21.もう少しだけ、一緒に
わたくしは一人星空の中を飛び続けながら、魔法の耳飾りにそっと手を触れました。小声で話しかけます。
「カティ、聞こえていますか?」
すると、間髪を入れずに返事がきました。まるでわたくしの言葉を待っていたかのようでした。
『リュリ様、ご無事でしたか!!』
カティの声は震えていました。彼にしては珍しく、落ち着きをなくしているようです。
「ええ、魔力を使いすぎてしまいましたが、その他は何事もありません。勇者も無事に人間界に戻りました」
『……それなら、良かったです』
ため息のようなカティの声がはっきりと安堵の響きを帯びました。一呼吸おくと、彼はまたいつもの調子を取り戻し、落ち着いた口調で話しかけてきました。
『ところで、リュリ様が通られた門が使えなくなっているのですが、何があったのかご存知でしょうか』
「人間界にいた盗賊の頭が、門のある洞窟を爆破したようなのです。門は岩山の中に埋まってしまいました。わたくしでは中々掘り返せそうにありません」
こう説明すると、カティが一瞬黙りました。絶句している顔が目に浮かぶようです。
『……そういうことでしたら、他の門から戻っていただくしかなさそうですね』
「カティもそう思うのですね。でしたら、ここからわたくしはどちらに向かえば良いのでしょうか」
『そこからですと南西の門が一番近いのですが。こちらで貴女が最初に封鎖した門とつながっています』
「すみません、人間界は初めてなので、方角が分からないのです」
またカティが沈黙しています。わたくしは人間界の地理についてはほとんど教わっていないのです。可能な限り人間界に干渉しないようにしていましたし。
『では、まずそこの門の真上あたりに移動し、一番近い海岸の方を見てください。そちらが西です。その海岸に出て、左手側に進めば南西の門に近づけます。海岸に沿って移動すれば分かりやすいでしょうが、徒歩では数日かかりますね。詳しい位置を口で説明するのは難しいので、こちらからも迎えを出します』
「ありがとう、助かります」
さすがはカティ、頼りになります。わたくしがそう考えていると、彼は少し声を落としました。気のせいか、苦々しそうな声音になっています。
『……ところで、勇者はどうしていますか』
「今も一緒にいます。早く彼を人里に戻した方がいいとは思うのですが」
『貴女なら、ここまで旅を共にした勇者をそのまま放り出そうとはなさらないと思いましたが、想像通りでしたね』
カティがため息をついています。最近、彼には迷惑をかけてばかりですね。
『そこから一番近い村は北西にあります。今おられるところからは見えないでしょうが、海岸に出てから右手側に二日ほど進んだところです。どうにかしてそちらに勇者を誘導してください』
「分かりました、頑張ってみますね」
そう答えながらも、クリスはわたくしが門をくぐって魔界に戻るのを見届けるまでついてくるのだろうという確信がありました。カティには黙っておきますが。
『……リュリ様、こんなことになって、本当に心配しました。私だけではありません。みな貴女からの連絡が来るのを、今か今かと待っていたんです』
カティの声がまた震えてくぐもっています。その声に、わたくしは自分が置かれている状況を改めて実感しました。
手を伸ばして彼を慰めたいのに、ここに彼はいません。いいえ、そもそも彼が嘆く理由を作ってしまったのはわたくしでした。あの時クリスが言ったように、わたくしは魔界にとどまるべきだったのでしょう。
しかしそうすれば、確実にクリスは命を落としていました。一人で盗賊たちを倒すことはできても、あの岩の崩落から逃れることはできません。そうなれば、きっとわたくしは彼がもうこの世にいないのだと知ることもなく、魔王城で時折彼を懐かしむようになっていたのでしょう。
そう考えると背筋が寒くなりました。こうやってカティたちを心配させてでも、クリスを救ったことは間違っていなかったと思えました。けれど同時に、もっとカティたちに心配をかけずに済む方法はなかったのかという後悔も、胸の内には生まれています。
わたくしは、そんな内心の葛藤を隠すように平静を装って答えました。
