31.彼女の恐るべき仮説
「人間に命を狙われる? 勇者が?」
エスメラルダの唐突かつ衝撃的な告白に、パーシェが当然の質問を投げかけました。そっとクリスの様子をうかがうと、少し血の気が引いていましたが、先ほどのように絶望した様子はありませんでした。
「こうなったら全部話すわ。このままだと私まで消されかねないし。ねえ、長い話になるからお茶か何かないかしら」
そう言ってどっかりと座り込むエスメラルダ。わたくしたちも同じように輪になって座ります。わたくしはクリスの隣に座りました。これからの話は彼にとってきっと辛いものになるでしょうし、何かわたくしが力になれればと思ったのです。
レッガが全員にお茶を配ると、エスメラルダはしばらく杯を両手で持ち、中で揺れる水面を無言で見つめていました。そして彼女はやがて意を決したように、重い口を開きました。ひどく疲れた様子です。
「先に言っておくけど、私も何がどうなっているかの全ては分かってないわよ。ただ、今この場で一番情報を持っていて、真実に近いところにいるのは私だわ。だからこれから、その情報を話していく」
全員が無言で彼女を見つめました。ひどく真剣な顔です。
「私はメルーアの町の孤児だった。けれど私は町の子供の中で一番賢かった。その才能を見出され、私は宰相の庇護下におかれて、王都で魔法を学ぶことになったの」
突然彼女が語り始めた過去に、全員が肩透かしをくらったような表情になっています。けれどわたくしはかすかな違和感を覚えていました。宰相。その言葉を何度か聞いたことがあります。
王国兵が持っていたという命令書は宰相の署名入りでした。そしてクリスが人間界に戻ってきたとき、その位置を正確に把握してエスメラルダたちに教えたのも宰相だったはず。
「宰相は才能のある子供を集め、それぞれの能力に応じた教育を受けさせているの。イヴァン、貴方もそうやって拾われたくちでしょう?」
エスメラルダが聞くと、イヴァンは短くああ、とだけうなずきました。
「クリス、貴方はどうだった?」
「俺は少し違うかな。体が弱い妹を王都の療養所に入れてくださったのが宰相様だったんだ。その後俺も王都に呼ばれて、勇者として魔王を討ってくれと頼まれたんだ。妹のこともあるし、俺には断る理由なんてなかったよ」
前に体が弱い妹がいると彼から聞いてはいましたが、ここでも宰相が関わっていたのですか。
「だったら貴方はお優しい宰相様にさぞかし感謝しているんでしょうね。それこそがあの人の狙いなのよ」
エスメラルダの口調はひどく厳しいものでした。生い立ちから言えば彼女も宰相に感謝していてもおかしくないでしょうに、何かあったのでしょうか。
「そうやって宰相が才能ある子供たちを育てるのは、将来自分の有能な手駒にするためよ。私はずっとあの人を警戒してきたの。おいしい話には裏があるから気を付けろ、ってメルーアの孤児院でさんざん注意されたしね」
「……それでも私は、あの方には感謝している」
「まあ貴方はそれでいいんでしょうね、イヴァン。貴方は純粋に武力を買われているだけなんだから。問題は、私がクリスに同行して旅に出ることが決まった後なのよ」
そこで彼女はクリスをまっすぐに見つめました。淡い紫色をした彼女の目が、恐ろしいほど強い光をたたえていました。
「宰相は私に密命を下したの。どこかでクリスを一人にしろ、と。できれば魔界がいい、魔界に入ったところで彼がはぐれるように仕向けろ、と」
クリスは彼女の眼光に圧倒されたのか、何も言えないようでした。そんな彼にエスメラルダはさらに追い打ちをかけていきます。
「首尾よくいったなら、そのままイヴァンを連れて、勇者が行方不明になったとの報を持って王都に戻るようにと言い渡された。どうしてそんなことをしなければならないのか、理由を尋ねることは許されなかった」
エスメラルダがまたため息をつきました。先ほどの強い光は消え、いつもの彼女に戻っていました。
「だから、クリスが黒い魔王を追って門をくぐった直後、門が使えなくなっていることに気づいたときは驚いたわ。偶然とはいえ、密命を果たせてしまったから」
「……宰相は、彼を魔界で一人にして、どうするつもりだったのでしょうか」
「知らないわ。想像ならできるけど」
「わしら魔族が勇者を亡き者にするか、あるいは慣れぬ土地で勇者がさまよった挙句命を落とすか……その辺りを期待していたとも考えられますなあ」
黙って話を聞いていたレッガがお茶をすすりながらしみじみとつぶやきます。
「私も同感よ。だから本物の魔王がクリスを保護してしまうなんていうのは、きっとあの人からすれば予想外だったんだと思う。その結果、王国兵まで使ってクリスを捕まえようとしたと考えれば一応筋は通るわ。罪人ってことにしちゃえば、堂々と処刑できるから。私たちまで捕まえようとしたのは、きっと口封じね」
「しかしそれでは、あの命令書の説明がつかない。なぜ正しい魔王の名が記されていたのか、なぜクリスと彼女が親しいことが知られていたのか」
彼にしては珍しいことに、わずかに動揺した様子のイヴァンがくってかかります。彼にとって宰相は、純粋に恩人でしかなかったのでしょう。
「それについても説明はできる。魔界に来てから、話がつながったの」
そう言うと彼女はわたくしたち魔族を見回し、目を伏せました。
「ここから先の話は証拠なんて全くないし、しかも貴方たち魔族からしたらかなり失礼に聞こえる話だと思うわ。それでも聞く?」
