2.勇者が現れました
勇者という存在について、わたくしは書物でしか知りません。かつてわたくしが人間の姫であったころ、勇者とは魔王により平和が脅かされる時に現れ、神の加護を受け魔王を倒す存在であると教えられました。
そして魔族となったわたくしは、勇者とはある日突然現れて魔王に戦いを挑みに来る者であると教えられました。理由もなく前触れもなく、ただ魔王を倒すことのみを目的に魔界に踏み入って来る者、魔族たちの平穏を乱すだけの者。
もちろん、かつて人間界に侵略しようとした魔王もいましたし、その魔王を討つために勇者が攻めてくるのは理解できるのですが、ほとんどの勇者の行動はわたくしたちにとって理解を超えるものでしかなかったのです。
そして今回も例にもれず、今勇者が現れる理由は不明です。わたくしは一度も人間界に侵略などしていませんし、これからもするつもりはありません。それに、魔界も小さな小競り合い程度しかなく、毎日とても平和です。
ああ、考えていてもらちがあきませんね。あれこれ理由を推測する前にまずは何が起こったのかを知るべきでしょう。
わたくしとパーシェはカティに導かれて、魔王城の奥にある小さな部屋に向かいました。そこは数人入ればいっぱいになってしまうような小さな部屋で、水をたたえた大きな宝杯が部屋の中央に据え付けられています。
これは遠見の水鏡と呼ばれる魔法の道具です。魔力を注ぐことで遠くのものを見ることができる、魔王城の至宝です。もっとも、魔力を大量に消費する上に、見たいものがはっきり分かっていなければ使えなかったりと制限も多いのですが。
わたくしは宝杯をのぞき込みました。鮮やかな若草色の長い髪と、穏やかな金色の瞳をしたどこか儚げな女性が映ります。これが今のわたくしの姿。
自分の姿が映る水面に手をかざし「映せ、彼方の幻影を」と命じると、水面に何かの映像がぼんやりと広がり始めました。「映せ、勇者なるものを」とさらに命じると、映像は鮮明になっていき、やがて一つの像を結びました。
森の中の小道を歩く数人の人影。先頭に立つのは剣と鎧を身に着けて、旅装に身を包んでいる若い男性でした。
彼は今のわたくしと同じくらいの年頃でしょうか。光の加減によって夕日の色に輝く暗い栗色の髪を風になびかせて、高く澄み渡った青空の色を映した瞳で先を見つめています。その瞳を見ていると、なぜか心がおどるような気がします。
勇者は魔族にとって、突然現れる厄介者でしかありませんが、それでも彼は強い意志を感じさせる好青年のように見えました。
わたくしはその像をしばらく見つめていました。パーシェもすぐ後ろで固唾を飲んでいます。しばらくして像が消え元の水面に戻ると、一番後ろで待機していたカティがそっと書類を差し出してきました。
「勇者について現在判明していることを、取り急ぎこちらにまとめておきました」
「ありがとうカティ、助かります」
カティは常日頃から魔界や人間界に偵察のための斥候を出しています。そうやってあちこちの情報を集めている彼は、今回も率先して勇者の情報を集めてくれたようです。
わたくしが書類を受け取ってその内の一枚に手をかざすと、様々な声が頭の中に響いてきました。
『邪悪なる魔王を倒すのだ、勇者よ』
『この身に代えましても』
『勇者さまー! 勇者さま万歳!!』
『魔王を倒してください!』
この書類に記録されている内容からすると、今の人間たちが魔王を倒すべきだと考えているのは確かなのでしょう。その魔王というのはわたくしのことなのですが。邪悪と言われるような行いをした覚えはこれっぽっちもないので困ってしまいます。
何せわたくしの仕事といえば、もめ事の仲裁や視察といったものばかりですから。仕事のない時も月光浴か、その辺りを散歩する程度です。邪悪どころか、そもそも人間界との関わりがありません。
他の書類も同じようにして見てみましたが、困惑はひどくなるばかりでした。人間は口を揃えてわたくしを悪だと言い張っているのですが、魔王のせいで具体的にどんな目にあったのか、魔王がどんなことをしたのかということを主張している者は誰もいなかったのです。
「リュリ様あ……これって言いがかりじゃないですか?」
わたくしの横に張り付いて一緒に書類を見ていたパーシェが、心なしか疲れた様子でつぶやいています。
「私もそう思いますね。人間たちはリュリ様を邪悪であると断言していますが、具体的にどう邪悪であるか、魔王が何をしたのか、そういった話が全く出てきません」
カティもパーシェに同意しています。彼は難しい顔をしたまま目を伏せて、さらに続けました。
「いつもの事ながら、人間たちの考えることはよく分かりません。けれど今回の勇者は、民衆に大変支持されているようですね。過去の勇者の中には、誰にも知られずにひっそりと魔王討伐の旅に出た者もいたようですが」
「へえ、そうなんですか。カティ様は物知りですねえ。確かに今回の勇者は人間たちに大歓迎されてるみたいでちょっと頭にきちゃいます」
「私も気分は良くないよ、パーシェ。リュリ様、事情はともかく、まずは勇者への対策を講じることが最優先かと」
「そうですね。カティ、今転移の門はいくつ開いていますか?」
魔界と人間界は全く異なる世界であり、転移の門と呼ばれるものを通してのみ行き来することができます。そしてこの転移の門は人為的に作ることはできず、自然に出来たり消えたりしています。
