34.真実の一端
わたくしは猫を抱いたまま兄様たちの待つ地点まで無事に引き返してきました。猫は指輪を持っていませんが、わたくしと一緒なので魔法の境界を越えることができました。
そうして城塞の魔法の中に入ると、猫は地面に飛び降り姿を変えました。その姿は中年にさしかかったくらいの年頃の女性の姿で、青灰色の毛並みの猫の耳と、同じ色の尻尾をもっていました。そして何よりその顔立ちは。
「カティ!?」
年頃と性別は違っていましたが、その人はカティによく似ていました。彼女は顔をほころばせると、柔らかな声で話し始めました。
「みなさま、息子をご存知なのですね。私はシャト、カティの母です」
「リュリ様が連れてきた猫がカティ様そっくりで、そしたらカティ様のお母様で、って何でそんな人がこんなところにいるんですかあ!?」
混乱したパーシェがあたふたとしながら小さく叫びます。それを聞いたシャトはわたくしに向き直り一礼しました。
「あなたがリュリ様でしたか。初めまして魔王様、息子がお世話になっているようですね」
「あ、いえ、いつもカティに助けられているのはわたくしの方なので」
互いに頭を下げ合うわたくしたちの間に、エスメラルダがずかずかと割って入りました。
「あーはいはい、そういう挨拶は後で。シャトと言ったかしら? 私たち、色々あって宰相についての情報が欲しいのよ。それも大至急。だから貴方に分かることをさっさと全部喋って頂戴」
「エスメラルダ、それではまるで脅迫だ。まずはこのご婦人に状況を説明してからだろう。リュリ殿、説明をお願いできるか」
イヴァンにうながされ、わたくしはシャトに話しました。勇者のこと、彼が人間界から追われていること、カティにより魔界からも追われる身になってしまったこと、それらに宰相が関わっている可能性があるということ。
彼女は相槌を打ちながら神妙に聞いていましたが、一通り聞き終わると深くうなずきました。
「そういうことでしたら、私の知っていることが役に立つかもしれません。宰相、あの男は私が力を封じられて喋れないからと油断して、腹の内のあれやこれを語って聞かせてきましたから」
彼女はそう言いながら顔をしかめていましたが、一方でわたくしたちはその言葉にみな顔を輝かせました。真実を知る者が、ここにいるのです。
「そうですね……まず勇者のことですが、宰相が勇者の死を望んでいることは事実です。あの男の口癖は『前の勇者は首尾よく排除できたというのに、今の勇者は中々上手くいかん』でした。『前もって兵を伏せておいたのに、まさか魔界に逃げ込まれるとは』とも言っていましたね。ああ、あと『勇者の力を全て奪えなかったのは忌々しい』という言葉も幾度となく聞いています」
宰相がクリスの命を狙っていることははっきりしました。けれど、前の勇者とは、勇者の力を奪うとは、それはどういうことなのでしょう。一つ謎が消えて、二つ謎が増えてしまいました。
「そしてあの男が魔王様の名を知っていた理由、それも分かります。お察しの通り息子から情報がもれているのです」
そう言うとシャトはひどく悲しそうな顔をしました。
「そもそもの始まりは、私の愚かな好奇心でした。私が若かったころ、人間界に興味を持った私は門をくぐって人間界に渡り、猫のふりをして王都で暮らしていました。やがて私は人間の男性と恋に落ち、カティが生まれました」
それでは彼は、人間と魔族の混血だったのですか。ずっと一緒にいたのに、全く気づきませんでした。兄様やパーシェも、驚きを隠せていません。
「けれど私はこの姿か猫の姿にしかなれません。人間界で子供を育てるのはとても無理だと思いました。そして夫と共に王都を離れようとしたとき、宰相に見つかってしまったのです」
シャトの顔がゆがみました。激しい苦痛をこらえているような顔です。
「あの男は言葉巧みに私たちを誘い、私たち一家を屋敷の奥に住まわせたのです。夫はあの屋敷の使用人として働き、私は屋敷の奥でひっそりと息子を育てていました。やがて息子が成長し、たぐいまれな賢さを持っていることが分かると、あの男は私たちを罠にはめたのです」
そういってシャトは目元を押さえました。声も震えています。
「夫は不慮の事故で命を落とし、私は猫の姿で力を封じられてしまいました。そして息子は……息子は、私の命が惜しければ宰相の手駒として働けと言われたのです」
「なにそれ、やっぱりあいつ最低だったわ!!」
耐えかねたエスメラルダが叫びます。他の者も、みな悲痛な顔をしていました。
「息子は優秀な若者に育ち、宰相に首輪をつけられて魔界に渡りました。宰相が息子に命じたのはただ一つ、魔王のそば近くで働くこと。そうすれば、息子が見聞きしたものが首輪を通じて宰相に届くから」
ああ、それでまた一つ謎が解けました。あれはいつのことだったでしょうか、彼はかけがえのない存在だと伝えたら、彼は必死で否定していたのは。妙に自分を卑下していたのは。
