29.安息よいずこ
わたくしたちはそのまま夕方まで仮眠をとり、のんびりと早い夕食をとりました。兄様が見張りついでにこしらえたものです。
思えば、空の旅の間はずっとレッガが料理を担当していましたので、兄様の料理を食べるのは初めてかもしれません。それは塩とわずかな香辛料だけで味付けした簡素なものでしたが、素材の味と調和していて美味でした。
そうして食後の片づけをしている時に、兄様が話しかけてきました。
「なあリュリ、その腕の鎖っていつまで出しっぱなしにしてるんだ?」
「わたくしもそろそろしまおうと思っていたのですが、なにか胸騒ぎがして。魔王城に帰りつくまで着けておこうかと」
「そうか。お前の勘は妙に当たるからな」
そこにクリスが口を挟みました。興味津々といった様子です。
「そういえば、君は最初の頃その鎖を身に着けていなかったね。エスメラルダは魔法の道具だって言ってたけど、それはいったいどんなものなのか、よかったら教えてくれないか」
「勇者に手の内明かしてたまるかよ」
「兄様、クリスは敵ではないのですから。……これは魔王のみが使える魔法の道具で、魔法の手助けをするものです。つけ外しに少し手間がかかりますので、緊急時は着けたままにしておいた方が良いのです」
さらにエスメラルダも乱入してきました。彼女は首をかしげています。
「緊急時は、ってそんな便利な道具なら、四六時中着けっぱなしにしててもいいんじゃないの? 着けっぱなしだと何か問題があるとか?」
「別に問題はないのですが、普段はしまっておくのがしきたりになっているんです。今は非常時ではない、強い力は必要ないのだと周囲に示すという意味で」
「なによそれ。せっかく素敵な魔法の道具があるんだから、活用しないともったいないわよ!」
「けれど、そうやって力を示したままでいては、魔族の中に不安を招くだけでなく、人間たちにまで脅威とみなされかねませんから」
わたくしがそう指摘すると、エスメラルダはうつむいて黙ってしまいました。クリスが悲しげに付け加えます。
「そうだね。そうやって魔王が魔界で大人しくしていたのに、人間界では魔王討つべしの声が上がってしまった。もし魔王が力を誇示していれば、人間と魔族との争いはもっと激しいものになっていたかもしれないね」
そうして全員が黙ってしまうと、パーシェが突然大きな声を上げました。ふるふると頭を左右に振っています。
「もしもの話で暗くなっても仕方ないですよう。そんなことより前向いていきましょう! だいたい魔王であるリュリ様と勇者であるクリスだって仲良くなれたんですし、魔界と人間界の関係も、そのうちなんとかなりますって」
彼女らしいおおらかな励ましに、誰からともなく笑いがもれました。
「そうだな、こいつらが仲がいいってところには物申したいところだが、まあ生きて元気にしてりゃ大概のことはどうにかなるもんだ」
兄様が苦笑しました。クリスも小さく笑っています。
「確かに。とりあえず生きていられてよかったって思うべきだね。そして俺たちにとって今一番の問題は、俺たちが王国に追われていること、か」
「ああ、そうだ。そしてそれは私たちだけではどうにもならない。魔族たちの力と知恵を借りるしかないだろう」
「そうなのよね……このまま一生魔界暮らしは避けたいけど、さすがに」
エスメラルダがため息をつきます。確かに、陽光の元で過ごしていた人間には、月しかない魔界暮らしは辛いでしょう。
「ええ、わたくしたちも力を貸します。必ず解決しましょう、あなたたちが人間界に帰れるように」
そうと決まれば、急いで魔王城に戻りましょう。そう言ったのですが、それを兄様が止めました。にやりと楽しそうな笑みを浮かべています。
「まあ、待てよ。ここから魔王城まで、お前らの翼でも数日かかるだろ? だからレッガにルーを呼んできてもらってたんだ。お前が人間界から帰ってきたら、すぐに魔王城に戻れるようにな。手配したときは、お前がこんな連中を連れてくるなんて予想してなかったんだが、ちょうど良かったな」
そこで兄様はクリスたちをちらりと見て小さく笑いました。なにか企んでいるようにも見えます。
「ルーたちは今日中にはここに来るはずだ。あいつに乗って帰れば楽だし、速いぜ」
それを聞いてわたくしとパーシェは納得しましたが、クリスたちは何のことだろうという顔をしています。説明しようとしたわたくしを兄様がまた止めました。
「まあ、見てのお楽しみだ。きっと驚くぜ」
兄様がいたずらっ子のような表情をしていたのは気のせいではないのでしょう。きっと、ルーのあの巨体を見せて驚かせようという魂胆なのでしょうが。
それからわたくしたちは、めいめい自由にくつろぐことにしました。この門はウンディーネ族の住む湖のほとりにあり、心地よい風も吹いていてのんびりするのはちょうどいいのです。
