鬼子の瞳に戯れウツル
「………………今、何時だ?」
夕方に眠って夜食もとらなかったのが寝覚めを悪くしたのだろうか。いや、それなら両親も俺を起こしてくれなかった良かったものを。息子の部活が特殊過ぎて気が回らなかったと言われたら返す言葉もないが、それにしたって妙だ。この違和感は言語化出来る気がしないが、おかしいというのは分かる。
時刻は一時三〇分。放送まで残り三〇分。遅れは多分許されない。それは色々な意味で…………透明人間達を助けられるかもしれないならばその機会を逃すべきではない。
「え、あっ」
それで判明した。この違和感の正体と……言語化が不可能な理由。俺の頭の中から透明になった人間がすっぽり抜け落ちているからだ。名前も、見た目もハッキリしない。誰かが記憶の中に侵入して塗り潰したようにぼやけている。それだけじゃない、情報提供をしてくれたあの子の名前も忘れた!
慌てて携帯からSNSのアカウントを確認するも名前が適当な文字列に書き換えられている。クラスメイトだった筈の男子もそうだ、二人共名前が適当な文字列にあてがわれて……これじゃ名前が分からない!
「うわ、うわあああ!」
自分でも何故部屋の電気を点けようと思ったのかは分からなかった、ただ狭く四角い画面の中に映る現実を否定したくて―――電気を点ければ夢は終わるとでも考えたのだろう。幾ら待っても変わらなかったし、ブルーライトに照らされる現状をそろそろ直視しないといけない。
―――不在着信?
一魅から、七件もかかってきている。二〇時から不定期に連続してかけられてきており、最後の電話は一〇分前だ。すぐにかけ直すと、電話は三コールもしない内に繋がった。
『守命クン。ワタシが何度電話をかけたと思ってるの。貴方まで餌食になったかと思ったじゃない』
『餌食? 何の話だ?』
『……そう、知らないのね。それとも見えてないだけかしら。手短に言うと、私には透明人間が見えるようになった。彼らは正気を失っている様子で花影さんを探しているわ。早く来て、時間の無駄になるかもしれないけど……助ける方法を実践するから』
『はな……かげ? …………もしかして、透明になった人の名前か?』
『―――成程ね。ワタシは本当に透明だから忘れずに済んだのかしら。まあ、分かっていたけどね。ワタシは彼らに一方的に干渉出来るのに彼らは何をやってもワタシの存在に気づかないみたいだし』
『何で急に見えるようになったんだ?』
『ワタシに聞かれても……』
そりゃそうだ。
一魅は脈絡もなく俺以外に見えないだけでそれ以外は普通の人間だ。壁はすり抜けられないし遠隔で物は動かせないし、動き回ればその内スタミナが切れる。ただ周囲から目撃されないだけの一般人に理屈なんて聞く方が間違っている。
『とにかく、もうじき放送が始まるから来て。迎えには行けないから』
『そこまでしてもらわなくたっていいよ! 怖いけど……初日だって俺は一人で行ったんだし! でも何で二〇時から電話かけてきたんだ? もし最初のコールに出てたら放送時間も全然差し迫ってないしで意味わからないぞ』
『……相談したい事があっただけ。もういいから。じゃあね』
何か、損をした気分だ。しかし仮眠を取らないと深夜の活動なんてとても意識が持たないのも事実……仮眠というか過眠を疑うレベルの睡眠時間だが、それはどうかツッコまないでほしい。
まだ起きて間もないせいか空腹を感じられない。初日の荷物を手に玄関まで降りると、鍵を開けようと思ったところで得体のしれない圧力を扉の先に感じた。
「………………」
初日の恐怖とは暗闇がもたらす静寂、或いは一切の気配が寝静まる虚無によるものだった。今、感じる恐怖は全くの逆……そこに何か居るという確信。こういう不安は子供の頃も度々感じたが、そういう時はいつも一魅が代わりに確認してくれた。そして何も居ないと言ってくれた途端に不安は跡形もなく消えたのだ。実際そこに何か居た経験こそないものの、俺はこの直感を信じている。
鍵を開けるのはやめて、リビングの窓から出る事にした。外に出られるなら同じ事だ。結局返ってきた時に戸締りするのだから何処から出るなんて些細な話、どうせ両親は眠っている。外に出る方法が違うだけなのだが、自分が泥棒になった気分を暫し味わう。めぼしい物は盗んだからここはずらかろうとでも言うつもりか。
