18.忍び来る異変
クリスと迎える二度目の朝。彼は前日までと同じように見えましたが、その顔にはほんの少しだけ疲労の跡が見えました。慣れない魔界を旅している疲れが出たのか、あるいは昨日思い出しかけた記憶のせいなのか。
「やはり朝起きても太陽が見られないのは落ち着かないね。人間はやっぱり太陽の元で生きるものなんだろう」
彼が苦笑しています。わたくしもそれには同意です。魔族として生きた時間の方が人間として生きた時間より長いわたくしですが、それでも久しぶりの陽光はとても懐かしく愛おしいものに感じられたのですから。ずっと陽光の下で生きてきた彼はなおさらでしょう。
やはり、彼を早く人間界に戻してやらねばなりません。
わたくしがそう決意を新たにしていた時、彼がわたくしに突然話しかけてきました。
「そうすると、君たち魔族は月の元で生きるものなのかな? 君に月はとてもよく似合っているからね。昼の三つの月の下での君はとても華やかで、夜の二つの月の下での君はとても神秘的だ」
悩んでいようが疲れていようが彼は彼だったようです。変わりないようで少し安心しました。彼の言葉はくすぐったくもありますし、半ば呆れを感じなくもないのですが。
「クリス、そう褒められると困ってしまうのですが」
「思ったままを言っているだけだよ」
こう言われては反論のしようがありません。彼はわたくしをからかおうとしているのではなく、本当に思ったままを言っているようでしたし。
わたくしが黙ってしまうと、ふとクリスが何かに気づいたようでした。
「そういえば、目的の場所はもう近いのかな? 君と旅するのも今日でもう三日目だし」
「ええ、この調子であれば今日の夕方か、明日の午前中には着けると思います」
「そうか、だったら君とこうやって話していられるのもあと少しか……残念だな」
彼もわたくしとの別れを惜しいと思ってくれているようです。魔王としてはふさわしくない感情なのでしょうが、わたくしはそれを嬉しいと思ってしまいました。
わたくしたちは昨日までと同じように色々と話しながら、森の中を歩き続けました。そろそろ昼になろうかというころ、クリスが突然私の肩をつかみ、立ち止まりました。
「待ってくれ、リリィ。……何かの気配がする」
それと同時に、カティの声が頭の中に響きました。
『リュリ様、緊急事態です! 転移の門から人間が侵入しています』
わたくしはクリスに気取られないように気を付けながら、カティと魔法の会話を続けました。
『カティ、説明をお願いします』
『貴女たちを魔族に会わせずに進ませるために、辺り一帯を立ち入り禁止にしていたのが裏目に出ました。どうやら昨日あたりから少しずつ人間が入り込んでいたようです。風体からおそらくは盗賊の類かと。今ベル殿とパーシェが手分けして片付けていますが、貴女たちの通り道に数名残っています。私たちは勇者の前に姿を現さない方がいいですし、残りはそちらで片付けてください』
『分かりました』
クリスは勇者にしては弱いとカティに酷評されていましたが、それでもガラントと互角くらいの力はあるとのことですし、人間の盗賊程度であれば彼に任せても大丈夫でしょう。わたくしは魔王であるとばれないように、できるだけか弱い魔族のふりをしなくては。
しかし、わたくしがか弱い演技をするまでもなく、クリスはわたくしを背にかばうと腰の剣に手を掛けました。
「リリィ、君は俺の後ろに隠れていて。前の方から嫌な感じの気配がする。剣呑な魔族がいるのかもしれない」
おそらくはカティの言っていた盗賊がいるのでしょう。ならばここはこのまま、クリスに任せるとしましょうか。
それにしても不思議な気分です。人間である勇者が、魔王であるわたくしを人間の盗賊から守ろうとしているなんて。しかも、間違いなくわたくしの方が勇者よりも強いというのに。
門を封鎖した時に消費したわたくしの魔力はまだ戻り切ってはいませんが、それでももし今わたくしとクリスが戦えば、確実にわたくしが勝てる、そう断言できるくらいの実力の差があるというのに。
クリスの背におとなしく隠れながら、わたくしは一人ひっそりとそんなことを考えていました。と、目の前の彼の背中がぴくりと動きました。
「来た。静かに」
彼はそれだけ言って構えました。わたくしもじっと立っています。遠くでがさがさと草をかき分ける音がします。音が少しずつ近づいてきました。
「……人間!?」
クリスが叫びました。わたくしたちの前に現れた盗賊も驚いているようです。
「なんで魔界に人間がいるのかって、こっちが聞きてえよ。しかもとんでもねえ美人連れてやがるし」
盗賊の下卑た言葉に、クリスが息を飲むのが分かりました。剣をしっかりと握りなおしています。
「おう兄ちゃん、やる気か? 後ろの美人置いていけば見逃してやるよ」
「黙れ!」
「望むところだ、ぶっ殺してやるよ!」
その言葉が我慢ならなかったのか、一声叫んだクリスが剣を抜き盗賊に飛び掛かります。盗賊も応戦し、たちまちのうちに激しい打ち合いになりました。
