好きこそ盲目の点眼薬
あれは俺がまだ物事の道理を分かっていない頃の話だ。どうにかして一魅の存在を認めさせようと様々な手段を試した。両親に無理を言って霊能力者を連れてきてもらったり、無数にカメラを設置してどれか一つにでも姿が映ればと期待したり、みんなにあちこち手を動かしてもらって触ろうとしてもらったり。そのような無茶をしたせいで度々事の収拾を警察に任せなくてはいけなくなる時があって、理解のある友人以外から心無い噂を流されているのはそのせいだ。どんな理由や状況であれ警察に介入されるのはこの町において恥で……彼らは恥をかかされたと感じている。俺が女子を無条件に嫌いなんて事実はないのに……花影が交際相手になった際、そういう噂を流す奴はさぞ面白くなかっただろう。
「別に、あの件で誰かを憎みたい訳じゃない。私が見えないのは誰の責任でもないし、ましてキミの責任である筈などない。ただワタシのせいでキミをあれ以上困らせるのは……特に今回なんて正にそうなりそうよ? 生徒手帳を律儀に返してその中身だけを持っていても信用勝負を制する自信はある? 決して、手伝ってあげられないよ」
「……そう言われると、そうか。じゃあ持ってようかな。花影に聞いてからでも遅くないよな。まあ知ってるとも限らない訳だが」
とはいえ一魅を除くと唯一×をつけられている人間だ。知っているかはともかく心当たりくらいは問い詰めたら挙がりそうなものである。部活終わりまで待って聞くのが一番手っ取り早いが……水泳部の活動がいつになったら終わるかなんて想像もつかない。なんせ所属している部活が深夜活動を前提とする異常な部活である。
「ねえ、その手帳もう一回見せてくれない?」
「ん? 思い当たる節でもあったか?」
「手前の相川って人と美河って人はC組の人じゃない? 透明人間の件で名前を呼んだような気も……そう、花影さんと同じクラスに同じ苗字があった筈。珍しい苗字でもないから勿論他のクラスの可能性もあるけどちょっと移動してみない? ✓の入ってる人とそうでない人の違いがもしかしたら……分かるかもよ」
その二人の私物を見て判断というのもサンプルが少なくてどうかと思うが、これだけ女子の名前が記載されているなら他のC組女子だっている可能性がある。どうせ花影が帰る頃まで暇ならやる価値はありそうだ。
手帳は一魅に渡しておけば完全に隔離出来る(原理は不明だが一魅の所有物も完全に見えなくなる。制服を着ているが制服も一緒に見えなくなっているだろう)。これでもし持ち主が超能力的直感で俺を探し出してきてもシラを切り通せる。もしものトラブルへの備えは十分、少し後ろめたい気持ちを抱えながらC組へ移動する。名簿を確認すれば全てが明らかだ。
「……同じ苗字どころかまんま同じだな。となるとこれはC組の……いや違うな。お前はそもそも入学してない」
「……そうだけど制服は着てるんだから気分に水を差さないでよ」
「でも持ち主の敷茂昭についてはこのクラスには居ないみたいだ。他のクラスかな」
「私が見てくるよ。キミは……ここで相川さんや美河さんの机でも漁れば?」
「なんかやだなそれ。子供の頃女子のリコーダー探してる奴居たっけな、あれは未遂だったけど同類だと勘違いされたら困るよ。昔の俺だったら異常者だからで済んだかもだけど、暫くは花影にも迷惑がかかるしな」
「彼女の事、随分気にしてるのね」
「嘘で彼女って事にしたからな。自然消滅の形が整うまで気にするよそりゃ。俺の悪評は自然消滅してからの方がいい、そうしたら花影にも『ああだから別れたんだな』って暗黙の納得が集まるだろ」
「………………」
一魅は何か言いたげに口元で言葉を含んだが、遂にその言葉を発する事はなく、そのまま廊下へと出て行った。俺のやり方に納得が行かないのかもしれないが仮にそうだったとして一魅にはどうする事も出来ない。俺自身、どうにかしてほしいとも思っていない。悪評なんて今更だ。強いて言えばこうして彼女の心を痛める要因になってしまうのがいつも気がかりというくらいで。
「……」
関係性の薄い女子に一度キレられたくらいでここまで引きずっている事が不思議と思う人間もいるだろう、俺だってそうだ。自分でも忘れて前を向けよと思っているが身体からあの声が、一言が消えてなくならない。言った本人は多分忘れているというのに。
窓からプールを一瞥すると、花影は水分補給か何かでベンチに座っている所だった。距離はかなりあるが彼女は俺の視線に気が付くと、水筒に口をつけつつピースサインをこちらに向けてきた。呑気な奴だ。覗きとは思わないらしい。それともあれか、二人きりの秘密のサインみたいな物に憧れるタイプか。なら案外、趣味は合っているかもしれない。俺もそういうの大好きだ。
「ねえちょっと。大変な事が分かっちゃったんだけど」
「ん? やけに早いな、もう全クラス見てきたのか?」
「調べるだけならそう時間はかからないわ。ただ聞いて、敷茂昭についてだけど……」
「ん?」