そうしてクリスが一人離れて湖をのぞきこんだとき、それは起こりました。
湖の上に太い水柱が高く立ち上がり、すさまじい音を立てながらクリスの方に倒れこむと、そのまま彼を巻き込んで勢いよく湖になだれ込みました。わたくしたちが我に返った時には、彼の姿は消えていました。
「クリス!」
「わたくしが行きます!」
何が起こったのかは分かりませんが、おそらく彼は湖の中に引きずり込まれたのでしょう。わたくしたちの中に水中を得意とする者はいません。ならば一番魔力が高いわたくしが探しに行くのが良いでしょう。
そう判断して湖に飛び込みました。前と同じように風の膜で体を覆って。前の時とは違ってわたくし一人でしたが、不思議と恐ろしくはありませんでした。クリスを探さなくては、その思いにただ突き動かされていたのです。
暗い水の中で辺りを見回すと、すぐ近くにクリスはいました。武装したウンディーネ族が彼を取り囲んでいます。幸い彼には風の魔法がかけられているらしく、呼吸に支障は出ていないようでした。
『あなたたち、何をしているのですか? 彼を離してください』
『魔王様こそ、勇者をどうなさるおつもりですか?』
わたくしの呼びかけに答えたのは、いつかこの湖を案内してくれた人魚の彼女でした。きれいな金髪をゆらゆらとなびかせて、薄く笑いを浮かべながらこちらを見ています。前は気軽に話していた彼女は、今はひどく堅苦しく、よそよそしい話し方をしていました。
『彼は勇者ですが、わたくしを討ちに来た訳ではありません。また魔族に敵対する意思も持っていません。わたくしは彼を人間界に安全に戻す方法を探しています』
『ああ、やはりカティ様のおっしゃっていたことは真実でした』
突然彼女がカティの名を出したことにわたくしが動揺を隠せずにいると、彼女は冷たい目でわたくしを見ながら続けました。
『勇者にうつつを抜かして人間界まで行かれた魔王様はご存じないでしょうが、魔界の各種族にカティ様から通達がありました。魔王様は敵である勇者と通じ、彼を守ろうとしておられると。だから魔族は勇者を見つけ次第確保し、魔王城へ運べと』
『カティが勇者の身柄を手に入れた後どうするか、それについては知らされていませんか?』
『ええ、聞いていますよ。魔界の平和のために処刑するのだそうです』
わたくしは自分の耳が信じられませんでした。カティがそんなことを命じていたなんて。けれど同時に納得がいったのも事実でした。人間界で一度だけ話したのを最後に、彼がわたくしの呼びかけに答えなくなっていた、これがその理由だったのでしょう。
そしてわたくしに断りなくこれだけのことをしたのであれば、彼は本当にクリスを消すつもりなのでしょう。
『さあ、どうされますか魔王様? 私たちは彼をこれから魔王城に運びます。邪魔をされるのであれば、あなたは私たち魔族の敵となりますよ』
わたくしはクリスを見ました。彼にはこの会話は聞こえていないのか、何が起こっているのか理解できていないようでした。
改めて人魚の彼女に視線を移します。彼女はぞっとするほど冷たい笑みを浮かべていて、彼女たちを説得することは不可能なのだと感じました。
ならばわたくしにできることは、このままカティがクリスを処刑するのを黙って見ているか、一縷の望みにかけてカティと敵対する覚悟で彼を説得するか、あるいは全ての魔族を敵に回してでもクリスを守るか。
わたくしに迷いはありませんでした。
(ああ、やはりわたくしは魔王失格でした)
そう心の中でつぶやくと、両手を胸の前で軽く合わせます。水中まで届く月の光を魔力に変えて、わたくしは魔法を放ちました。
辺り一帯の水中に、拘束の魔法を。
わたくしの狙い通り、クリス以外の全員が動きを止めました。彼はその隙をついてこちらに泳いできます。
前にカティが気を失っているクリスに拘束の魔法をかけたとき、はじかれてしまったのをわたくしは覚えていました。
彼は魔族の魔法に抵抗できるらしく、飛行の魔法や風の魔法といった彼の周囲に働きかける魔法であれば普通に効果を発揮するのですが、拘束の魔法のように彼自身に悪影響をもたらす魔法は効きにくいようなのです。
わたくしもクリスの方に進み、彼の手を取るとそのまま上昇し水中から脱出しました。湖のほとりには心配そうな顔をしたみなが集まっています。
「今すぐここから離脱します! 荷物を忘れずに!」
地上に降り立ったわたくしは、すぐにそう叫びました。みな状況が分かっていないようでしたが、すぐに荷物を抱えて湖から離れます。わたくしは改めてみなを集めると、すぐに飛行の魔法を全員にかけて高く飛び上がりました。
わたくしたちを捕えようと立ちのぼった水柱が遥か下で崩れる音が、にぶく響いていました。




