70.卸したてコート
びゅうびゅう音を立てる風が身体を貫く。
12月にもなるとたかだか風が刃のような威力を放つ。
「うぅ…。寒い…。」
新品のコートを制服の上から着て、ホッカイロを持つ。
防寒対策はそこそこしているのだが、やはり寒いものは寒い。肩をすぼめて学校への道のりを歩く。
道行く人も同様に、身を縮こめたりポケットに手を突っ込んだりして冬の厳しさと戦っていた。
そんな中、不思議な人達が視界に入る。
「……………ねぇ。お願い。もう一回やり直さない…?」
縋るような女性。
なんだか修羅場のような気配だ。
普段ならば見ず知らずの人の情事など盗み聞きしようとは思わない。だが、男性のコートの裾を掴む女性が嫌に私の目を引いた。
「もう、限界なの。ひとりじゃ、寂しいのよ。」
対する男性はその手を払い除けてため息交じりに言う。
「ひとりって…お前はひとりじゃないだろ。千里がいるじゃないか。それに、俺にも家庭がある。やり直すだなんて馬鹿言うな。」
「…………………!」
千里。確かに男性はその名を口にした。
その名前に、覚えがあった。
荒井くんの名が千里なのだ。
だが、偶然かもしれない。それほど珍しい名というわけでもないのだから。
だというのに、鼓動が早まるのは、私の内で確信しているからだろう。きっとあの男性が口にした千里は荒井くんのことだと。
それを後押しするように、女性の顔を食い入るように見つめてしまう。
その人の顔は荒井くんにそっくりだったのだ。
上唇よりも少し厚い下唇。高くも低くもない鼻。そしてやや小さくまん丸い目。口を開かなければ物静かな印象が与えられる雰囲気を放っていた。
彼が女として生を受けたなら、あんな顔だったのだろう。
そんなことを思っていると、女性が震えながら唇を動かす。
「家庭って…岬ヶ崎さんの…!?でも、私の方が、きっと貴方を!」
「……………………は、」
全身の身体が抜ける。
次に出た名、というより姓は純麗ちゃんのものだった。
岬ヶ崎 純麗。私の大切な友人だ。
彼女の家がどうしたというのだ。
どうして、あの女性から、荒井くんの母親と思わしき人から、発せられるのだ。
警鈴のような耳鳴りに構わず、男性は声を荒げる。
「もう、いいだろ!それに今は俺も岬ヶ崎だ!もう荒井じゃない!いいから、放っておいてくれ!」
女性を振り払い、トレンチコートをひけらかしながら去っていく。
「………………。」
私はしばらくその場に立ち尽くした。
荒井くんと純麗ちゃんの家のことは踏み入れるべきではないかもしれない。
当人たちも分かっているのかどうかすら定かではない。
しかし。
こんな時でさえ、私は自分のことばかり考えてしまう。
もし、今、私が荒井くんへ好意を伝えたら彼は答えてくれるだろうか、と。
自身の父と母が別れ、離れ離れになって。それでもまだ、誰かから好きだなんだと言われ、受け入れてくれるのだろうか。
そんなはずはない。きっと、出来っこない。
コートの裾を掴む。
卸したてのコートは私の気持ちとは裏腹に、新品の純粋な生地が発する匂いを漂わせるのだった。




