20.そこはまばゆい陽光の世界
全身を満たす疲労感、重い泥の中に埋まっているような感覚が全身に満ちていて、わたくしは指一本動かせずにいました。
途切れそうになる意識の中、必死でわたくしは呼吸を整え、自分の腕の中にあるものに意識を集中していきました。
それは温かく、かすかに動いています。よかった、生きています。
わたくしは両腕でクリスを抱えたまま地面に倒れていました。先ほど盗賊の頭が掲げた魔法の道具は、あの洞窟を爆破するための起爆装置になっていたのでしょう。わたくしはそれを悟った瞬間、クリスを連れて脱出しようとしました。
けれどその時にはもう一面に岩が降り注いでいたため、わたくしは持てる魔力をありったけ使って岩を吹き飛ばしながらクリスを抱えて全速力で飛び、ここを離れるしかありませんでした。
いつものわたくしであればそこまで手こずりはしなかったでしょうが、門の封鎖の時に使った魔力がまだ完全に回復していないわたくしには、少々荷が重かったようです。あそこから脱出できたのはいいのですが、魔力を使いすぎて疲労で動けなくなってしまいました。
クリスはまだ気を失っているようです。わたくしはあそこからとっさに脱出するのに手一杯でしたので、もしかしたら岩がいくつか彼にぶつかったのかもしれません。いえ、彼は生きていますし、どんな怪我を負っていたとしても、わたくしが回復の魔法で治してみせます。例えどれだけかかったとしても。
しかしそんなわたくしの悲壮な決意は幸いにも不要だったらしく、彼は身じろぎするとゆっくり目を開けました。彼の青空のような瞳にまばゆい陽光が反射し、優しくきらめきました。
「……リリィ……」
「大丈夫ですか、クリス」
わたくしが横たわったままそう声をかけると、彼はうめき声をあげながらゆっくりと起き上がりました。見たところ、擦り傷や打ち身がいくらかあるようですが、大きな怪我はしていないようです。
「! 君、その背中は……羽、か」
彼はわたくしの背中の方を見て驚いています。ああ、しまった。先ほど魔力を使いすぎたせいで、変化の魔法が解けてしまっていたようです。何故か羽を見られるのが少し恥ずかしい気がしてそっと顔を背けると、彼は一人で納得したようにつぶやきました。
「そうか、君は魔族だったな。羽くらい生えていてもおかしくないか」
そして彼は自分の外套を脱ぎ、それでわたくしを包むと優しく助け起こしてくれました。
「君のその姿は目立つから、ひとまずこれで隠しておこう。君は動けないようだけど、どこか怪我でもしたのかな」
「大丈夫です、あの岩から逃れる際に魔力を使いすぎただけですから。しばらく休めば元に戻ります。羽もまた魔法で隠せるようになりますから」
「そうか、それならよかった。……羽を隠してしまうのは少しもったいないけれどね」
わたくしは彼の言いたいことがよく分かりませんでした。一体何がどうもったいないのでしょう。どうやらその気持ちが顔に出ていたらしく、彼が笑って付け加えました。
「君の羽は本当にきれいだったからね。さっき見た時は、繊細なガラス細工のようだと思ったよ」
「本当に、あなたはいつもそんなことばかり言っていますね」
「君はいつも、俺の誉め言葉をちゃんと受け取ってくれないけれどね」
彼は笑って言い返してきました。彼にはそう見えているのでしょうか。そもそも彼が過分な褒め言葉を乱発しているだけだと思うのですが。
けれど、そんな他愛のないやり取りはわたくしたちの緊張を解くには十分でした。わたくしたちは互いに小さく笑いあうと、辺りを見渡し状況を把握することにしました。
ここは人間界、午前中のさわやかな日の光が惜しげもなく降り注いでいます。わたくしたちがいるのはところどころに小さな木が生えた山の斜面で、目の前には無残に崩れ落ちた岩の山。
人の気配はどこにもありません。逃げてしまったのか、それともこの岩の下なのか。いずれにしても、差し迫った危険はないようでした。
大きな岩が無造作に積みあがってできた岩の山を見て、クリスは唇をかみしめて言いました。
「岩の表面がまだ真新しい……これが全て崩れてきたのか。君がいなかったら間違いなく死んでいたな。本当にありがとう、君にはどれだけ感謝してもしきれない」
「いいのです。あなたを助けられて良かった」
相変わらず体をろくに動かせないわたくしが、なんとか首だけを動かしてぎこちなく微笑むと、彼は外套ごとわたくしを抱きしめてしまいました。
「俺を助けるために、そこまで魔力を使ってしまって……それでも、君は助けられて良かったといって笑ってくれるんだね」
わたくしはしばらく、抱きしめられたままになっていました。まだまともに動けなかったのもありますが、それ以上に何を話せばいいのかが分からなかったからです。
