第2話 賢者の石板(1)
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「甲殻人間が出現したって話でツェーネン王国が大騒ぎになってるらしいよ」
「ポルヴィフィル? 死と厄災を運んでくるとも、世界の終わりを告げるとも伝えられる怪物の?」
「そうそう」
深い谷の底で噂話に花を咲かせているのは犬顔の獣人たちだった。
金色の立髪、頭の上にピンと立つ耳、綿毛で覆われた顔には突き出た鼻口と青い双眼。ふたりとも紺色のシャツワンピを身につけ、川のすぐそばで作業をしていた。ひとりが澄んだ水をたらいに汲み上げ、もうひとりはスカートの裾を持ち上げて、たらいの中で足踏み洗濯を行なっている。
「でも、それって、ただのおとぎ話でしょ。夜更かししてる子供を寝かしつけるために親が脅すとき用の」
「ところが本当にいたんだなぁ。そりゃ!」
踏む時より蹴り上げる時の方が動きが大きいのは、たらいの周りを駆け回る幼い獣人に向けてのサービスらしい。飛んでくる水からキャッキャッと歓声を上げて、大喜びで逃げ回っている。そんなことをしているから、たらいに水を何度も注がなくてはならないのだ。
「寝てるといえば、あのヒト科の男の子!」
「心配だよね。ずっと眠ったままで⋯⋯なにか見ちゃったのかな」
しんみりとした雰囲気に転じたタイミングでふたりの耳がピクリと動いた。
はるか頭上、白い崖の上で黒い豆粒がぴょんぴょんと跳ねている。なにかを伝えようともがいているようだ。だが、その声は崖に反射し、拡散し、水音に阻まれて下まで届かないように思われた。
ふたりは驚いた様子で顔を見合わせる。
「目覚めたって言ってたよね!?」
「言ってた言ってた間違いない!!」
洗濯物とたらいをそのままに、脱兎の勢いで獣人たちは崖壁に空いた洞穴へと駆け込んだ。




