春行きて、青を知る
「あんな事して良かったのかな」
夏へ近づくにつれて日没の時間は伸びて行くが、そんなのは多少の時間のずれに過ぎない。いつかは帰らないといけないし、まして花影なら猶更、健全な時間に返さないといけない。
伽堂の家を後にした俺達は途中まで同じ帰路についていた。花影の家は知らないので目の前まで送る気はない。偽物の彼氏に家を知られるのも嫌だろうし。
「敷茂昭に配慮してるのか?」
「んー……そうじゃなくてさ。調べるのはいいんだけど心配なんだよ。友達がおかしくなるのもさ、敷茂先輩の時だけなんだ。絡まなかったら全然、操られてるとか微塵も思わないし。伽堂さんもそうなったら嫌だなって」
「心配するなよ。元々敷茂昭については調べるつもりだった。アイツの手帳に一魅の名前があったんだ。全然通用してる様子はないけど、例えばもし……一魅が皆から見えるようになったら通用するかもしれない。どっちにせよいつかは排除しなきゃいけない問題で、それが今だっただけだ」
「一応、先輩だよ?」
「やってる事がゴミ過ぎて敬う気になれない。俺の部活に上下関係とかないしな」
「昔はどうしてたの?」
「入れなかったよ」
一魅の存在を認めさせたい時期はとうに過ぎていたが、残念ながらそれが負債となって俺の悪評に繋がった。一魅の実在の有無にかかわらず、俺という存在が和を乱すから駄目なのだと。当時の俺は何とも思わなかったどころか放課後遊べてラッキー程度にしか捉えていなかったが、今思えば……強がりだったように思う。
拒絶された苦しみに向き合いたくなかっただけだ。
「私さ。アンタが榊麻君の話で駆け回ってる間、結構……友達経由でアンタの悪い噂聞いたんだ。そんな彼氏放っておけっていうのもそこから派生したんだけど」
「女性が嫌いって噂か? そんなのもう話のネタにもならないぞ。どうせあれだろ、一魅が好きだから他の女性を遠ざけてる。花影は遊び、みたいな」
「え、凄い! どうして分かったの?」
「俺の苦手が誤解を生んでそれが解消されないままここまで来たんだ。拗れるとしたらこういう方向性かなって」
今までそういう物だったからこそ、伽堂に何の制約も受けず触れられる事実が今でも信じられない。余談だが今日、花影が一緒に来ないのならあの時の約束を果たすつもりだった。丁度二人きりになれるような瞬間でもあったし。
「まあ、あながち間違いでもないんじゃないか。お前にはいつか本物の彼氏が現れる。俺は単なるお守りだ」
「―――神坂守命君はさ。実際どうなの? 一魅ちゃんの事は好き?」
「昔から一緒に居る女の子を好きにならないなんて無理があると思わないか?」
俺からどんな答えを期待したのだろう、冷たく対応するなら二文字だけで答えてもいい。愚問。正にその言葉通り答えるまでもない質問だ。俺にしか見えない、俺にだけ話しかけられる女の子。向こうの気持ちはどうあれ、好きになってしまわない方がおかしい。
「でも、気持ちを伝える気はない。だって俺は自分が”嫌い”だからな」
「な、なんで?」
「さてな。自分の感情だからって一々細かい理屈がつけられるとも限らない。今までの積み重ねって事もあるし…………もしかすると前も言った様に皆から頭のおかしい奴だと言われ続けて本当にそうなったのかもしれない。花影が気にする必要はない。将来俺がなるポジションはお前みたいな良い奴を幸せに出来なかった残念な元カレだからな」
「まだ付き合ってるんだからそういう言い草やめてよね! 私はアンタの自虐を聞きたかったんじゃなくて、言われてる程ろくでなしなんかじゃないって事! 嘘だったとしても……神坂守命君に彼氏になってもらって、後悔なんかしてないんだから!」
「あはは、ありがとな。家に帰ったらそんな感じで存分に惚気てくれ。正直お前の兄貴の方が情報も少なくてやりにくい。今日は休日だしな、俺も放送なんかしないでゆっくりするよ」
「え? ラジオって毎日やってなかったんだ」
「いや、今月から導入した。校長に流石にきついって言ったら、休日はやらなくていいって明言してくれた。まあ、色々事件を解決した功績込みかもな。まさか担任まで味方してくれるとは思わなかったけど」