「…………えっ」
家の裏手から草むらの中に入って表に回ると、そこには見覚えのない学生数人が俺の玄関を囲むように佇んでいたのだ。俺が直感を信じず扉から出ていたら忽ち捕まっていただろう。
直感が正しかった事の安堵と意味の分からなさ、そして同じ学生服を着ているのにさっぱり該当人物の思い当たらない恐怖が同時にやってきて身体が硬直してしまう。「………………今、何時だ?」
夕方に眠って夜食もとらなかったのが寝覚めを悪くしたのだろうか。いや、それなら両親も俺を起こしてくれなかった良かったものを。息子の部活が特殊過ぎて気が回らなかったと言われたら返す言葉もないが、それにしたって妙だ。この違和感は言語化出来る気がしないが、おかしいというのは分かる。
時刻は一時三〇分。放送まで残り三〇分。遅れは多分許されない。それは色々な意味で…………透明人間達を助けられるかもしれないならばその機会を逃すべきではない。
「え、あっ」
それで判明した。この違和感の正体と……言語化が不可能な理由。俺の頭の中から透明になった人間がすっぽり抜け落ちているからだ。名前も、見た目もハッキリしない。誰かが記憶の中に侵入して塗り潰したようにぼやけている。それだけじゃない、情報提供をしてくれたあの子の名前も忘れた!
慌てて携帯からSNSのアカウントを確認するも名前が適当な文字列に書き換えられている。クラスメイトだった筈の男子もそうだ、二人共名前が適当な文字列にあてがわれて……これじゃ名前が分からない!
「うわ、うわあああ!」
自分でも何故部屋の電気を点けようと思ったのかは分からなかった、ただ狭く四角い画面の中に映る現実を否定したくて―――電気を点ければ夢は終わるとでも考えたのだろう。幾ら待っても変わらなかったし、ブルーライトに照らされる現状をそろそろ直視しないといけない。
―――不在着信?
一魅から、七件もかかってきている。二〇時から不定期に連続してかけられてきており、最後の電話は一〇分前だ。すぐにかけ直すと、電話は三コールもしない内に繋がった。
『守命クン。ワタシが何度電話をかけたと思ってるの。貴方まで餌食になったかと思ったじゃない』
『餌食? 何の話だ?』
『……そう、知らないのね。それとも見えてないだけかしら。手短に言うと、私には透明人間が見えるようになった。彼らは正気を失っている様子で花影さんを探しているわ。早く来て、時間の無駄になるかもしれないけど……助ける方法を実践するから』
『はな……かげ? …………もしかして、透明になった人の名前か?』
『―――成程ね。ワタシは本当に透明だから忘れずに済んだのかしら。まあ、分かっていたけどね。ワタシは彼らに一方的に干渉出来るのに彼らは何をやってもワタシの存在に気づかないみたいだし』
『何で急に見えるようになったんだ?』
『ワタシに聞かれても……』
そりゃそうだ。
一魅は脈絡もなく俺以外に見えないだけでそれ以外は普通の人間だ。壁はすり抜けられないし遠隔で物は動かせないし、動き回ればその内スタミナが切れる。ただ周囲から目撃されないだけの一般人に理屈なんて聞く方が間違っている。
『とにかく、もうじき放送が始まるから来て。迎えには行けないから』
『そこまでしてもらわなくたっていいよ! 怖いけど……初日だって俺は一人で行ったんだし! でも何で二〇時から電話かけてきたんだ? もし最初のコールに出てたら放送時間も全然差し迫ってないしで意味わからないぞ』
『……相談したい事があっただけ。もういいから。じゃあね』
何か、損をした気分だ。しかし仮眠を取らないと深夜の活動なんてとても意識が持たないのも事実……仮眠というか過眠を疑うレベルの睡眠時間だが、それはどうかツッコまないでほしい。
まだ起きて間もないせいか空腹を感じられない。初日の荷物を手に玄関まで降りると、鍵を開けようと思ったところで得体のしれない圧力を扉の先に感じた。
「………………」
