第13話 公爵令息、重度の婚約者至上主義
夜会から数日後。
学園の空気は、完全に変わっていた。
「おはようございます、エリシア様!」
「昨日の講義資料、ありがとうございました!」
「そのリボン、とてもお似合いですわ!」
次々とかけられる声に、エリシアは未だ慣れない様子で小さく頭を下げる。
以前と同じ廊下。
同じ制服。
同じ朝。
なのに世界だけが違っていた。
悪役令嬢。
そう呼ばれていた影は、跡形もなく消えていた。
夜会での一件は、瞬く間に社交界へ広まり――そして歪んで伝わった。
曰く。
公爵令息が夜会の中心で婚約者への愛を宣言した。
曰く。
第二王子すら沈黙させた。
曰く。
あれは断罪ではなく求婚だった。
……ほぼ事実である。
「……どうしてこうなったのでしょう」
小さく呟くと、隣から落ち着いた声が返る。
「事実が正しく認識されただけだ」
レオンハルトだった。
当然のように隣を歩いている。
当然のように距離が近い。
そして当然のように視線を集めている。
(近いです……!)
心の中で叫びながらも、エリシアは言えない。
なぜなら。
彼は以前と何も変わっていないからだ。
「王子殿下から正式な謝罪も届いたし、問題は解決したな」
「……はい」
数日前。
第二王子アルフォンスは学園を訪れ、正式に謝罪した。
噂を鵜呑みにしたこと。
調査が遅れたこと。
公開の場で疑念を向けたこと。
すべてを認め、頭を下げたのだ。
「君は誤解されやすいだけだ」
そう苦笑して。
「そして彼は……少々、過保護すぎる」
ちらりとレオンハルトを見て言った言葉を思い出し、エリシアは顔が熱くなる。
「過保護ではない」
即座に否定が飛んできた。
「適切な配慮だ」
「聞こえていたのですか!?」
「あぁ」
真顔だった。
周囲の令嬢たちが小さく笑いをこぼす。
以前なら視線を恐れて俯いていたはずなのに、
今は不思議と逃げたいとは思わなかった。
その理由を、エリシアはもう理解し始めていた。
昼休み。
中庭のベンチに腰掛ける。
春の風が柔らかく吹き抜けた。
「……あの」
「あぁ」
レオンハルトは本を閉じ、すぐに視線を向ける。
その反応の速さに、また胸が騒ぐ。
「夜会の時のことなのですが」
「どの部分だろうか」
「……全部です」
正直な答えに、彼はわずかに笑った。
エリシアは指先を握りしめる。
「どうして、あそこまで……」
言葉が続かない。
だが彼は待った。
急かさず、ただ静かに。
「どうして、そんなに優しいのですか?」
ようやく出た問いだった。
レオンハルトは少しだけ考えるように視線を上げ――
そして、当然のことのように答えた。
「君だからだが?」
心臓が跳ねた。
あまりにも自然で、
迷いがなくて、
特別だと断言されている響きだった。
「私は昔から、君を選んでいる」
穏やかな声。
「これからも変わらない」
エリシアは言葉を失う。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
――ああ。
これが。
今まで名前を付けられなかった感情なのだと、初めて理解した。
視線を上げる。
彼がいる。
ずっと隣にいた人。
ずっと支えてくれた人。
「……私も」
小さく息を吸う。
「もっと、隣にいてもいいでしょうか」
一瞬、彼の目が見開かれた。
次の瞬間。
柔らかく、嬉しそうに細められる。
「それは願ってもないことだ」
春風が吹き抜ける。
遠くで鐘が鳴った。
そしてその日、学園に新しい噂が生まれた。
曰く。
公爵令息レオンハルト・グランディール。
――重度の婚約者至上主義。
なお本人は否定していない。
むしろ誇らしげらしい。
そんな噂と共に。
二人の日常は、穏やかに続いていく。
――終。