少しすると、彼はやや照れ臭そうに身を離し、改めて岩の山を見上げました。
「しかし困ったな。この分だと、門まで埋まっているかもしれない。君をどうやって魔界に帰せばいいんだろう」
わたくしもそれは考えていました。魔力が戻るのを待って岩をどかすという手もありますが、あまり現実的ではありません。わたくしは岩を操るのは不得手ですし、おそらく転移の門は岩山のかなり奥の方にあります。門にたどり着くまで、下手をすると数か月かかるかもしれません。
だとしたら、他の門を当たる方が早いでしょう。幸い、魔法の耳飾りを使えば人間界にいても、魔界にいるカティと連絡をとることができます。彼に頼んでこの近くにある転移の門の封鎖を解いてもらえば、そこから戻ることができます。
そこまで考えたところで、不意に眠気が襲ってきました。考えるべきことはまだまだあるのですが、いい加減に体が限界です。
「クリス、済みません、さすがに起きているのが辛くなってきました。少し、眠らせて」
そこまで言い終えたところで、わたくしは深い眠りに落ちていきました。
次にわたくしが目を開けると、辺りはすっかり暗くなっていました。先ほどいた場所よりも木々が多く、どうやらここは林の中のようでした。わたくしから少し離れたところに明々と焚き火が燃えています。
わたくしは柔らかな木の葉を積み上げた上に寝かされていました。体にはまだクリスの外套が巻き付けられたままです。少しだけではありますが魔力が戻ってきているのが感じられましたので、変化の魔法をかけ直して羽を消しておきました。
状況からみて、クリスがわたくしを介抱してくれたようですが、その彼はどこにいってしまったのでしょう。
その疑問はすぐに解決しました。近くの木の向こうから、獲物の兎をぶら下げたクリスが姿を現したのです。
「ああ、もう目が覚めたのか。調子も良くなったようだね」
「はい、少し魔法を使えるくらいには」
彼の目がわたくしの背中、既に羽が隠されたそこに注がれているのを感じましたので、そう答えておきました。
「それは良かった。俺はひとまず食料を調達してきたところなんだ。君にもこれを採ってきたんだけど、食べられそうかい?」
そう言って彼が差し出したのは、親指の爪ほどの大きさをした紫色の実がたくさん入った袋でした。
袋を受け取り、実を一つ摘み上げてみます。触れるとひんやりとして、とてもみずみずしそうです。初めて見るものですが、たぶん食べられるでしょう。そのまま口に運ぶと、水気たっぷりの甘酸っぱい味が口に広がりました。さわやかな酸味が疲れた体にはありがたく感じられました。
思わず夢中になって実を食べていると、いつの間にかクリスがこちらを見つめていました。優しい笑みを浮かべています。
「君は魔界ではいつもそういったものを好んで食べていたから、これなら大丈夫かと思ったんだ。口に合ったようで良かった」
「あの、クリスもどうぞ」
わたくしばかり食べているのも悪いと思ったので、クリスにそっと袋を差し出しました。しかし彼は笑って首を振ります。
「俺は採りながらつまみ食いしたからもういいよ。君の方が疲れてるだろうし、しっかり食べて元気にならないとね」
あっさりとそう答えて、クリスは獲物の下ごしらえにかかりました。兎の皮をはぎ、手ごろな木の枝に手際よく刺していきます。脂が焼けるいい匂いが辺りに漂ってきました。
「はい、これもどうぞ。熱いから気を付けて」
そう言って彼は焼いた兎の肉を半分差し出してきました。彼と旅を始めてからずっと、彼は手に入れた食料の半分をわたくしにくれるのです。
フェアリー族はかなり小食ですし、こんなにたくさんの食料は必要ないのですが、彼がいつも満面の笑みで差し出してくるので断りきれず、今に至ります。
わたくしたちは魔界を旅していた頃と同じようにのんびりと夕食を済ませると、改めて周囲を調べることにしました。ここがどこなのか分かりませんし、まずは人里を見つけなければなりません。夜であれば、遠くの人家の明かりもよく見えるでしょう。
クリスはわたくしが灯した魔法の明かりを持って辺りを歩いてみることにし、わたくしは上空から遠くに明かりがないか探すことになりました。
一人で空高く飛び上がると、辺りは一面の星空でした。彼と見た魔界蛍の光よりずっと小さく、そしてはるかに数多い光。
けれどここには月がありません。魔界であれば、夜であっても常に二つの月が輝いているのに。わたくしは本当に人間界に来てしまったのですね。
今はまばゆい陽光はないというのに、それでもここが魔界ではないという事実を突きつけてくる星空は、美しくそしてどこか恐ろしいもののように映りました。