「本当に心配をかけてしまいましたね、ごめんなさい。必ず無事に戻りますから。大丈夫ですよ」
『……その言葉、信じていますよ』
「ええ、信じてください。それではまた明日連絡しますね」
そう言ってわたくしは耳飾りから手を放しました。もうそこからは何の音も聞こえてきません。
カティと話し終えて辺りを見渡すと、門があった岩の山の向こうに海岸らしいものが見えました。星明りを受けて白く光っています。明日になったら、あちらに向かいましょう。
けれどあそこに着いたら、クリスとお別れになるかもしれません。いえ、いい加減にわたくしたちは別れた方がいいのでしょう、きっと。
魔王と勇者はたとえ敵対しなかったとしても、決して相容れるものではないものなのでしょうから。わたくしは懸命に、自分にそう言い聞かせました。
元の場所に戻ってクリスと落ち合い、お互いに見てきたものを報告しあいました。彼の方は特に収穫はなかったとのことなので、次の日はわたくしが見つけた海辺まで行ってみることになりました。海辺沿いに進めばどこかに漁村があるだろう、と彼は言っていました。
そして朝になり、わたくしたちは二人で海を目指しました。昨日空から見た感じでは、ゆっくり歩いても夕方までには着けるでしょう。
わたくしももう飛べることを隠してはいないので、ちょっとした崖くらいなら彼を抱えて飛び降りることもできます。最初にそう提案したら、「君の細腕と繊細な羽で、俺の重さを支えられるのか心配だな」と言われてしまいました。
そこで有無を言わさずに彼を抱えて飛んでみたところ、彼は目を丸くしていました。驚いてはいたようですが、同時にとても面白がっているようでした。彼はやっぱり見た目よりも肝が据わっているようです。
そうやってしばらく歩いたころ、不意に彼が小さな声でつぶやきました。
「……やっぱり、陽光の下で見る君も美しいんだな。物語に出てくる妖精そのものだ」
どのような状況にあっても彼のこの軽口は変わらないようです。もっとも、魔界に戻ろうとして焦っているわたくしとは対照的に、彼は元の世界に戻ってこれたという点で、以前よりも安心している部分があるのでしょう。
「またいつもの調子が戻ってきましたね、クリス」
ふとわたくしはいたずら心を起こし、消していた羽を出すとふわりと広げながら彼の方に向き直りました。この姿の方が、より人間がつづる物語に出てくる妖精らしくなるでしょう。
きっと彼はさらに誉め言葉を投げかけてくるのでしょうと思っていたのですが、予想に反して彼は黙ってしまいました。どうしたのでしょう、と小首をかしげながら彼を見ると、彼はわずかに頬を染め、薄く口を開けたままぽかんとしていました。
彼が黙ったままなので、わたくしはどうしていいか分からずにただ彼を眺めていました。彼の髪に陽の光が当たり、夕焼けの色にきらめいています。
「わたくしからすれば、あなたもとてもきれいですのに。あなたは夕焼けの赤と青空の青を抱いた、陽光のような人ですから」
思わずそんなことを口走っていました。彼の言葉を借りるなら「思ったままを言っただけ」です。
ですが彼はさらに顔を赤くすると横を向いてしまいました。わたくしからは彼の顔が見えなくなってしまったので、近づいて下からのぞきこもうとすると、彼はさらに横を向いてわたくしの視線から逃げてしまいます。
彼はしばらく逃げ回っていましたが、やがて意を決したようにわたくしを見、まだ赤さの残る顔で言いました。
「ごめん、あまりに君がきれいで……おまけに君から誉め言葉までもらってしまったから、つい動揺してしまって」
「褒めるのは得意なのに、褒められるのは苦手だなんて……クリス、あなたって人はおかしな人ですね」
わたくしたちはまた顔を見合わせて小さく笑いました。最近、彼に褒められても違和感を感じなくなってしまいましたし、気づけば彼と似たようなことを言ってしまっています。一緒にいる間に彼に毒されてしまったのかもしれません。
この旅ももうあと残り少しですが、それまでは彼との時間を楽しんでも許されるでしょうか。わたくしはわずかに痛む胸を押さえながら、心の隅でそんなことを考えていました。
ところが、わたくしと彼の旅は、あっけなくも予想外の形で終わりを告げることになりました。




