32.王都を目指して
次の目的地は人間界の王都。そう決まりましたが、わたくしたちの進路は変わりません。もともと魔族から逃れるために辺境に向かっていましたし、このまま辺境にある転移の門を目指すことになりました。
少しでも早く門につきたいのと、途中で地上に降りればカティの息がかかった魔族に襲われる可能性があるのとで、わたくしたちは目的地までずっと空の上で過ごしていました。昼間はルーが飛び、夜はわたくしが眠るルーを魔法で浮かせる。それの繰り返しです。
ルーも張り切っており、『まおうさまはいそいでいるので、ぼくのごはんはとびながらすませます』と言いだしました。
彼は割と雑食で、そこらの獣から木の実、木の葉まで何でも食べるようです。飛びながらの食事も経験があるそうですが、それは地上すれすれの低空飛行で森の上を通り抜け、木々の先をまとめて口に入れながら飛び続けるという大変豪快なものでした。
今回は準備なしの長旅になってしまいましたが、たまたまレッガが大量の食糧を収納魔法で持ち運んでいたため、この大人数での移動にも関わらず物資の補充も必要ありませんでした。この人数なら二か月は賄えますぞ、とレッガは言っていました。収納魔法が得意とは聞いていましたが、予想を遥かに超える収納能力です。
そんなレッガに、思い切ってわたくしは声を掛けました。
「レッガ、あなたがいてくれて助かりました。けれど……わたくしたちについてくればあなたも魔族に狙われてしまいます。それで本当に良かったのでしょうか」
「今さら水臭いことをおっしゃいますな、魔王様。わしはあなたに力を貸したいと思っただけですぞ。クリス殿も、勇者でありながら中々好感の持てるお方ですしなあ」
そう言っておおらかに笑うレッガに、わたくしはただ深く頭を下げました。彼の思いが、ただありがたく、心にしみるのを感じました。
空の旅の間、たまに追いついてきた魔族がわたくしたちに弓矢で射かけてくることもありました。そのような時に驚くほどの活躍を見せたのがガラントでした。
彼は目くらましの闇の魔法ですっぽりルーを包んでしまい、追っ手の魔族が上手くわたくしたちを狙えないようにしてくれました。流れ矢がばらばらとルーに当たりますが、こちらはルーの分厚い外皮に阻まれて、傷一つつけることができません。『ぼくはじょうぶなのです』とルーは胸を張っていました。
ガラントはそうやって攻撃を防ぐと、今度は威力を弱めた雷の魔法を広く周囲に放ちます。闇の魔法にひるんだ魔族たちはその雷に移動を阻まれ、退却を余儀なくされていました。
その鮮やかな魔法さばきをみな称賛していましたが、彼によれば「これはそれがしが逃げるための技術にございます」とのことで、「そういえば、貴方を追いかけ回しているときにこの魔法を見た覚えがあるわ」とエスメラルダは納得していました。
彼は「なんにせよ、それがしの力が魔王様のお役に立てて嬉しく思います」と誇らしげにしていました。彼もまたレッガと同様に巻き込まれた身ではありますが、「勇者を守りたいという魔王様の意思を尊重させてください」と言ってこの旅から離脱することを拒んでいました。わたくしはいい臣下に恵まれていたようでした。
そうして飛び続けていたある日、眠るルーの背中の上で飛行の魔法を使いながら、一人静かに月を眺めていると、クリスが近づいてきました。
「クリス、眠らなくていいのですか?」
「空の旅は快適だけど、することがないからね。少し目が冴えてしまって」
そう言うと彼はわたくしの横に腰を下ろしました。先ほどまでのわたくしと同じように月を見上げています。彼は意外なほど穏やかな横顔を見せていました。
「前にもこんなことがあったね。ほら、王国の兵から逃げている途中の、人間界の森の中で。君は、あの時話したことを覚えているかな」
「ええ。だって、あれからまだ数日しか経っていませんから」
「そう言えばそうか。君と出会ってからあまりにも色々なことが起こったせいで、もう何年も君と一緒にいる気がするよ」
「そうですね。あなたとはこの間知り合ったばかりなのに、ずっと昔からの知り合いのように思えてしまいます」
「それだけ親しみを覚えてもらえたってことかな? それなら嬉しいのだけれど」
「ふふ、あなたのそういう気安い言葉、久しぶりに聞きました」
わたくしが笑うと、クリスは苦笑して答えました。こうしていると、最初に彼と旅をしていた時を思い出します。
「俺はそんなに気安いかな? よくエスメラルダやイヴァンにたしなめられるんだが、自分ではそう思えなくて」
「そうですね、気安いとは思いますが……わたくしは、あなたはそのままでいいと思いますよ」
彼のこの気安さに最初は戸惑いましたが、慣れてしまうと悪い気はしないのですから不思議なものです。
「そうか、ありがとう」
彼は嬉しそうに笑い、そのままわたくしに向き直りました。今までの柔らかな空気が、急に張り詰めたのを感じます。
「……前に君とこうして話した時よりも、状況は確実に悪くなっている。下手をすると、これからもっと悪くなるかもしれない」
彼の顔から笑みは消え、悲しげな青い目がまっすぐにこちらを見つめていました。魔族から追われることになったと知った直後の、あの絶望をわずかにのぞかせた瞳でした。
「俺は相変わらず君に頼りっぱなしで、俺一人だと何もできない。これ以上君に頼るのは心苦しいけど、どうかあと少しだけ力を貸してほしい」
「クリス、わたくしがあなたの力になりたいだけですから、どうか気にしないで」
わたくしが彼を元気づけようとそう断言すると、彼は真顔になって尋ねてきました。
「君はいつもそう言うね。どうして俺にそこまでしてくれるのかな」
「どうして……考えたこともありませんでした」
改めて聞かれると、わたくしはなぜクリスの力になろうとしているのでしょうか。魔族に逆らって、魔王としての地位も危うくして。そして王都に向かえばわたくしも命を狙われるというのに。
わたくしは少し考えて、思い浮かんだ言葉をそのまま伝えました。
「わたくしはあなたを失いたくない、あなたに幸せになってほしい……これでは答えになりませんか」
彼はその言葉を聞いて一瞬柔らかい笑みを浮かべましたが、すぐに少し残念そうな口調で答えました。重い空気を振り払うようにおどけたようにも、本気で残念がっているようにも見えます。
「そうか、聞かせてくれてありがとう。今は君のその言葉が聞けただけで十分ということにしておこうか」
もしかして彼は、もっと違う言葉を期待していたのでしょうか。一体それはどんな言葉なのでしょう。彼と共にいれば、その言葉が見つかるでしょうか。
そう考えて、ふとあることに気がつきました。どうしてわたくしは、彼が期待する言葉を探そうとしているのでしょう?