今のわたくしたちにとれる最良の対策は、勇者が来る前に転移の門を全て封鎖してしまうことでしょう。できれば、勇者が旅に出たことが魔界に広まってしまう前に。勇者が魔王を倒しに魔界にやってくるなどということがみなに知られてしまえば、魔界は大混乱に陥るかもしれません。
「六つです。位置はこちらに」
この展開を予想していたらしいカティが、すかさず地図を取り出しました。その上に転移の門の位置を表す点が六個輝いています。
「これは……少々困りましたね。転移の門を封鎖するにしても時間がかかりそうです」
今開いている転移の門は魔界の広い範囲に散らばっていました。転移の門はこちら側から特殊な魔法を使うことで封鎖できるのですが、その魔法は使えるものが少なく、高い魔力を必要とします。そのため、魔王であるわたくしが自分で封鎖するか、あるいは魔力の高い種族に頼んで封鎖してもらうかのどちらかしかないのです。
「こちらの転移の門はドライアド族の住みかの近くにありますし、彼らに頼めばいいのでしょうが……」
「うわ、この転移の門、よりによって魔王領の外の辺境にありますよ? 最果ての集落から全速力で飛んで行っても一週間くらいかかっちゃいませんか?」
「封鎖が間に合わなかった時に備えて、封鎖する順番も考えないといけませんね。あと近隣の魔族の避難準備も」
「もう面倒ですし、ちまちま門を封鎖していくよりも、勇者をばーんと一気に吹っ飛ばしちゃえばよくないですかあ?」
カティとパーシェが頭を突き合わせて相談しています。この二人、正反対の性格をしていますが仲は良いのです。
「あの、でしたら魔王城に一番近いこの転移の門を最後に封鎖しませんか」
わたくしがそう言うと、二人は同時にこちらを振り向きました。まあ、怖い顔。
「「駄目です!!」」
「近くで怒鳴らないでください、二人とも。万が一勇者が魔界に来てしまったとしても、そこが魔王城の近くであれば真っすぐにわたくしの方に向かってくるはずです。そうすれば、魔族側の被害が少なくて済みますから」
「それはそうですけど、それだとリュリ様が危なくなりますよお」
パーシェがまたわたくしの腕にすがりついてきました。一方のカティは、しばらく考えた後何かに気づいたような表情になりました。
「いえ……そうか、その手もありですね。転移の門の封鎖が完了するまで、リュリ様には城外に出ていただけばいい。それなら万が一魔界に勇者が現れても、彼らが向かうのは空の魔王城だ。最低限の守りを残して、リュリ様が魔王城におられるように見せかければいい」
じっと聞き入る私とパーシェの前で、彼は独り言のように話し続けました。
「ああ、魔王の身代わりを置いておくのもいいですね。身代わりには勇者に姿だけを見せてすぐ逃げるよう指示しておけば、こちらの被害も小さくできます」
「はい、私それ賛成!」
わたくしの腕にしがみついたままパーシェが器用に手を挙げています。これはもう、決まりでしょうね。わたくしとしても異論はないのですが、一つだけわがままを言わせてもらいましょう。
「ただ城外にいるというのも手持ち無沙汰ですから、転移の門の封鎖はわたくしが行います」
「……できることなら控えていただきたいのですが。危険ですから」
「カティ様、転移の門を封鎖するだけなのに何が危険なんですかあ?」
「転移の門に向かっている途中に、そこから勇者が現れるおそれがあるんだよ」
首を傾げるパーシェに、カティが丁寧に説明しています。しかし何と言われても、わたくしは黙って大人しくしているわけには行きません。勇者が来るのであれば、一番の当事者はわたくしです。
「カティ、どうか私にやらせてください。魔界の危機に、何もしないでいるのは心苦しいのです」
「……分かりました。リュリ様、転移の門を封鎖しに行きたいという貴女の意思を尊重します。ですが、封鎖する順番と時期は私に一任してください。人間界に斥候をさらに出し、勇者の動向を詳細に探らせます。そのうえで、彼らが来る可能性の低い、安全な転移の門から順に封鎖していただきます。いいですね?」
「ありがとう、カティ。あなたに任せます」
カティは優秀ですし、わたくしの考えをよくくみ取ってくれます。彼に任せておけば安心でしょう。
「それでは急ぎ手配しなければならないことが多々ありますので私は失礼いたします。リュリ様は旅支度をなさってください。それとパーシェ」
「なんですかあ?」
「君が宝物庫からくすねた槍はそのまま持って行っていいからね。緊急事態だし」
「やった! あ、あと他にも持っていきたいものがあるんですよお」
喜んで飛び跳ねたパーシェが、さらにいくつかの品を持ち出したいとカティに交渉し始めました。カティは自分の仕事に取り掛かれず困っているようです。これはわたくしが助けた方がよいのでしょうね。
「パーシェ、わたくしと一緒に宝物庫に行きましょう。カティ、後はお願いします」
そうやってパーシェをカティから引きはがすと、わたくしは彼女と共に宝物庫に向かいました。考えてみれば、この後しばらく魔王城を留守にするのですし、使えそうなものは持ち出しておいた方が良いかもしれません。
結局わたくしたちの宝物庫あさりは夜中近くまでかかってしまい、おかげで夕食が夜食になってしまいました。




