彼氏の宿命
心地いいと感じる時間程、決して永遠ではない。どれほど長い時間であろうと決して終わりが来て、俺はその終わりを惜しむ。電車が町の駅に着いた時、そう思った。
───出来るだけ早く帰らないとな。
今日は別に深夜放送が休みの日ではない。一切休まずに放送へ臨むなんて自殺行為以外の何物でもない、明日の昼に気絶する未来がこの時点で見えている。
「おい、一魅。起きろ。着いたぞ」
「…………もう?」
「寝ると時間がスキップされたみたいだよな。分かるよ」
正直、一魅の寝起きの声は少しだけガラが悪くてゾクゾクする。本人に言ったら恥ずかしがりそうなので口にはしない。声にメロメロなのはクラスメイトだけで十分だろう。俺の役目は違う。
早速電車を降りようとすると、一魅から待ったがかかった。
「な、何だよ」
「外に人が居るみたい。気を引き締めなきゃ」
「何? 今更電車を利用しようとする奴がいる訳ないぞ」
「だから、そういう事」
「何が?」
「キミを、待ってる」
こんな夜中に人なんて見える訳ない、と言いたいが殆ど無人駅と化した構内に一人だけ居るならどれだけそこが暗くても良く視える。確かに券売機の辺りには景色と呼ぶには人型すぎる影が立っており、俺が電車から降りた途端、ずかずかと近寄ってきた。
「君が、神坂守命だな?」
「……はい?」
俺をそんな風に呼ぶ人間はちょっと前の花影以外に中々居ないのだが、ぼんやりとした証明に顔が照らされ、俺もようやくその正体を知った。
「…………敷茂、昭」
面識はないが、俺は一方的に知っている。相手も一方的に知っているならこれは果たして知り合いに分類されるのだろうか。一応先輩の筈だが俺の口は無意識に敬語を使わなかった。それを言い直そうとも思ったが何となくそれは嫌だった。彼氏は嘘かもしれないが、花影を困らせているのは本当だったから。
「出かけていたみたいだね、楽しかったかな?」
「……何の用ですか、俺を待ってるなんてそんな間柄じゃないでしょうに。ていうか何で出かけてるって」
「単刀直入に用件を告げる。花影君と別れるんだ」
「…………それは、何故?」
「僕がここに来たのは君に道を授ける為だ。今日、君は弓水ちゃんと一緒に出掛けた、そして今帰ってきたんだ。あまり公にしたくはないが実は僕の知り合いが弓水一魅を観測する方法を見つけてね。花影君と別れてくれるなら今すぐそれを教えよう」
「話の順序が滅茶苦茶なんですけど? それとこれとは話が別なんじゃ?」
「君が真に好きなのは弓水一魅だろう! 花影君とは遊びの筈だ、彼女を困らせるべきじゃない!」
「困らせてるのはどっちですか? 花影だって困ってますよ、俺が居るのに周りから別れろって言われるんだって。貴方がけしかけてるんですよね」
「何の話だ? それは彼女たちが勝手にやっているだけだし、僕は知らない。ただ、君と別れた方がいいのは確かだ。そうすれば弓水ちゃんは救われる」
この不埒な先輩の発言は一部正しい。確かに俺は一魅の事が好きだ。せこい気がするから告白をしないだけで、どちらかを選ばないといけなくなったら当然一魅を選ぶだろう。ただそれは花影に対して何も思っていないという意味ではなく、彼氏役を引き受けたからには当然他の人よりも特別扱いをしている。本人が”別れたい”と言っていて俺が宥めているような関係性ならともかく、ただ敷茂昭に困っているなら分かれる理由などない。
だって、俺は彼氏だから。
「……一魅が見えるって言ったな。でも残念だけど今日の俺は一人だよ。一人で遊びに行ったんだ、部活には間に合うしな」
「僕が見えてないと思っているのかい? そういうのはやめた方がいい、弓水ちゃんを助けたいんだろう?」
「じゃあ、証明しますか?」
「何だと?」
俺は携帯電話を取り出すと、先輩の目の前でわざわざスピーカーに切り替えてから電話をかける。着信音の後、電話が繋がる。
『もしもし、一魅?』
『うん? どうしたの? 部活の時間まではまだ余裕があるけど、打ち合わせなんてしないでしょ』
『なんかさ、目の前の人が俺とお前が一緒に出かけたとか言ってるんだ。もしかしてお前も出かけてたのか?』
