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24.魔王失格


 人間の軍に勇者が追われている。そんな突拍子もない報告に、わたくしはただ呆然とするしかありませんでした。

 パーシェに詳しく聞いてみましたが、軍隊に追われているのは三人で、そのいでたちはクリスたちのものと全く同じでした。わたくしと別れた後、彼らに何があったのでしょう。


「勇者、どうしちゃったんでしょうねえ。まあ人間同士のいざこざでしょうし、私たちには関係ないですけど」


 知らせを持ってきた時は慌てていたパーシェは、今はもう落ち着きはらっています。けれど、わたくしは。

 魔族は人間のいさかいに関わるべきではありません。ましてわたくしは魔王。人間そのものに関わるべきではありません。けれど。


 彼の夕日の色の髪が、青空の瞳が、わたくしに色々な言葉をかけてくれた優しい声が、どうしても頭を離れないのです。


「パーシェ、わたくしは魔王失格です……このまま彼を放って魔界に戻りたくありません……彼が何故追われているのか、それだけでも知りたいのです」


 蚊の鳴くような声でそれだけをつぶやくのが限界でした。これはまぎれもなくわたくしの本心、けれど魔王としては決して許されるものではありませんから。


 パーシェはわたくしの様子をうかがっていたようですが、少しした後、唐突にいつもの明るい声で言いました。


「はーい、それじゃ勇者の状況を確認に行きましょうかあ。私たちの速度なら、確認してから門に行っても、人間たちに追いつかれることはありませんしね」

「パーシェ……いいのですか?」

「いいに決まってますよお。カティ様なんかは『勇者に情が移ってしまわれた』なんておっしゃってますけど、私はリュリ様の味方ですもん。リュリ様がそうしたいなら、全力でお手伝いします! 魔界に戻るのが一日くらい遅れたって、どうってことないですよ」


 パーシェは胸を張っています。彼女がこんなに頼もしく見えたことはありません。


 向かうならば早いうちがいいと、わたくしたちはすぐにその場を発ち、北へと全力で飛んでいきました。




「ところで、勇者ってどんな人でした?」


 飛びながら暇を持て余したのか、パーシェがのんびりと話しかけてきます。わたくしも焦る気持ちを紛らわせるように、彼女の雑談に付き合うことにしました。


「誉め言葉を大盤振る舞いしてくる人でした」


 クリスについて一言で語るならこうなってしまうでしょう。


「え、誉め言葉ですか? たとえばどんな?」

「どんなって、妖精のようだとか、神秘的だとか……とにかく隙あらば、何かしら褒めてくる人でしたね。ああ、わたくしの羽についても繊細だとかきれいとか言っていたような気がします」

「うわ、すごいですね……何だか、勇者の印象が変わっちゃいそうです。でリュリ様も、そうやって褒められてまんざらでもなかったとか?」

「最初はひたすら戸惑いましたけれどね。最後の方はもう慣れました」

「とんでもない話ですねえ……魔王を魔王と知らずに誉めまくる勇者って」

「わたくしも何度そう思ったか」


 けれど彼のそんなところも、戸惑いこそありましたが嫌ではありませんでいた。いえ、むしろ好ましくすらあったのです。彼の言葉はいつも本心から出たものでしたから。


 わたくしがそんなことを思い出して黙ってしまうと、パーシェは急に速度を上げました。


「あーもう、リュリ様ったらまた辛気臭くなっちゃってますよう。だったらさっさと勇者に追いついちゃいましょう、全力前進ですよー」


 言うが早いか彼女はさらに速度を上げ、あっという間に彼女の姿が小さくなっていきましった。わたくしも置いて行かれないように、慌てて彼女の後を追いかけます。




 そうしてひたすらに飛び続けていくうちに、前方の森がざわついているのが嫌でも耳に入ってきました。わたくしは遠耳の魔法を自分にかけ、耳を澄ましました。追え、逃がすなというたくさんの声が、風に乗って切れ切れに聞こえてきます。

