼としても苦渋の決断だったでしょう。
「……そして私は、どこかでリュリ様に諦めて欲しかった。勇者を守り切ることはできない、彼のことは諦めて魔界の平穏を優先させよう、そう考えて欲しかったのです。そうすれば宰相の悪辣な魔の手が貴女に及ばずに済む。宰相が執着しているのは勇者だけであって、魔界には大して興味もないようでしたから」
カティは唇をかみしめていました。何かを悔いているような表情をしています。
「だから私はあの通達を出したのです、『魔王と勇者が通じ』との文言を入れて。人間界で彼がどのような罪状に問われているかは斥候を通じて知っていましたから、魔界でも同じ罪状を突きつければ、より勇者を追い詰めることができるかと思ったのです」
「そこんとこはお前の読みが甘かったな。こいつウンディーネ族に喧嘩売ったあと、俺と全力の怒鳴り合いをして一歩も引かなかったんだぞ」
「あの時のリュリ様すごかったですよねー。何がなんでもクリスを守るんだー、ってすっごい剣幕でしたもん」
楽しそうな笑みを浮かべて茶々を入れる二人を無視して、カティは話を終えました。またいつも通りの静かな表情に戻っています。
「以上が、私の方で起きていたことです。それではリュリ様、そちらの話をお願いします」
今度はわたくしの番です。クリスと人間界に行って彼の仲間に会ったこと、人間の軍勢から逃げてきたこと、みなで魔界に戻るやいなやまた追われる身となったこと、宰相に会いに行こうとしてシャトに出会ったこと。こうして改めて語ってみると、自分がどれだけ忙しく動き回っていたのか実感します。
全ての話を聞き終わると、カティは長い長いため息をつきました。
「貴女は宰相の人となりとその行いを知った上で、それでも勇者を諦めるつもりはない、そういうことですか」
「ええ。クリスを見捨てて自分だけ平和に生きるなんてできません。まだできることがあるなら、あがいていたいのです」
「そのためだけに魔界と人間界を往復して、終いにはあんなお芝居まで……ここまで情が移ってしまわれるなんて、本当にあの時勇者に会わせなければよかったと後悔していますよ」
「お願いですカティ、あなたの力を貸してください。これからわたくしは宰相と話さなくてはなりません。彼の真意を知り、その上でクリスが生きるための道を探りたいのです」
そう話すわたくしの顔を、クリスが静かな目でじっと見つめているのが分かりました。その目に勇気づけられるように、わたくしはさらに言葉を紡いでいきました。
「クリスだけではありません、エスメラルダも、イヴァンも……彼らは人間ではありますが、わたくしの大切な友人です。友人を守りたいと思うのは当然のことでしょう」
ここまで言い終えると、わたくしはカティの顔をまっすぐに見つめました。カティはしばらくわたくしを見つめ返していましたが、やがて目を閉じて言いました。
「……いいでしょう、貴女のその案に乗ります。貴女の望みをかなえるために、私は全力を尽くします」
そうぽつりとつぶやき、カティは席を立ちました。
「さあ、そうと決まればやることはたくさんありますね。一気に忙しくなりそうです。母さん、手伝ってくれないかな」
「ええ、私でよければいくらでも」
そう言ってカティとシャトが連れ立って会議室を出ていきました。残されたわたくしたちも、ばらばらと立ち上がります。
久しぶりの我が家ですが、くつろいでいる暇などありません。今のうちにできる限りの準備をしておかなければ。
決戦の時は、もう近いようでした。




