1.わたくしは魔王
わたくしは王の末娘。生まれたその日に予言により神の生贄となることが定められた姫でした。それゆえわたくしは王宮に閉じ込められ、ずっと一人で育ちました。
そしてわたくしが十五の誕生日を迎えたその日の夜、わたくしは王宮の外にある湖に連れてゆかれ、そこに身を投げることになりました。
そこでわたくしの生は終わり、この魂は天に召されるはずだったのです。
それからしばらくの間、わたくしは夢を見ていました。きれいな月の見える薄暗い部屋に、わたくしは寝かされていました。体がろくに動きません。目を開けても、ものがはっきり見えません。仕方がないのでずっと眠って過ごしました。
月日は流れ、わたくしは自らの足で立って歩けるようになりました。周りの者たちが、王宮の者たちとは似ても似つかぬ異形のものであることも分かりました。彼らは異形ではありましたが、わたくしには優しく接してくれました。
わたくしは今の自分が幼子であることに気づきました。わたくしもまた異形であることにも気づきました。わたくしがいるここが魔界と呼ばれていることも知りました。
天にまします神は、わたくしの魂を召し上げることなく異形のものとして生まれ変わらせたのでしょう。それに気づいたとき、わたくしは絶望しました。このような姿で、このようなところで、どうやって生きていけというのでしょうか。
そんなわたくしを励ましてくれたのもまた、周りの異形、魔族と呼ばれる者たちでした。彼らと共にあるうち、わたくしの心は変わっていきました。かつての自分のことは忘れ、わたくしもまた魔族として生きていこうと決めたのです。
そしていつしか、わたくしはかつての自分の年を追い越していました。
「リュリ様、またもめ事が起こりました」
昼食後、わたくしが執務室でいつものように書類を処理していると、急ぎ足でカティが入ってきました。彼は猫の耳と瞳、そして尾をもつ猫人族ことワーキャット族の青年で、わたくしの補佐を務めています。
ワーキャット族には猫に近い者と人に近い者とがいるのですが、彼は人に近く、好感の持てる実直そうな顔立ちが印象的です。仕立ての良いぱりっとした服を几帳面に着こなし、高い襟に覆われた喉元には猫の首輪を思わせる首飾りがわずかにのぞいています。ていねいに整えられた青灰色の髪の中で、一房だけ白い前髪がふわふわと綿毛のように揺れていました。
「カティ、今度はどこですか?」
「沼地のリザードマン族同士の縄張り争いです。丸一昼夜戦っているのですがまだ決着がつきません。魔王による裁定が必要かと」
「分かりました。大怪我をする者が出る前に収めた方がいいですね」
わたくしはそう答えて、テラスに続く扉を開けました。肩にかけていたショールをするりと落としむき出しになった背中を丸めると、下に垂らしていた羽がふわりと伸びていきます。薄く半透明の、蜉蝣のような羽です。
その羽を広げたわたくしは、そのまま星が降るような夜空に飛び立ちました。いってらっしゃいませ、と見送るカティの声が後ろから聞こえてきます。
今のわたくしの名はリュリ、魔王と呼ばれています。魔族の王である魔王は人間の王のように血筋で決まるものではなく、先代の魔王が亡くなってから一年の間に生まれた赤子のうち、最も魔力の高い者が次の魔王になるというしきたりがあります。
そうやってたまたま魔王となったわたくしは、幼少の頃から魔王としてみっちりと教育され、今では一人前の魔王として執務に励んでいます。
わたくしは沼地まで、しばし夜空の旅を楽しみました。執務室で書類に囲まれているより、こうやって外に出る方がわたくしは好きです。姫であったころは外出が許されませんでしたから、なおさらです。
昼の魔界の空には三つの月が輝いていますが、それでも人間界の昼と比べるとずっと薄暗いです。けれどその満ち欠けや位置で時間や季節を知ることもできますし、わたくしはこの優しい月が照らす空が好きです。
沼地が遠くに見えてきました。耳を澄ますと、リザードマン族たちの争う声も聞こえてきます。私は速度を上げると、二手に分かれてにらみ合っているリザードマン族の間に舞い降りました。戦闘のただ中に割り込んだために、両側から投げ槍や矢、魔法がばらばらと飛んできましたが、魔法で全て防ぎます。
「こんにちは、リザードマン族のみなさま。魔王リュリがお話を聞きにきました」
わたくしが挨拶すると、リザードマン族たちは渋々ながら戦いを止めました。
鱗人族ことリザードマン族は二足歩行する大きな蜥蜴のような種族です。種族全体の傾向として武力を貴ぶというものがあり、それゆえに肉体的に貧弱な種族を下に見がちであるという欠点があります。わたくしはか弱い妖精であるフェアリー族の出ですので、素直に従いたくないという気持ちも彼らにはあるのでしょう。
ですが、わたくしには魔王として魔界の平和を維持するという仕事があるのです。わたくしは両側のリザードマン族を交互に見渡しました。