『出かける用事なんてないけど。生活の為に遠出をする必要なんて別にないから』
『そうだよなー。そうだよなー』
電話を切って、改めて先輩を見上げると、彼は明らかに動揺した様子で後ずさっていた。
「どうかしましたか? 一魅は家に居るみたいですよ」
「…………そ、そんな話はいい。僕は花影君と別れろという話をしに来たんだ! 彼女は僕が好きなんだ、君に押されていやいや付き合ってる!」
「なんか、交換条件みたいな話でしたよね。それが破綻してるし、そんなに言うなら当然俺が女性嫌いみたいな噂を知ってますよね。花…………香檻はそんな俺を好きって言ってくれた数少ない子なんです。嫌々付き合ってる相手を引き留める程、俺は自分に魅力があると思ってない。別れたかったら明日にでも貴方のところに行きますよ。そうじゃないなら……この話は終わりです」
「む、ぐ」
「一応彼氏なんでね、知ってますよあの話も。彼女の告白を何で最初断ったんですか? あの時頷いてれば良かったのに」
「あの時から交際していたじゃないか!」
「ふーん。じゃあ先輩も付き合ってもないのに後輩の肩組んで胸揉んだりお尻触るのやめた方がいいんじゃないんですか? 尻の軽い子が嫌いなのに、自分は尻が軽くてもいいんですか?」
「じ、自分を好きな子に報いたいと思うのは間違いではない! 発散してあげなきゃもっと暴走するだろ!?」
「尻の軽い奴が嫌いってのは要するに誠実じゃないって意味だと思うんですけど…………貴方のどこが誠実だ?」
勿論、俺も誠実ではないだろう。心が惚れているのは一魅なのに、それを胸に秘めたまま彼氏役を務めている。終われば彼女とは他人だ。それこそ別れていい、新しい本物の彼氏に俺の愚痴を言って”アナタは違う”なんて引き合いに出してくれても構わない。
”彼女”の幸せな人生の為なら、俺は幾らでも悪者になろう。
「とりあえず帰ってくれますか? 嘘吐かれて俺も気分悪いんですよね。一魅が見えるなんて言って、根拠もないのに薫織と別れるとか言って。二度とアイツに近づくな」
「もう行った?」
「隠れる必要なんてないぞ。あの人はお前の事なんて見えてないからな」
この手の話は初めてじゃない。中学までの間、俺がトラブルを起こし続けていた頃に何度も同じような悪戯をされた。一魅が見えるとか言ってからかって、その度に本人からそいつは見えてないと指摘されたモノだ。誰か一人でも同じように見える人が居たらきっと一魅は救われたのに、結局誰も見えなかった。今回も同じだ、端から見えない可能性を疑っていればこうやって即興芝居で遠くに居るフリも出来る。
そもそも近くの一魅に電話をかけたのだから本当に見えているなら着信音だって聞こえていた筈だ。それが、俺が電話をかけてから声に反応した。その時点で交換条件とやらに検討する価値はなかった。
「キミの姿、花影サンに見せたら本当に掘れちゃうかもね」
「こんな事で惚れるような尻の軽い女子じゃないだろ。そもそもアイツは可愛いんだから、彼氏なんて作ろうと思えば幾らでも作れる、ま、お兄さんが認めるかどうかは別としてだが、そもそもこの人なら認められるとか認められないとか、彼氏相手にベットするのもアイツだ。相手を見定められる立場にあるんだよ。敷茂昭にぞっこんだったのはイケメンで優しくて高身長だから。その相手に断られて他に選べる相手がいないから成り行き上彼氏と偽ってしまった俺で妥協した。つまり、花影は尻の軽い子なんかじゃない」
「随分早口ね」
「…………あり得ないけど、本当に惚れられたらもっと困るんだよ。触れない恋人なんて、傷つけるだけだ。花影の事は嫌いじゃないから、そんな真似したくない」
一魅は買い物袋を提げたまま暗闇の中へと去っていく。次に会うのは部室で、俺達のデートはここでお終い。
「私だったら惚れてる」
「え?」
「私が、花影サンだったら」
「ああ…………」
「二度と近づくななんて。カッコイイ事言うような彼氏が私も欲しいかな」
それは……俺にミツける事を期待しているのか。
「叶うさ」
「本当?」
「ああ。だからもう少しだけ待っててくれ。必ず、お前をミツけるから」




