78-6.想いぶつかり
山吹楓の前には赤黒い肉塊となった荒井がいた。
意思があるのかないのか定かではないほど、不気味に蠢く彼を前に楓は拳を握る。
「荒井くん!こっちだよ!!」
呼応した肉塊は楓を認識したように、動きを止める。
かと思えば、手にも思える小さな突起が震えた。炎が来る合図だ。
楓は咄嗟に背を向け、走る。
彼女の役割は陽動だ。純麗が妖力を溜めきるまで、荒井の意識を此方へ向けなければならない。
「っ!」
頬に熱と痛みがやって来る。
間一髪、後ろから飛んできた炎を避けられたようだ。
しかし、荒井の攻撃は一撃では終わらない。
空気が燃え、火の粉が舞う音がした。攻撃が再びやって来る。
「荒井くん!私のこと、分かる!?」
息を上がらせながらも、呼びかけた。
返答はない。それでも続ける。
「荒井くんは、お母さんに幸せになってほしいって、言ってたけど……!」
ちらりと後ろを見た。あいも変わらず、彼の姿は赤黒いグロテスクな肉塊だ。
だが、それは楓の大切な友人、荒井に他ならない。
「でも…!私は、荒井くんにも、幸せになって欲しいよ!!」
彼女は思い返す。
素直でなく、口は悪く。それでも、確かに荒井には人並み以上の優しさがあった。温かさがあった。
そんな彼に惹かれた。故に、彼が忘れ去られて朽ちていくのは嫌だった。
「だって、荒井くんは、私にとって大切な人だから!」
言葉をぼかし、心の内すべてを明かすことは出来なかった。
しかし、楓の紛れもない本心だ。
「かえでっち!チャージかんりょーしたよ!」
そうこうしていると、少し遠くから純麗の声がした。
瞬間、声の方向から青い炎が広がっていく。
「あらいっち!うちにとっても、きみは大切なおとーとなんだから!だから!早く戻ってきなよ!!」
純麗と荒井は半分しか血の繋がりがない。だが、姉弟であることは確かだ。
十数年、弟の存在を知らなかった純麗は、彼とどう接すべきか未だ測りかねている。
しかしそれは、今、荒井を見捨てる理由にはならない。
「戻ったら、おねーちゃんらしくご飯でも奢ってあげるからさ!」
青い炎が赤い炎を包む。
渦巻くように赤を内包した蒼炎は、くるくるとその場で回りが回り、徐々に勢いを弱めていく。
「…………荒井くん…。」
「あらいっち……。」
楓達が見守る中、弱まっていった炎が遂に風邪の流れとともに消え去る。
炎のヴェールが開けた先には、変わらず肉塊が佇んでいた。
が、そこには僅かな変化が。
「…………ぼ、く……は……。」
肉塊の奥。そこから、確かに人であった荒井の口や瞳がほんの少し見えたのだ。
「!」
2人は駆け寄ろうと走る。
その間にも、浮き出た唇が言葉を紡ぐ。
「ぼくが、いて、も……。」
当然、楓達はそれを否定しようとした。
だがその前に、つよい否定が空間に響く。
「違うわ!!」
その声は楓のものでも、純麗のものでもなかった。
他でもない、荒井の母親である千耶のものだ。
「かあ……さん……。」
千耶は荒井に近付き、肉塊へ手を伸ばす。
「千里!私、私、貴方を分かってあげれないって、勝手にそう思ってた!貴方とどう接すればいいか、分からなかった!」
その手はベタつく肉を掻き分けていく。まるで、内部に沈む荒井を掬わんとするために。
「だから、貴方がこんなに悩んでいることも、気付けなくて!」
自身の過ちを涙声ながらも告げる。
それと同時に、己を許せなくなった。
今、本当に涙を流したいのは千耶なとではない。
本来であれば、父のいない家庭が機能していない荒井千里こそ涙を流し感情をあらわにすべきなのだ。
それが叶わないのは、千耶の責任。母親として、向き合うことを逃げていた彼女の罪だ。
「ごめんなさい!ねぇ!千里!私、貴方が居ないだなんて嫌よ!貴方が私の幸せを願ってくれるのと同じくらい、いえ、それ以上!貴方に幸せになって欲しいのよ!」
爪には不気味な肉の端切れがこびりつく。
内にまで入り込んだソレは不愉快で仕方がないはずだが、今の千耶にはどうだっていい。
「だから、だから、帰りましょう!千里!!」
掘り進める先、何かが彼女の指先を掠めた。
確認するでもない。触れたのは我が子の腕だ。
確信を得た千耶は指に力を込めて、目一杯掴んだものを引き上げる。
「千里!!」
「か、あさん、」
肉塊から荒井千里を引っ張り出す。
名を呼び、抱き寄せる。決して離れてしまわないように。二度と、息子を孤独に苦しませないように。
「千里!ごめんね!ごめんね…!」
「……………かあさん。……僕、一緒に居てもいいのかな。」
「良いに決まってるじゃない…!だって、貴方は私の大切な息子だもの!」
「…………………ぁ。」
声にならない声が千里の口から漏れた。嗚咽かどうかすら定かでは無い。
口がマトモに動かずとも、震えていても、千里は確かに抱き寄せられた千耶の背を抱き返す。
久しい母の温もりが広がる。
冷たい肉塊の中から救ってくれた母の体温が再び彼の身体へ熱を分け与えるのだった。




