13.運命の門へ
進路を変えて二日後、わたくしたちは魔王城から少し離れた草原に降り立ちました。ルーとはここでお別れです。
『まおうさまをのせてとぶの、たのしかったです。またよんでくださいね』
そう無邪気に答えると、ルーはまた飛び去って行きました。不用意に勇者を刺激しないよう、ぐるっと遠回りして帰っていくように指示してあります。
少しずつ小さくなっていくルーの姿を見送ると、わたくしたちは新しく開いた門へ向かって歩き出しました。わたくしとその補佐のカティ、護衛及び護衛見習いの兄様とパーシェが同行するのは当然ですが、レッガもこの一行に加わっていました。
一応勇者が近くにいますし、危険があるかもしれないので別行動にしてはと提案したのですが、彼は「ガラント殿が戻ってくるまで何日か門の前で待つことになりますが、その間の食事や野営の支度はどうされるおつもりかな」といつもと変わらないきらきらした目で笑っているだけでした。
みなを先導するカティ、わたくしは彼のすぐ後ろ。そしてパーシェはわたくしを守るように横を歩き、さらにその後ろにレッガ、しんがりが兄様。そうやってわたくしたちは一列になって歩き続けました。
草原から森に入り、どんどん森は深くなり、とうとう空が見えなくなりましたが、その間ずっとわたくしたちは無言でした。いつも騒がしいパーシェですら、不安げに辺りを見回しながら黙りこくっています。
歩いている間、わたくしは周囲を警戒する魔法を使い続けています。カティも斥候を複数出しており、その中にはわたくしたちの前を行く者や、勇者を遠巻きに見張っている者がいます。
それらの全てが、勇者がわたくしたちの近くにはいないことを告げていますが、それでもわたくしたちは何とはなしに落ち着かなかったのです。不用意に口を開いて噂をすれば、突然勇者が目の前に現れるのではないか、そんなあり得ない思いさえ脳裏をよぎっていました。
そうやって丸二日歩き続けて、わたくしたちは予定より少し早く目的の門にたどり着きました。非常時に備えて、この新しく開いた門の周囲は立ち入り禁止にしてあるため、辺りには誰の気配もせず、ひっそりと静まり返っています。
そしてわたくしたちが転移の門についたのと同時に、カティにガラントからの通信が入りました。勇者が魔王城に入った、これより作戦を実行する、と。
ここから数日、わたくしたちはこの門の前で待つことになります。そのためわたくしたちはレッガを中心にして野営の準備を始めることにしました。
「ガラントさん、いつ頃人間界に入るのかなあ」
野営の準備が終わってしばらくすると、沈黙を破るようにパーシェがつぶやきました。独り言のようです。
「もう少しかかりそうだね。勇者を連れて魔王城から出ることには成功しているよ。今、彼らは魔王城と門のちょうど中間にいる」
斥候からの情報を集めていたカティが彼女に律義に答えています。
「そっかー。……ガラントさん、無事ですよね」
「今のところはかすり傷程度で済んでいるそうだよ」
「帰ってきたらお疲れパーティ開きましょうね」
こんな状況に似つかわしくないほのぼのとした提案ですが、その発言につられて兄様も口を開きました。
「おっ、宴か。盛大にやりてぇな」
「兄様まで。……でも、無事に勇者を追い返せたらそういうのもいいかもしれませんね」
「その時はわしが腕をふるいましょうか」
「ええ、僕も貴方の料理の腕は買っています」
気が付くと、全員がぽつりぽつりと話に参加していました。少しだけですが、いつもの調子が戻ってきたようです。
その時、兄様が不意にうめき声をあげました。みな驚いて兄様を見ます。
「あーもう、辛気臭え! 作戦は順調で、勇者はあっちの門に順調に向かってんだろ? だったら俺らが心配するこたあ何もないだろうが。まあガラントの奴はちと心配だが」
そして兄様は片手で握りこぶしを作ると、もう片方の手にぱん、と打ち付けました。
「俺らの出番がくるまであと一日はある。だったら今やることは勇者を警戒してびくびくすることじゃなく、明日の出番に備えて体力を温存することだな。まあ、上手くことが運べばリュリ以外は出番がないわけだが」
そこで兄様はわたくしを見ると、いつもの人懐っこい笑みを浮かべました。
