89.山中にて②
私と幼い少女の姿をした神は潮儿山を登っていた。
日が暮れ始め、周囲の木々が不気味にざわめく。
葉が風により擦れる音が耳に残る。
だがそれも、気が付けば無くなっていた。
自然に発せられていた音、その全てが何処かへと行ってしまったのだ。
これは合図である。私達が妖怪の出る妖の狭間へ転送されたという。
「妖の狭間に来ましたね…。」
ひんやりとした空気に耐えられず、隣の神へと話しかける。
「あぁ。……いよいよじゃ。」
「いよいよって…。じゃあ、この先に妖の狭間をおかしくする原因が?」
「…………そうとも言える。が、そうでないとも言える。」
彼女はやはり曖昧な言葉で答えを濁していた。よほど言いにくいことが、真実が、この先に待っているのかもしれない。
少し心細くなる。
こんなことならば、千里くんや純麗ちゃんについてきてもらえば良かったかもしれない。
「ひとつ、言っておこう。」
「は、はい。」
温度の感じさせぬ声音で説明を続ける。
「これからお主が会うのは神じゃ。じゃが、妾のような人に近しい神ではない。……言うなれば妖怪に近しい。」
目前の神以外にも、神という存在がいることに驚く。
考えてみれば当然ではあるかもしれないが、神と名のつく存在は私が思うよりも多いのだろう。
自然と背筋を伸ばす。
「妖怪に近いってことは、お話しは難しいですか。」
「いいや。話は出来るだろう。…じゃが、期待はするな。」
立ち止まった彼女の顔は憂鬱な感情で満ちていた。
そんな顔を見てしまえば、確かに彼女は人に近い神なのだと実感してしまう。
「この辺りかの。妾はあやつには会えぬ。じゃからお主ひとりで進め。真っ直ぐじゃぞ。」
「は、はい。……ありがとうございます。」
お辞儀をして、先を急ごうとする。
夜が深まる前に、事を済ませたかった。
「カエデ。」
ふと、後ろから神の声がする。
初めて名前を呼ばれた。
そのことに驚きつつ、振り向こうとしたが、後ろにある服の裾を引っ張られてしまい叶わなかった。
「………健闘を、祈る。」
すぐ真後ろから沈み込むような声がした。
不安か、後悔か、その声の起因するところは分からない。だが、今、悲しんでほしくはなかった。いつものように、偉そうにふんぞり返っていてほしかった。
自然と、そう思った。
だから私は、自分でも可笑しくなるほど明るい声を出す。
「大丈夫ですよ。心配しなくても、ちゃんと帰ってきます。もちろん、五体満足でね。」
「…………そうか。」
「帰ったらまたお祭り行きます?もうすぐ雪まつりがありますし。それで、屋台でも回りましょう。」
思えば、2人で回った初詣は新鮮さも相まって中々楽しかった。
「あぁ。そうじゃな。お主の奢りで豪遊といこう。」
「お、奢りですか…!?神社のお賽銭とか使ってくださいよ!」
「馬鹿者。あれは神主が管理しておる。妾がかすめるわけなかろう。」
「神様なのに……。」
下らない話のおかげで、冷え切りそうな手先がほんのり温まる。
気のせいであろうと、それは前進のための勇気になる。
「ま、まぁいいや。…………それじゃあ、行ってきます!」
「…………………あぁ。」
遂に振り返ることはなく、別れの挨拶をした。
最後まで彼女の顔は分からずとも、それでも私を案じてくれていることは分かった。その事実さえ判明したのならば、充分だ。
待ってくれている人がいる幸せ者なのだと実感して、更に山奥へと進む。