「ええ、聞かせてください。クリスを安全に人間界に戻すには、きっと真実を知る必要があるのでしょう。ならば真実につながるかもしれない情報から目を背ける訳にはいきません」
わたくしがはっきりとそう答えると、彼女はまだ少しためらいながらも説明を続けました。
「……そう。だったら言うわ。貴方の名前は、人間界では全く知られていなかったけど、魔界ではそれなりに知られていた。そして貴方とクリスが出会ったたことは、極一部の魔族だけが知っていた。つまり、この極一部の魔族からあの人に何らかの形で情報が流れた。そう考えれば何も不思議ではないの」
「それって俺たちがその宰相とかいうやつと繋がってるって言いたいのか? 俺はそんなやつ初めて聞いたぞ」
「貴方は関係ないわよ、ベル。私が怪しいと思っているのはカティよ」
「カティが?」
突然告げられた彼の名前に、わたくしは驚きました。どうしてそんな話になってしまうのでしょう。
「ええ。私、子供のころ一度だけ宰相の屋敷に呼ばれたことがあるの。その時に屋敷の中で道を間違えて、奥まった一室にたどり着いてしまった。そこにいたのは、人と猫の合いの子のような子供だった。青灰色の毛並みがとてもきれいな大きな耳をした、私より少し年上の男の子。その子は私に気づくと、『大人に気づかれたらいけない、早くここを去って』と言って扉を閉めたわ」
それは、もしかして。そうするとカティは、子供のころ人間界にいたということなのでしょうか。それなら、彼が人間界についてもよく知っていたことの説明がつきますが。
「その子はさっき見たカティとよく似ていた。年の頃も、一房だけ白い前髪も。それに王都に魔族はほとんどいない。カティがあの時宰相の家で育てられていた子供で、今も宰相とつながっていると仮定すると、きれいに話が繋がるのよ」
わたくしはカティの過去を知りません。わたくしが彼と知り合ったとき、彼はもうそれなりの年になっていて、そしてどこで身に着けたのか書類仕事の経験を積んでおり、とても博識で様々なことに通じていました。
旅の途中、兄様が彼の過去について詮索したとき、彼は言いたくなさそうな様子でお茶を濁していました。エスメラルダの仮説を否定したくても、その材料がわたくしにはありません。
「しかし、カティ殿が魔王様に捧げる忠誠は、とても偽りのものとは思えませんでしたが。人間と通じているなどとは、にわかには信じがたい」
ガラントが首をひねっています。エスメラルダは悲しそうな顔になると、静かな声で答えました。
「忠誠が真実のものであっても、言うことを聞かせる手段なんていくらでもあるわよ。恩を売るとか、脅迫するとか」
「そうやって、カティが宰相に俺たちの情報を流していた。お前はそう考えてんのか」
「ええ。最初に言ったでしょ、貴方たちには失礼な話かもって。それにもっと言うなら、魔界で一人さまようクリスを始末する役目がカティに与えられてた可能性だってあるわ」
低い声ですごむ兄様をエスメラルダは軽くいなし、またわたくしの方を見ました。
「そういう訳で、おそらくこの件の黒幕は宰相。ただ何でクリスを狙ってるかはさっぱり分からない。これが私が持ってる情報の全部。ここからどうするかは貴方に任せるわ」
「ふああ、なんだかややこしい話でしたあ。その宰相っていうのが全部悪いんですか? そいつをぶっとばしたらクリスは人間界に帰れるんですか?」
「お前はいつも単純だな、パーシェ」
話をいまいち理解できていない様子のパーシェが大変大雑把に話をまとめています。事態はそんなに単純なものではないでしょうが、彼女の言うことにも一理あるかもしれません。
「……エスメラルダ、宰相に会うことはできないでしょうか。直接彼と話すことで、何か変えられるかもしれません」
「えっ、何よ突然? ……私たちの立場じゃ正面切って会えはしないわよ、罪人扱いなんだから。貴方も無理ね。王都では魔王は人間の敵ってことになってるから。そもそも王都に魔族はめったにいないし、ほかの魔族も会いに行くのはまず無理ね」
「正面切って会いに行けねえってんなら、そいつのところに忍び込んじまおうぜ。このままぐだぐだしていてもらちが明かねえ」
「そうは言っても、あの宰相が正直に話し合いに応じる訳ないじゃない。警備の兵を呼ばれておしまいよ」
「いや、エスメラルダ。俺も宰相様に会いたい」
これまでずっと無言を貫いていたクリスが、まっすぐに顔を上げました。声には隠し切れない落胆がにじんでいましたし、その瞳はまだ動揺で揺らめいていましたが、それでも彼は力強く言い放ったのです。
「本当に宰相様が本当に俺の命を狙っているというのなら……俺が宰相様の前に現れれば、きっと宰相様は何らかの行動を起こすはずだ。それに、どうして宰相様があんな命令書を出したのか、俺は知りたい」
「クリス、それが死地に飛び込むも同然ということは分かっているな」
「ああ。イヴァン、それでも俺は生きる。生きて宰相様に会い、生きて戻る」
「分かっているならいい」
そこでクリスはわたくしに向き直り、そっと頭を下げました。
「リュリ、君に頼みがある。俺を王都まで連れて行ってくれないか。王都に入れたら、そこからは自力でどうにかして宰相様に会いに行くつもりだ」
「顔を上げてください、クリス。わたくしはあなたの力になりたいのです。だから、あなたが生きるための道を一緒に探させてください。共に王都に行きましょう」
他のみなからも反対の声は上がりませんでした。こうしてわたくしたちは、全員で人間界に向かうことになったのです。