初日の恐怖とは暗闇がもたらす静寂、或いは一切の気配が寝静まる虚無によるものだった。今、感じる恐怖は全くの逆……そこに何か居るという確信。こういう不安は子供の頃も度々感じたが、そういう時はいつも一魅が代わりに確認してくれた。そして何も居ないと言ってくれた途端に不安は跡形もなく消えたのだ。実際そこに何か居た経験こそないものの、俺はこの直感を信じている。
鍵を開けるのはやめて、リビングの窓から出る事にした。外に出られるなら同じ事だ。結局返ってきた時に戸締りするのだから何処から出るなんて些細な話、どうせ両親は眠っている。外に出る方法が違うだけなのだが、自分が泥棒になった気分を暫し味わう。めぼしい物は盗んだからここはずらかろうとでも言うつもりか。
「…………えっ」
家の裏手から草むらの中に入って表に回ると、そこには見覚えのない学生数人が俺の玄関を囲むように佇んでいたのだ。俺が直感を信じず扉から出ていたら忽ち捕まっていただろう。
直感が正しかった事の安堵と意味の分からなさ、そして同じ学生服を着ているのにさっぱり該当人物の思い当たらない恐怖が同時にやってきて身体が硬直してしまう。
違うクラスの人間でもそもそも学年が違っても、俺の家に集まる理由なんて全くない。幾ら学生服を着て身分が保証されていても紛れもない不審者だ。話し合う気になれない。手にそれぞれ木製バットを持っている時点で無理だ。あれで危害を加える気がないなんて言われても信用できない。
―――何が起きてるんだ?
少し様子を見ているが、三人は銅像のようにじっとして立ち去る気配がない。どうしたものか。時刻を確認したいがこんなところで携帯なんて開いたらたとえ明るさが最低でも目立つだろう。かといってこのまま隠れているのも駄目だ、それじゃあ学校に向かえない。どこかで覚悟を決める必要がある。
「…………」
わざと大きな物音を立てて飛び出すと、三人は銅像の様に静かだったのが嘘のようにこちらを向いた。彼らの視線が俺に集まるのに合わせ、懐中電灯を起動させる。
「―――っ!」
やはりそうだ、上手く行った。扉をすり抜ければいいのにそうしないという事は、彼等もまた一魅と同様に見えないだけでその他の性質は物理法則に基づいている。あんな暗闇に長時間佇んでいたら当然、強力な光源を目にした時の視界は保証されない。
「ざまあみろ!」
懐中電灯を切って学校まで走り出す。光源が街灯頼りなのは辛いし何なら途中から街灯自体なくなるが、透明人間が他にも居ないという確証がない以上は目立つような真似が出来ない。と言っても、あそこで俺を出待ちしていた奴等は最終目的地が学校な事くらい分かっている筈だ。出待ちされたら……それこそ一魅に連絡するしかない。中から窓の鍵を開けてもらおう。
荷物を持って走りにくいにもかかわらず不思議と息は切れなかった。息が切れたら終わりだからという危機感のせいだ、背後からはまだ距離があるにせよ足音がしっかり追跡してくる。その内の一人がかなり速いのは陸上部だからだろう。幾ら足に自信があると言っても専門的に努める学生に敵う気はしない。ただでさえ差が縮まっている状況、足が止まったら駄目なのだ。
「あけあけあけあけあけあけあけあけあけあけ!」
校舎の時計曰く、午前一時五三分。
鍵を開けるなんて何でもない行動が今はこんなにも時間がかかる。力を入れすぎ? 回す方向が逆? 足音が校門を通り過ぎたくらいでようやく鍵が開き、勢いのままに昇降口を抜けた。ここまで来たら上履きに履き替える時間もなければ鍵を閉め直す時間もない。彼らの侵入を許してでも部室に向かわなければ。
「一魅ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
来訪を知らせる声を上げる。迎えに来てほしい訳じゃない、ただ放送の準備を始めてほしいだけだ。下の方から足音が迫ってくる。誰一人足音を隠す気がない。部室に行けば行き止まりだが、そこの鍵は閉められる。放送の邪魔は出来ない。
「一魅!」
部室の扉は開いていた。飛び込むや否や扉を閉めて鍵をかけると、奥から心配そうな表情で一魅がかけつけてきた。
「一魅! 放送始めるぞ!」
「透明人間に追われてるのね?」
「何で分かるんだ!? …………って、え?」
彼女の手には、金属バットが握られている。
「キミとの時間を邪魔されたくない。という訳でそこどいて。片付けないと」