考え込むわたくしをよそに、彼はその場に横たわると目を閉じてしまいました。すぐに安らかな寝息が聞こえてきます。そっと手を伸ばして彼の髪に触れると、彼がかすかに微笑んだ気がしました。
見上げると、見慣れた二つの月が静かに輝いていました。
前と同じように大山脈を越え辺境に差し掛かると、そこの風景は一変していました。前は一面の花畑だったそこは、起伏の激しい岩山になっていました。
「本当に地形が変わっちまうんだなあ」
「ここ、確かにこの間通ったとこですよねえ」
「話には聞いていましたが、実際に見てみると面白いものですなあ」
前回もここに来たことのある三人は、その変わりように驚きを隠せないようでした。
「この様子だと、もうフローラ族はこの辺りにはいないのでしょうね。今はどんな種族がいるのでしょう」
「地形が変わった直後は、新たな種族の移住が追い付かず無人の地が多くなると、それがしは聞いております」
ガラントが付け加えました。門の辺りも無人であれば都合がいいかもしれません。
とにかく、ここまでくれば門まであと少し。魔界からも人間界からも追われるクリスを連れた逃避行は、大きな変化を迎えようとしていました。
『まおうさま、もんがありました』
そう言ってルーが着地の姿勢に入ります。この辺りもずっと荒野と岩山ですので、前回のように着地に気を使う必要はなさそうでした。
ルーが着地すると、見覚えのある銀色に輝く門が見えました。辺りには何の気配もありませんが、わたくしたちは周囲をうかがいながら注意してルーから降りました。
「ああ、久しぶりの地面だわ……」
エスメラルダが伸びをしています。イヴァンも少しほっとしたような顔をしていました。
「さあ、長居をしていては何が起こるか分かりません。誰かが来てしまう前に門をくぐってしまいましょう」
わたくしはそう言うと、門に片手をかざしました。門に固定されていた障壁の魔法が一瞬で砕け散り、門は元の虹色を取り戻します。それを見ていたルーが言いました。
『まおうさまはにんげんかいにいくのですか?』
「ええ、そうですよ」
『ぼくもつれていってください!』
「あなたは大きいから門をくぐれないでしょう?」
『ぼくはへんげのまほうがつかえます! ちいさくなれますよ』
言うが早いか、ルーの巨体がみるみる間に縮んでいき、見た目はそのままに鳩くらいの大きさになってしまいました。
「変化の魔法っつったって、いっくらなんでも縮みすぎじゃねえか……?」
みながあぜんとする中、兄様がぼそりとつぶやきました。
そうして小さいルーを加えたわたくしたちは、順に門をくぐることにしました。
まずは兄様とパーシェが先に向こうに出て様子を伺い、安全が確認でき次第イヴァンとエスメラルダ、レッガとガラントの順で門をくぐり、最後にわたくしがクリスを守りながら人間界に出ます。ルーはレッガの肩の上に乗ることになりました。レッガは小さくなったルーが可愛いらしく、手のひらに穀物を乗せてルーに食べさせています。
門の向こうは見晴らしのいい丘の上で、辺りに人間の気配はありませんでした。もう夕暮れ近く、クリスの髪を思わせる夕日が森の向こうに沈み始めていました。その夕日に照らされて、とても大きな山がぽつんと一つ、影絵のように立っていました。
ここはどこなのでしょう、とわたくしがぼんやり考えていますと、クリスたちが山の方を見て呆然としているのが目に入りました。
「どうしたのですか、三人とも」
「ああ、リュリ。ここがどこだか分かったよ……」
「それはよかった。目指す王都はどちらの方角になりますか」
わたくしがそう聞くと、クリスは黙って目の前の山を指さしました。
「あの山のふもとに、王都はあるよ」
わたくしは彼が指さす先を見やりました。あそこに、全ての鍵を握るであろう宰相がいるのでしょう。どうか、あそこで何かの答えを得られますように。