 パーシェによれば、あの軍隊が追っているのはクリスたちのはずです。早く彼を見つけなければ。わたくしはまた遠目の魔法をパーシェにかけ、もう一度彼らの居場所を探ってもらいました。


 彼女は遥か前方の森を凝視していましたが、やがて一点を指さして叫びました。


「いました! あそこです!」


 彼女が差し続ける方に目をやりましたが、わたくしには何も見えません。けれどその辺りに彼がいるのなら、もう少し近づけば魔法で話すこともできるでしょう。


 わたくしはパーシェから魔法の外套を借りると、彼女が指し示した方向へ一人で飛んでいくことにしました。




 ここまで来れば彼に魔法が届くでしょうか。わたくしはいったん森の中に下り、そこから魔法の声を周囲に広げていきました。魔法が届く範囲に彼がいれば、わたくしの声が聞こえるはずです。


『クリス、わたくしの声が聞こえますか』


 何度かそう呼びかけた時、不意に彼の声が聞こえました。まだ残っていた遠耳の魔法が、離れたところにいる彼の声をわたくしに届けてくれます。


「リリィ、君なのか!? どうして君の声がするんだ? どこにいるんだ、君は」


 良かった、なんとか通じたようです。彼の声には焦りがにじみ出ていましたが、どうやら怪我などをしている様子はありませんでした。

 彼の身が無事であったことに胸をなでおろしながら、私はさらに話しかけました。


『離れたところから魔法で話しかけています。あなたも頭の中で話してくれれば、わたくしに聞こえますから』

『頭の中で話す? ……これでいいのか?』

『ええ。それはそうと、なぜあなた方が軍隊に追われているのですか?』

『俺にも分からないんだ。朝方、突然王国兵がやってきて……何でも、俺は魔王と通じて人間に背いた大罪人ということになっているらしい。いくら否定しても彼らは全く聞く耳を持たなくて、いきなり魔法の兵器で攻撃してきたんだ。俺はあの黒い竜の魔王と通じた覚えなんかないのに』


 魔王と通じた。その言葉に、わたくしは背筋が冷たくなりました。彼は何も知らなかったとはいえ、彼の行動はそうとられても仕方のないものでしょう。ほんの数日とはいえ、彼は魔王と共に旅をしていたのですから。


 ですが、人間たちはわたくしが魔王であることを知らないはずです。わたくしは存在も正体も、そして名前さえ人間たちには知らせず、ずっと魔界の奥深くの魔王城で暮らしてきたのですから。

 一時わたくしの代理を務めたガラントの存在でさえ、知っているのは勇者たちくらいのものでしょう。だったらどうして、クリスはそんな罪に問われることになってしまったのでしょうか。


 いえ、今はそれより重要なことがあります。人間が彼を大罪人であるとみなしているのなら、このままではいずれ彼は捕らえられてしまいます。もしかすると、殺されてしまうかもしれません。ほかならぬ人間の手によって。


『クリス、その誤解を解くことは難しいのでしょうか』

『残念だけど無理みたいだ。彼らは王国の宰相の署名がされた命令書を持っていた。ということは、その命令が撤回されることはおそらくない。王国の威厳に関わるからね』


 彼は心底悔しそうに答えました。人間の事情はよく分かりませんが、彼が罪に問われていて、そしてその誤解を解くことは難しいようだということは理解できました。


 ここからどうすればいいのでしょうか。今彼を追っている軍隊を追い返すのは簡単です。けれど、彼の言葉が事実なら、あの軍隊を追い返したところでまた別の軍隊が彼を追ってくるでしょう。