あの盗賊、品性に劣るだけでなく相手の腕前を読む能力もなかったようですね。クリスはわたくしより弱いですが、あの盗賊よりは遥かに腕が立ちます。思っていた通り、あっという間に盗賊はのされてしまいました。
「お前は盗賊か、仲間はいるのか?」
盗賊を地面に組み伏せて武器を奪い、その首元に剣を突き付けてクリスが低く言い放ちます。
「へっ、素直に言うとでも」
「だったらお前に用はないな」
冷たく言うとクリスは剣を盗賊の首に食いこませました。皮膚が薄く切れ血が一筋滴り落ちていきます。盗賊はひっ、と小さく叫び、細かく震えだしました。威勢がいいのは口だけだったようです。
「わわわ分かった話すから、けけ剣を引いてくれ!」
「人の命をたやすく奪おうとするくせに、自分の命は惜しいんだな」
クリスは吐き捨てるように言うと、盗賊から色々と聞き出し始めました。彼らは四、五十人ほどおり、その大半は門の向こう、人間界にいるということ。偶然転移の門を見つけたので、魔界の調査のために十名ほどが先行して門をくぐったということ。
さて、これからどうしましょう。クリスを門まで連れて行くのはいいとして、その向こう側には盗賊の群れがいるようです。彼一人で片づけるには少々荷が重いでしょうね。
わたくしがそうやって悩んでいると、クリスもまた悩んでいるようでした。
「さて、こいつをどうしたものか……」
「おい、話したんだからもう俺に用はねえだろ!」
「うるさい。お前を野放しにしたら魔族に迷惑がかかるだろう」
相手は盗賊ですし、生かしておけば他の人間や魔族に害をなすでしょう。こういう場合はさっさと斬ってしまうのが良いのだろうと思うのですが、クリスはやはり人間を斬ることに抵抗があるようでした。仕方がないので助け船を出すことにします。
「あの、クリス」
「ん、どうしたんだ? 危ないから下がっていてくれ」
「その方なのですが……武器だけを奪って自由にしてやれば良いと思います。この辺りは狼の群れが棲みついていますし、きっと彼らが始末をつけてくれるでしょう」
「ひ、ひいっ!」
狼の群れと聞いて、また盗賊が悲鳴をあげました。これだけ脅かしておけば、まっすぐに門に戻ってくれるでしょう。
予想した通り、盗賊は一瞬の隙をついて全力でクリスを振りほどくと、来た方向へ脱兎のごとく駆け出し、あっという間に姿が見えなくなりました。
「ああ、逃げられたか……まあ、武器は奪えたからいいかな。それにしても狼が棲みついているなんて、この辺りは危険なんだな」
そう言ってクリスはわたくしを見ました。その視線がむず痒くて、ついわたくしは白状してしまいました。
「実は、嘘なのです。ああやって脅せば人間界に逃げ戻ってくれるかもしれないと思ったので」
わたくしが肩をすくめると、先ほどまでぴりぴりした雰囲気を漂わせていたクリスがぷっと吹き出しました。
「なんだ、そうだったのか! 君はかわいい顔をして中々大胆な嘘をつくんだな」
彼はそのままおかしそうに笑っています。わたくしは気が気ではありませんでしたが。だって、わたくしはもっと大胆な嘘をつき続けているのですから。
そうやってひとしきり笑うと、クリスは急に真顔になり、改めてわたくしに向き直りました。
「リリィ、どうやらここから先は盗賊たちがうろついていて危険みたいだ。君はもう戻るといい。俺は先ほどの盗賊を追っていく。そうすれば門にたどり着けるだろうから」
そこまで一息に言ってしまうと、彼は言葉を切って目を伏せました。
「……できることなら、君と別れたくはないけれど」
その言葉を聞いたとき、思わずわたくしは理由を探してしまいました。彼ともう少しだけ一緒にいる理由を。魔王としてはここで別れるのが正解です。けれどわたくしも、まだ彼と別れたくなかったのです。
「わたくしは……わたくしもついていきます。門の向こうには多くの盗賊たちがいると、先ほどの盗賊は言っていました。あなた一人で相手をするのは危険ではありませんか」
「うん、さすがに一度にかかってこられたら危ないだろう。だから君は来てはいけない。俺の腕では、君を守り切れないから」
「わ、わたくしも少しだけなら、戦えます。魔法が使えますから」
わたくしが戦えることは隠しておきたかったのですが、状況が状況なので仕方ありません。ああ、これはまたカティにお説教されてしまいますね。勇者に軽率に手の内を明かすものではない、と。
「あなた一人を送り出して、無事でいるだろうかとただ気を揉むしかできないのは……嫌なのです」
両手を胸の前で組み合わせて強く握りしめうつむいていると、しばらくして頭の上からクリスの声が聞こえてきました。
「……分かった。だったらお言葉に甘えて、君にも手伝ってもらおうかな。ただし、俺のそばを離れないでくれ。君には少しでも安全な場所にいて欲しいから」
わたくしは顔を上げ、神妙にうなずきました。言われなくても彼のそばを離れるつもりはありません。もっともそれは彼に守られるためではなく、彼を守るためですが。
そしてわたくしたちは静かに歩きだしました。二人きりののどかで奇妙な旅路は、こうして終わりを告げました。