次の分かれ道。俺達は反対に分かれる。恋人タイムはそこで終わりそれぞれの時間が始まる。そんな時だ、不意に花影が脚を止めたのは。
「……どうした?」
夕暮れの逆光に遮られて表情が良く視えない。
「ねえ、明日から神坂って呼んでもいい?」
「急だな。今までフルネームだったのに」
「関係性が進展したと思われたら、彼氏なんか放っとけって言われないでしょ?」
「ああ、そういう。じゃあ俺も……って花影呼びは元々だな。こういう流れになるなら俺もフルネームで呼んどけばよかったか」
「花影薫織って? ふふ、なんかそう呼ばれると今は新鮮だねっ」
花影は再度歩き出し、直ぐに俺の肩まで追い付いてきた。心無しか表情が輝いて見えるのは夕日に当たっているせいだろうか。口元も緩んで凄く嬉しそうだ。これが一魅だったら視間違える道理もないが、花影は元々明るい女子だ。気のせいである可能性が高い。
「じゃ、気を付けて帰れよ。明日……も休日だな。恋愛関係でトラブルが起きたら呼んでくれ」
「神坂も、元気でね!」
「おい、明日からだろ?」
「……駄目?」
「駄目っていうか……はぁ。またな」
「うん! ばいばい!」
咎められなかった。あんな屈託のない笑顔を浮かべられて水を差せるような人間になった覚えはない。振り返れば、その影が遠ざかっていく様子が見える。
「…………」
『もう、疲れててさ。みんなにおかしい奴呼ばわりされてると、たまに消えてなくなりたい時がある。透明化は誰の記憶からも消えてくれるんだ、一魅だけが俺を覚えてる状況になってくれるならそれでもいいような気はしてるんだよ』
「お前に忘れられるのはちょっと……嫌かもな」
彼女の背中が小さくなって角を曲がるまで、俺の足はその場から動こうとしなかった。
「守命。帰ってきたのか」
「ただいま、父さん」
部活を始める頃にはとっくに眠っているから近頃は食事時くらいしか交流がないものの、神坂幻成は数少ない俺の理解者だ。最初こそ存在は認めてくれなかったが俺が町中で暴れたのをきっかけに一魅の存在を認め彼女と遊ぶのを許してくれるようになった。
そして何より、恋人を作る事を強要しなくなった。恨みが全くないとも言わないが、全て吞み込める範疇だ。
でも年齢にしては老けて見えるから白髪は何とかした方が良いとは思う。
「今日はトンカツだぞ。母さんがお前の好きなものを作るべきだと言って聞かなくてな」
「え? 何かしたっけ、俺」
「何かも何も、仇華先生がお前がラジオで解決した事件から着想を得た小説のアイデアが編集部会議で褒められたらしい! 気分がいいからとうちにお礼を送ってくれたのさ!」
「お礼? あの人ってそんな律儀だっけ?」
こちらから訪ねればいつでも歓迎はしてくれるがそれくらいだ。大体その辺りのコミュニケーションがしっかりしていたら変人なんて呼ばれないような。
「ていうかずっと気になってたんだけど、先生と父さんはどうしてそんな仲が良いの?」
知り合ってからはわざとな気もするが、初対面の時だって”神坂の子供” 呼ばわりだ。当時も理由を聞きたかったが中学に入るか入らないかの時機ならまだ俺が一魅の存在を証明しようと暴れていた時期でもある。親に事情を聞くなんて選択肢は存在しなかった。
「仇華先生はな、先祖がこの地に住んでたらしい。そこでうちの先祖に何か恩を受けたらしく、それが口伝で代々伝わっているから恩返しをするのだと。まあそんなのは建前でこの地に居づらくならないように味方を作りたかっただけかもしれないけどな!」
「先生の本名は知ってるの?」
「いや、彼の本名は旅館の人も知らない筈だ。俺も気になってないから聞こうとも思わない。ペンネームってその為にあるんだろ?」
「絶対違う。本名を知ってたら役場に確認出来るじゃないか。先祖が本当に住んでたかどうか」
「だーかーら、俺は気になってないんだ。本当の名前かどうかなんてどうでもいい、大切なのはその人がどう呼ばれたがってるかだからな。母さんなんて交際中は”アイミン”って呼んでほしいとか言ってたんだぞ」
アイミン…………。
アイミン……?
ああ、愛実か。
「そういう物なんだね」
「先生は違うだろうけどな! そこまで本名が気になるなら本人に聞けばいい。守命になら教えてくれそうじゃないか?」