「魔王の裁定か。ならばまず我らの話を聞け。我らに道理があることがはっきりするだろう」
「何言ってんだ、俺らが正しいんだよ」
双方のリザードマン族が言い合いを始めてしまいました。先ほどの槍が飛び交う状況よりはまだましでしょうか。
わたくしが下手に口を挟むと余計に状況が悪化しそうでしたので、ここは黙って聞き手に専念することにしました。どうやら、縄張り争いのきっかけは些細なことだったようです。
なるほど、最初は一対一のもめごとでしかなかったのに、次から次に援軍が現れてしまいこのような大事になってしまったのですね。
ならばまず最初にもめた二人を見つけ出して、そこから順に根気よく説得していくことにしましょう。わたくしは意を決して彼らの口論に口を挟むことにしました。
わたくしが帰途についたのはそれからずっと後で、既に夕刻になっていました。三つある月の一つはもう西の空に沈もうとしています。リザードマン族一人一人の説得にはそう時間を要しなかったのですが、いかんせん数が多すぎました。
空腹を抱えながらよろよろと魔王城へ飛んでいると、前方から猛烈な勢いでこちらへ突っ込んでくるものがいます。わたくしはぎりぎりのところでそれをかわすことに成功しました。
振り返って見ると、それは知った顔でした。白と桃色の羽毛に覆われた翼を背から生やし、腰のあたりにある尾から長い飾り羽を垂らした翼人族ことハーピー族の女性、名はパーシェです。
パーシェは白と桃色が混ざり合った髪をしていて、大変愛らしい見た目をしています。その外見に合わせるように、たっぷりとひだを寄せた可愛らしい衣も淡い桃色と白。彼女は見た目によらず武術を得意とするので、わたくしの護衛見習いとして魔王城に住んでいるのです。
「あっ、リュリ様見つけた! じゃない、リュリ様失礼しました!」
彼女はわたくしを見ると顔を輝かせ、そしてすぐに頭を下げてきました。
「パーシェ、速く飛ぶ時は前に気をつけなさいといつも言っているでしょう」
「だってだって、リュリ様私のこと置いて行っちゃいましたからあ」
わたくしのいつものお小言に、パーシェは口を尖らせています。反省する気はないようです。
「リザードマン族が争っているとこにお一人で行かれるなんて信じられません! あいつら粗暴で武骨で短気ですぐ暴力に訴えて、あと鱗が固くてごつごつで」
「あなたが彼らを罵倒したいということは分かりましたけど、最後のは一体なんですか」
「ごつごつよりふわふわの方が素敵なんです!」
この考えが彼女独特のものなのか、それともハーピー族に共通のものなのかは未だに不明です。一度確認しておいた方がいいかもしれません。
「それで、裁定に向かったリュリ様に何かあったら大変だって駆けつけてきたんです!」
そう言ってパーシェは手に持った槍を振り回しています。その槍に見覚えがありました。あら、これはもしかして。
「もう裁定は終わりましたよ。ところでパーシェ、その槍はまた宝物庫から持ち出してきたのですね。カティの許可は得たのですか?」
彼女が持っている槍は魔王城の宝物庫にしまわれている魔法の槍で、持ち出すにはわたくしかカティの承認が必要です。しかし、今回の仕事にこんな大仰なものは必要ありませんし、カティが承認するはずもないのですが。
パーシェを見ると、目が泳いでいます。
「また許可なしに持ち出したのですね。今度はどのような手を使ったのですか?」
そのままじっと見つめていると、とうとうパーシェが白状しました。黙っているのと白状するのと、どちらがより傷が浅くて済むか考えていたようです。
「か、影魔のみんなに協力してもらったんですう」
影魔とは、影に潜む不定形の種族のことです。彼らは影の中であれば姿を消して移動することができ、さらに近くにある影に転移することもできるのです。
パーシェの口ぶりからすると、彼女に協力した影魔は一人や二人ではないのでしょう。彼女は人望があるのは良いことなのですが、その人望の使い方には疑問を感じることも多々あります。
しょげるパーシェに程々にお説教をしながら、わたくしは彼女と共に魔王城に戻りました。
一仕事終えて疲れ果てたわたくしは、今日はもうゆっくり休もうと思っていました。今はもうすっかりいつも通りの調子に戻ったパーシェは「リュリ様、帰ったら一緒にご飯にしましょう、それから一緒にお風呂も!」と浮かれています。
わたくしは片腕にパーシェをぶら下げたまま執務室のテラスに舞い降りました。そこに、カティが血相を変えて駆けつけてきます。彼のいつもきれいに整えられている青灰色の髪が乱れており、黄色と緑が入り混じった瞳は黒々と見開かれていました。何かただならぬことが起きたようです。
カティは荒い息を整えると、わたくしに告げました。
「勇者が、魔王討伐の旅に出たそうです」




