22.相容れない存在
わたくしたちが海辺についたとき、既に日は落ちかけていました。
それは日が暮れる前に火を起こしてしまおうと、森に戻り木の枝を拾っていた時のことでした。
夕闇が忍び寄りつつある東の空に、ぼんやりと光る何かが飛んでいるのが見えました。光の中に、かすかに人影のようなものが見えます。魔界であれば空を飛ぶものなど珍しくもないのですが、人間界ではどうなのでしょうか。
そんなことを考えていると、わたくしが見ているものに気づいたクリスが、機敏な動きでわたくしを背中にかばいました。固唾を飲んで見守るわたくしたちの目の前に、それはふわりと降りてきました。
それは男女の二人連れで、一人はきれいに巻いた金髪を肩に垂らした可愛らしい若い女性で、足首まである長い装束に身を包んでいました。手に短い杖のようなものを持っています。
もう一人は落ち着いた雰囲気を漂わせた背の高い男性で、こちらの方が少し年かさに見えます。鋼を思わせる灰色の髪と瞳を持つ彼は、金属と革を組み合わせた鎧を着て、腕や足にも同じような防具をつけていました。背中には大きな剣を背負っています。
わたくしはこの二人に見覚えがありました。人間界において、わたくしがもっとも会いたくない二人でした。
けれどクリスはそんなわたくしの内心など知る由もありません。彼はほっとした様子になると、わたくしにこの二人を紹介し始めました。
「ああ、何事かと思ったよ。大丈夫だリリィ、この二人は俺の旅の仲間だ。こっちの女性がエスメラルダ、こちらの男性がイヴァン。二人とも、ずいぶん派手な登場だけど、一体どうしたんだ?」
そう問いかけられたエスメラルダは、すっと目を細めてわたくしをちらりと見ました。次の瞬間、彼女は勢いよくクリスに詰め寄りました。
「どうしたんだ、じゃないわよ!? 貴方が魔界に飛び込んだ途端に門が使えなくなったから、私たちずっと心配してたのに! そうしたら、貴方がこのあたりの門から人間界に戻ってきたらしい、って宰相様から連絡があったのよ。で、慌てて来てみればこれ!? 貴方はいつの間にか見知らぬ女の子を連れてるし、しかもその子に鼻の下伸ばしてるし! 心配して損したわ!」
ここまで一息にまくしたてると、彼女は決定的な一言を言い放ちました。
「クリス、それよりも魔王は倒せたの? あの微妙な強さの魔王なら、貴方一人でも勝ち目はあったでしょう?」
「魔王を倒す?」
クリスはきょとんとしています。しかし次の瞬間、彼は顔を苦痛に歪め、頭を抱え始めました。
「そうだ、魔王……俺は君たちと旅をして……? 何のために……」
ああ、やっぱり彼は思い出し始めています。きっと私には止められない。そして彼の様子の変わりように、エスメラルダとイヴァンは目を丸くしています。
「あの、クリスは魔界に来た時に、記憶の一部を失っているようなのです。彼はどうして自分が魔界にいるのか分からないようでした」
そっとわたくしが二人に説明すると、エスメラルダが叫びました。
「記憶喪失ですって!?」
それがあまりに大きな声だったので、イヴァンがかすかに顔をしかめて耳を押さえています。
「それじゃあ何、クリスは魔界に行って記憶喪失になって、そのままのこのこ帰ってきたって訳!? というかそもそも貴方、一体誰なの!?」
ものすごい剣幕です。わたくしはひとまず名乗ることにしました。できれば勇者の仲間にわたくしの存在を知られたくはなかったのですが。
「あの、わたくしはリリィと申します」
「それはさっきクリスが言ってたから分かるわよ! そうじゃなくて貴方は何者なの!?」
ここで、ずっと黙っていたイヴァンが口を開きました。
「……もしかして、君は魔族か」
しらを切ってしまおうかと一瞬思いましたが、いずれクリスの口から真実が明らかになるでしょうし、下手な嘘をつくのはやめておくことにしました。
「はい。魔界で倒れているクリスと出会い、人間界へ通じる門へ案内しました」
「そうか。クリスが世話になった。礼を言う」
そう言ってイヴァンは深々と頭を下げました。彼は礼儀正しい方のようです。
「ちょっとイヴァン、何魔族なんかに頭下げてるのよ! そいつも魔王の配下でしょう!? あと貴方、クリスを人間界に送り届けたのに、何でまだ一緒にいるの!?」