 そうすると、人間の王国の中に彼が逃げこめる場所はありません。ならば、わたくしが彼にしてあげられることは。


『でしたら、その……魔界に来ませんか』

『え?』


 クリスが戸惑っているのは、その声だけでも明らかでした。わたくしはそれに構わず言葉を続けます。


『人間界にいればあなたたちは追われ続けます。魔王に通じていると疑われているあなたが今魔界に行くのは危険だとは分かっているのですが、それでも一度安全なところで体を休めた方がいいと思うのです』

『確かに、朝から逃げ続けで少し参ってるところだ。同じ人間から身に覚えのない罪で追われるっていうのは心情として辛いものだね。実は、エスメラルダがそろそろ限界に近い』


 彼がため息をついているのがわたくしにも感じられました。彼は少し黙って考えた後、落ち着いた声で答えました。


『うん、君の提案に乗ろう。どのみち他にどうしようもなかったからね。ただ、君はもう帰りの門を見つけられたのか』

『ええ、門はこの近くにありました。わたくしを探しに来た仲間と会えたのです』


 そう答えながら、わたくしは朝から感じていた焦りが消えていくのを感じました。ここからは、わたくしが彼を守ってみせます。


『クリス、それではもう少しだけそのまま真っすぐ走ってください。あなたを追っている軍隊は、わたくしが足止めしてみます』

『君は見かけによらず強いから、大丈夫だとは思うけど……どうか、気をつけて。それと、できることなら彼らをあまり傷つけないで欲しい。彼らは上からの命令に従っているだけだから』

『分かりました』


 こんな時でも追っ手の身の安全を考えてしまうところが彼らしいなと苦笑しながら、わたくしは魔法の外套をかぶり直し、軍隊に向かって飛び出しました。




 クリスたちを追ってきた軍隊は、揃いの美麗な鎧をまとい一糸乱れぬ動きで森の中を進んでいました。その姿にはかすかに見覚えがあります。

 そう、かつてわたくしが人間の姫として王宮にいたころ、幾度かこのいでたちの兵士を見たことがあります。ならば彼らは兵士の中でも地位が上の方なのではないでしょうか。こんな人里離れた森にはあまりにも不釣り合いです。


 わたくしは軍隊から少し距離を取り、魔法の外套を脱ぐと両手を胸の高さに掲げました。頭の中で言葉を紡ぎ、魔王のみに伝えられる秘術を発動させます。


 わたくしの両腕のそれぞれに絡みつくようにして、金色の光る糸が浮かび上がっていきます。しばらくして光が消えると、金色の糸は細い鎖に変じていました。手首のところの鎖には、とろりとした蜂蜜色の宝石が下がっています。

 これは歴代の魔王が受け継いできた魔法の道具、「魔力の月鎖」です。降り注ぐ月光を魔力に変えて持ち主に与えるもので、これを身に着けていれば魔界ではまず魔力切れに悩むことはありません。


 わたくしはこれから軍隊を足止めするために魔法を使いたいのですが、門の閉鎖と岩山からの脱出で使いすぎた魔力がまだ戻り切っていません。クリスを魔界に案内するためにも、こんなところで魔力切れを起こしてはいられません。

 ですので、仕方なく奥の手である魔力の月鎖を呼び出すことにしたのです。人間界の、しかも昼間に使えるかどうかは賭けでしたが、どうやら魔力の月鎖はその名前に反して、陽光をも魔力に変えてくれるようでした。


 魔力の月鎖がもたらす魔力を受けて、わたくしは先を行く軍隊に魔法を使いました。めったに使わない、大掛かりな魔法です。

 数十人はいたであろう軍隊は、全員同時に膝をつき崩れ落ちていきました。辺りには静かな寝息だけが満ちています。こんなに大掛かりな眠りの魔法は普段使わないので、上手くいくか少々心配だったのですが、問題なかったようでほっとしました。

 軍隊がみな眠ってしまったのを確認し、わたくしは魔力の月鎖を身に着けたままクリスの元に急ぎました。


 魔界に戻るまで油断は禁物です。そう思いながらも、彼の危機に間に合ったことに安堵している自分がいるのを感じていました。



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