「二年生にも居ないの」
「敷茂昭……何処でその名前を聞いたの?」
部活終わりに花影をプール前で待っていると彼女は友人達から離れ、俺の傍へとやってきた。こういう光景を傍から見たら交際関係にしか見えないのだろう。殆どその場の勢いで恋人の演技をやろうとして……手が出たところで動きが止まった。覚えていてくれて嬉しい。
「二年生のクラスを見て回ったら何処にも名前がなかったけど、知り合いか?」
「そりゃそうだよ、三年の先輩だし。ていうか、わ、私が告白しようとした人だよっ? あれ、あの時名前言ったんだっけ? 覚えてないな……」
「名前は言ってないな。えっと……流れを整理しようか。あの件とは無関係にお前の交際は長続きしない。理由はお前の兄が自分よりいい男じゃないと駄目だって別れさせてくるからだっけ?」
「うん、そうだよ。あ、アンタとの関係については一先ず大丈夫! あの神社行ったからかな、なんか様子を聞いてくる事もなくて最近はすっごく気楽なんだ!」
「それなら安心だな。それでその……敷茂昭ってどんな人間なんだ?」
「どんなって……想像つかないの? 鬱陶しいお兄ちゃんの口を黙らせようと思ったら適任ってくらい良い人だよ? 成績もいいし運動神経もいいし、評価って事なら文句ない先輩! 彼女が居た時期がないらしいから、透明人間の話も考えると何で生き残ってるか不思議なくらいだよね。色んな意味で」
「実際のところ、その人の事は好きなのか?」
「え…………?」
何でか、意外な顔をされてしまう。ひょっとして『兄』という時限爆弾を意識するあまり感情と論理の矛盾に気がつけなかったのかもしれない。
「花影。恋人がだらしないと兄に別れさせられるから交際が長続きしないって話だったよな。だから敷茂昭を恋人にすれば問題ないと思ったっていう流れ……本当にその先輩の事が好きで言ってるのか? 俺には兄のダル絡みが鬱陶しいからそれをやめさせる為に恋人になろうとしてたみたいに聞こえるんだけど」
「………………」
普段の快活な彼女は何処へやら、その表情は陰り困ったように眉を顰めて首をかしげていた。核心を突いた覚えもないのだが酷く動揺し、瞬きが不自然に増えている。頭を抱え、俺の視線から表情を隠した。
「ど、どっちなんだろ……え、ええっとね。待って。いい人……なんだけど……どうかな―――好き、うーん。好き……好き?」
「絡みはあるのか?」
「昼休みに歩いてたりすると声をかけられるんだよね。ほら、購買の行きとか帰りとか。それくらいはあるけど……ねえ、それがどうかしたの? やけに先輩の事聞くじゃん」
「……誰にも言わないでもらえると嬉しいんだけど、実はそこの草むらにこんな物が落ちてたんだ」
そう言って、ついさっき返してもらった敷茂の生徒手帳を彼女に渡す。花影は一通りページを見てやはり難しい表情を浮かべた。
「これ、先輩の生徒手帳だよね? 私の名前……ていうか一魅ちゃんの名前もある。どういう意味?」
「そっちに心当たりがないなら俺にも分からないな。一魅にも聞いたけどさっぱりだった。告白してきた順番……なんてのはあり得ないぞ。アイツは機材を通さなきゃ声も届けられないんだから」
「あ、待って。心当たりじゃないけど……実はアンタに演技をしてもらおうって思ったのは理由があってさ。勿論お兄ちゃんの件もあるんだけど……」
花影が見せてきたのはこれまた普段使いされているSNSとは違うアプリだ。仲のいい女子達は繋がっているらしく、彼女のタイムラインに流れている画像にはどれも彼氏の姿が映りこんでいる。
「美河さんと相川さんの写真……ほら。他の写真も度々仲良さそうで。こんなの見せられたらさ、アンタのせいで告白失敗した時点で私の勝ち目がなさそうだったじゃん。だから―――頼ったんだ」
「二人と付き合ってるって言いたいのか? いや違うな、誰にでも良い顔をする八方美人な先輩って事か」
「…………その、もっと写真をよく見てくれない? これ鍵垢だから表立っては出てないとはいえちょっと……」
「ん?」
ぱっと見で判断するのは不十分らしく、催促されてもう一度細部まで写真を見つめる。それで彼女が言いたい事に気づけた。
相川は憧れの先輩と肩を組んでいるが、回された手で反対側の胸を鷲掴みにされている。
美河もまた少しシチュエーションが違うだけで概ね肩組みからピースサインでツーショットをしているが、身体に近い方の手が背後に回り、スカートを捲ってお尻を触っている。
「ま、マジかよ……悪い。人の趣味に口出したくないけど、お前はこんな奴を好きになったのか?」
「違う! 先輩はこんな人じゃない! なんか……えっと……なんか、違う! 気にならなかったの!」
「これは気にしろよ! 付き合ってるにしても攻めた写真だし、付き合ってないなら変態だぞこれ。よくこんな奴好きになったな」
「う、気にならないもんは気にならなかったんだから仕方ないでしょ! 神社に行った日から急に……目につくようになっただけなんだからっ」