「いえ、わたくしは魔王の配下ではありません」
嘘は言っていません。わたくしは魔王の配下ではなく、魔王ですから。
「実は、その門を通じて盗賊が魔界に入り込んでいたのです。わたくしはクリスと共に残党を討ちに人間界に出てきたのですが、こちらに来た途端に門が使えなくなってしまったのです。それで帰れなくなってしまったので、彼と共に他の門を探していました」
「あっそう!」
エスメラルダは短く言い切ると、まだ頭を抱えたままのクリスにずかずかと近づいていきました。
「ちょっとクリス、忘れてるならもう一度説明してあげるからよく聞きなさい!」
彼女はそのままクリスの両肩をつかみ、荒っぽく揺さぶりました。
「いい、貴方は勇者で、魔王討伐のために私たちと旅をしてるの。一度は魔王城まで乗り込むことに成功したけど、逃げる魔王を追いかけているうちに、貴方はわたしたちとはぐれて一人魔界に取り残された。どう、分かった!?」
エスメラルダの説明を聞いているうちに、クリスの瞳に納得したような光が灯り、そしてぼんやりとしていた彼の表情は見違えるように引き締まっていきました。
「ああ、そうか……俺は勇者だった。どうして忘れていたんだろう」
そこにいたのはわたくしと旅をしていたクリスではなく、人類の希望たる勇者でした。
「クリス、思い出せたようでよかったです。あなたが魔王を倒す勇者であったというのは、魔族としては少し残念ですが」
胸の痛みを隠しながらわたくしは笑いかけました。ここでお別れです。
「ああ、自分でも驚いているよ。君が魔王の配下でなかったことが不幸中の幸いだ」
クリスもわたくしに笑いかけました。その笑顔は前と何も変わっていませんでした。
「俺はまた魔王を追わなくてはいけない。君の帰り道を探してあげたいのに、その帰り道はそのまま魔王に続く道だ」
「クリス、何をごちゃごちゃ言っているの? その子はこれから魔界に帰るんでしょ? だったら素直にその後を追えば私たちも魔王のところに行けるじゃない」
「エスメラルダ、さすがにクリスの恩人にそれは非道だ」
彼らが何を言いたいのかは分かっています。彼らは魔王を倒すため魔界に続く道を探さなければなりません。わたくしの帰り道を一緒になって探し、そうやって門を見つけてしまえば、彼らはその道を通って魔界に来るほかなくなってしまいます。
けれどそうやって勇者を魔界へ導いてしまうということは、魔族であるわたくしにとっては同胞たちへの裏切りに等しいものです。
だから、わたくしは一人で帰り道を探さなくてはいけません。お互いのために。
「お気遣い、ありがとうございます」
「本当は、君が門をくぐるところをちゃんと見届けたかった」
「わたくしも、もっとあなたと話したかった」
「リリィ、もし……俺が使命を果たしたら、自由になれたらその時は、また」
「はい、その時を待っています」
その時が決して来ないことをわたくしは知っています。まずあり得ないことですが、彼が使命を果たすことがあれば、その時わたくしはもうこの世にいないのですから。
そうやってわたくしたちが別れの言葉を交わしている間、エスメラルダとイヴァンは静かにわたくしたちを見守っていました。
「それでは、わたくしはこれで。さようなら」
最後にわたくしは彼らに背を向け、消していた羽を広げました。最後にもう一度だけ、彼がきれいだと褒めてくれた羽を見せたくて。
そのままわたくしは振り返らずに飛び立ちました。門があるとカティに教えられた方角へ。
わたくしは一度高く舞い上がるとゆっくりと高度を下げ、森のすぐ上、木々に触れるか触れないかといったところを飛び続けました。彼らがわたくしの姿を追えないようにするためです。
そうやって一人で飛びながら、わたくしはクリスとの旅を思い出していました。ほんの数日ですが、とても新鮮で楽しい日々でした。この日々のことを、わたくしはけして忘れることはないでしょう。いえ、忘れたくありません。
さようなら、クリス。もう二度と会うことはありませんが、どうかお元気で。
声に出さずにわたくしはつぶやき、どんどん遠くへ飛んでいきました。