あれは彼が、自分は魔王のそばで宰相に情報を売り渡している存在だと知っていたから。そして彼はあの時のほかにも、時折色々な感情が混ざったような複雑な表情をしていました。そこに見えていた迷いも、これらの過去のせいだったのでしょう。
わたくしはやはり魔王失格です、臣下がこんなに悩んでいたのに気づいてあげられなかったなんて。ごめんなさい、カティ。
「……聞けば聞くほど、ひどい話だな。なあリュリ、カティに母親を救い出したと伝えてやったらどうだろう」
シャトに負けず劣らず苦しそうな顔をしたクリスがわたくしにそう言いました。わたくしが魔法の耳飾りに手を当て、カティに呼びかけようとすると、シャトがそれを止めました。
「魔王様、今息子にそれを伝えてはいけません。魔王様はもうずっと息子と話をしていないのですよね? ならば魔王様と勇者が今どこにいるのか、宰相は知らない可能性が高いのです。むざむざあの男に情報を与えることはありません」
「今伝えてはいけないというのなら、後でなら良いのでしょうか?」
「はい。宰相は今、王都の近郊にある平原に、勇者討伐のための兵を集めているところです。私が魔王様に救出されたことが今息子に知れれば、宰相は王都にその兵を差し向けてくるでしょう。おそらく勇者は魔王様と共にいる、そう踏んで。ですから息子に私のことを伝えるのは、魔王様が安全なところに移ってからにしてください」
シャトは冷静さを取り戻して説明を始めました。この話しぶりはカティにそっくりです。
「あー、また宰相かよ。あいつさえ大人しくなれば、万事丸く収まるってのによ」
「同感ね。それにしても、あの人が何で勇者をしつこく付け狙うのかは結局謎なのよね」
「やっぱり俺は、一度ちゃんと話をしてみたいんだけどな」
「しかし人間界で彼と会うのは危険でしょう。勇者殿の時と同じように、それがしがおとりになっておびき出しましょうか」
「ガラント殿、あなたが魔王ではないということは宰相にはばれておりますぞ」
「そうであった」
みなが口々に意見を言い合っています。それを聞きながら、わたくしはぼんやりとある考えが形をなしていくのを感じていました。宰相に会いその真意を問う、その機会を作るための策略。
「あの、わたくしに一つ考えがあるのですが、聞いてもらえますか」
そう言うと、みなわたくしの方を見てうなずきました。それを受けてわたくしは話し始めました。
「やはり、宰相がなぜ勇者を狙うのかが分からないと、打つ手は見つからないと思うのです。そのためには、彼と一度話をする必要があります」
「でも宰相って人間界の偉い人ですよね? どうやって会うんですか?」
パーシェが質問してきました。そう、そこが問題なのです。だから。
「おびき出しましょう」
全員が固まりました。驚きで声すら出ないようです。
「つまりですね、宰相はクリスに執着しているのですから、それを利用できないかと思ったのです。わたくしがクリスの身柄を拘束し、その上で宰相に引き渡したいと言えば」
「……それ、どこをどうやっても罠にしか見えねえぞ」
「ええ。けれど宰相は、罠と分かっていても来るはずです。彼はどうしてもクリスの身柄が欲しいでしょうから」
「うーん、一理あるかもね。けれど貴方は人間にとって討つべき敵とみなされているのよ? そんな相手との話し合いに宰相が応じるかしら」
ここでシャトが口を挟みました。何かを確信している様子です。
「それは大丈夫でしょう。魔王様が人間にとって無害な方であることを宰相は知っています。魔王討つべしとの空気が今王都に流れているのは、勇者を魔界に送るための口実として、宰相が故意に偽りの情報を流したせいですから。もっとも、話し合いに応じたとしても彼が軍勢を連れて来るのは避けられないでしょうが」
「なんだそれ、宰相のやつそんなことまでしてやがったのか。だったらこっちも数揃えて迎え撃ってやるか?」
兄様が愉快そうに笑いながら力こぶを作っています。それを見てクリスが肩をすくめました。
「仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけれど……俺のせいで人間の軍と魔族の軍が向かい合うって、想像を絶する状況だね」
「まるで囚われの姫君だな、お前は」
「俺は一応勇者なんだけどね」
イヴァンまでクリスをからかっています。どうやらみな、わたくしの思い付きに反対はしていないようでした。
そうと決まれば一刻も早く戻らなければなりません。魔界に戻りカティの首輪を壊し、彼を巻き込んで宰相に対抗できるだけの戦力を整え、そして宰相と会う。こんな漠然とした作戦が、はたして上手くいくのでしょうか。
と、そんなわたくしの不安を感じ取ったのかシャトがわたくしの傍まで来て、またにっこりと微笑みました。
「魔王様、大丈夫ですよ。あなたの力と、あなたが結んだ絆。いずれもあの宰相にはないものです。自信を持ってください」
そう励ますシャトの表情は、懐かしいカティのそれにとてもよく似ていました。