「今から緊張してても疲れるだけだ。なあリュリ? 明日はきっちり頑張って、俺らの出番がないようにしてくれよ?」
「ベル殿、いくら何でも軽口が過ぎます」
さすがに見過ごせなかったのか、カティが割って入りました。けれど場の雰囲気は兄様のおかげで一気にゆるみ、わたくしたちは緊張がほぐれていくのを感じていました。
だから「ガラントと勇者が人間界に転移した」という知らせを受けても、さほど不安になることはなかったのです。そう、全て作戦通りに進んでいるのだから明日になるまでは大丈夫だ、と腹をくくることができたのです。
しかしそのように腹をくくってしまったせいで、少しばかり妙な余裕ができてしまったのも確かでした。
「ガラントさん、徹夜で飛び続けなんですかねえ」
「さすがに勇者に追われている状況では、ゆっくり休む気にならないと思いますよ」
いつも通りの夕食を済ませ眠りにつく前のひととき、この旅の間いつもそうしていたようにわたくしはパーシェと天幕の中で話していました。
「人間界ってどんなところかなあ……リュリ様は知ってますか?」
「たぶん知りません」
今のわたくしは人間界に行ったことはありません。前のわたくしは生まれも育ちも人間界ですが、暮らしていた王宮と最期の場となった湖しか知りません。それを踏まえると、こんな返事になってしまいました。
ですがパーシェはわたくしのそんな返事にはさほど注意を払わず、ちらちらと門の方を見ています。
「気になるなあ……」
「ちょっとのぞいてみましょうか」
わたくしが出来心からそう言うと、パーシェは顔を輝かせました。
「見たいです! ちょっと見るだけならいいですよね!」
「静かに。カティに見つかったら止められてしまいますよ」
「その口ぶり、さてはリュリ様も門をのぞこうとしたことがあるんですね?」
「実はそうなのです」
わたくしたちは、どちらからともなく声を潜めてこそこそと話し合っていました。カティは別の天幕で何か忙しくしているようですので、こっそり門をのぞくなら今が好機でしょう。
忍び足で天幕を出ると、見張りに立っている兄様と目が合いました。内緒にしてください、との意味をこめて立てた人差し指を唇に当ててみせると、兄様は何かを察したようにうなずきました。その兄様の隣を通り抜け、そのままパーシェとこっそり門に向かいます。
人間界への入り口である虹色の平面に二人一緒に体を滑り込ませた途端、視界が一変しました。
生まれ変わって初めての人間界は、まばゆい陽光に満ちていました。全身で感じるこの温もり。
前のわたくしのことは忘れようと思っていたのに、この日差しの温かさだけはどうあっても忘れられない。懐かしくてたまらない。
「話には聞いてましたけど、人間界ってすごく明るいんですねえ……ってうわ、ベル様!?」
「お前らだけで人間界に行かせてたまるか。つってもお前ら、どうせ止めても聞かねえだろうから、俺も付いてくことにしたんだよ。ん? どうしたリュリ?」
兄様が驚いた顔でわたくしを見ています。パーシェも驚いているようです。どうしたのでしょうか。
首を傾げようとして、頬をつたう温かい感触に気が付きました。人間界に良い思い出など何もないのに、涙がでるほど懐かしいなんておかしな話ですね。そう思って笑ってみせましたのに、まだ涙は止まっていないようです。困りました。
パーシェが気遣うように腕を差し伸べてきます。わたくしはそっとその手をとりました。
「大丈夫です。何も問題はありませんよ」
「だったら何で泣いてるんですかあ」
パーシェまで泣きそうな顔になっています。いけない、早く涙を止めなくては。けれどもどうやれば止められるのでしょう。
どうしていいか分からずにとまどっていると、唐突に兄様に引き寄せられました。どうやら兄様はわたくしとパーシェを二人まとめて抱きしめているようでした。
「どうしてとか聞くんじゃねえ馬鹿、こういうのは理屈じゃねえんだよ」
「何なんですかそれ」
訳も分からず捕まえられたパーシェが抗議していますが、わたくしはただそのままじっとしていました。兄様とパーシェのぬくもり、そして温かな陽光。
それは自分が今置かれている状況を忘れそうになるほど、幸せな気分にさせるものでした。




