第1話 陰渓の森へ(10)
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「殺す⋯⋯あいつを、か?」
スレオニール自身も驚くほど掠れた声だった。口の中の水分が一気に蒸発したらしい。
「そう言っただろう。それともビビって耳まで遠くなっちまったか? だが安心しろ。あんたと同時に逝けるよう、子供にはたっぷりと時間をかけてなぶり殺しにしてやるからよ。オレの国じゃ親子が同時に逝くと魂の世界でも親子の絆は途切れないと謂れている。つまり、生まれ変わっても親と子でいられる可能性が高まるわけだ。添い遂げられぬ恋人たちが同時に命を断とうとするのも、来世に至るまで関係が途切れないよう願っているからだな。どうだい、実に慈悲深いと思わないか?」
「⋯⋯そうだな」
双眼が見開き、怒りの色が増す。
準備運動の男はその変化に気づいていないらしい。なおも弁舌を重ね、火種に大量の火薬を焚べてゆく。
「おいおい。賞賛にしては言葉が少なくないか? いいんだぜ、もっと褒め称えてくれても。『こんな仕事をしてるのに博識なんですね』とか『腕っぷしが強いのに頭も良いなんて憧れちゃいます』とかさ。いや、いいんだよ言わなくても。この程度の褒め言葉なんてもう聞き飽きてるだろうって指摘が事実なのも確かなんだからさ。しかしだね、なんというか、褒め称えられるのが嫌いってわけじゃないんだよなぁ。たとえ使い古された言葉であっても、そこに込められた想いが、こう胸を、自尊心を、充してくれるっていうかなんというか」
「言いたいことは以上だな」
「え? いやまだ」
「頭の悪い奴は話が長すぎる。ここからは俺の番だ」
話の腰を鯖折りにしたスレオニールが会話の主導権を強奪する。
「じっくりと時間をかけて、おまえら全員なぶり殺しにしてやろう」
スレオニールの口元が歪んだ。これから起きる残酷なショータイムを思い浮かべて嗤っているように。
「ほう⋯⋯面白い冗談を言う」
黒ずくめの自分語りで緩んだ空気が硬く引き締まり、緊張感が戻った。
「丸腰のおまえがどうやってオレらに勝つつもりだ?」
スレオニールの目が小さく笑う。
「とっておきを見せてやる。こいつは起動させると二度と元の姿に戻らず、身の破滅を招くと伝わるダークエルフの秘宝の一つだ。手に入れたはいいが使う機会がなかなか無くてな。はるか昔、俺はこの地に人間を招くという大罪を犯してしまった。多くの仲間を死に追いやるも、元凶である俺はのうのうと生き延びてやがる。いつか人間を皆殺しにして、その罪を償うつもりだったんだが、人間のふりをして暮らしていくうちに⋯⋯まったく困ったもんだよ。だが、やはり秘宝の力がどんなもんか気になるんでね、ここで試させてもらおうと思ったわけだ。やはり俺は己の好奇心には勝てないらしい」
「⋯⋯話が長い! やっぱおまえも頭が悪いんじゃねぇか!」
「ばれたか」
「気が削がれた。今日のところは見逃してやる。さっさと消えやがれ!」
「⋯⋯そうはいかない」
スレオニールが呟く。
「後顧の憂いは塵とて残さないのが俺の主義だ。悪いがおまえたちにはここで屍になってもらう」
「だから、丸腰野郎がどうやってオレらに」
黒ずくめの声が途切れた。変化するスレオニールの姿に目を奪われたのだ。
話の最中、スレオニールの右手がゆっくりと動き、左手首に添えられる。そして、右手の親指が橈骨動脈へとブレスレットを押し込んだ。プシュ、と炭酸の弾ける音がしたかと思うと、ブレスレットを彩っていた黄金色の液体がスレオニールの血管に沿って全身に広がり始める。それを追いかけるかのように皮膚が変質し、鈍い光沢を放つ黒くてゴツい甲殻が身体を覆ってゆく。
全身が漆黒へと変化するのに時間はさほど必要としなかった。その姿はまるで人の姿をした甲虫類。腕や足にはノコギリのような刃や棘がいくつも付いており、先端には鋭い鉤爪が光っている。禍々しいのは手足ばかりでなく、頭も同様である。目の上から庇のように突き出た部位が大きな二本のツノとなって突き立っていた。
闇を纏う不吉な姿であるが、不思議と神々しくも見えるのは淡く明滅する光の存在だろうか。元の身体に刻まれたタトゥーが、金色の光を放ちながら鼓動のように脈動しているのである。
完全に別の生物だった。
スレオニールとの共通点を言えば、彼と同じ数の四肢を持ち、同じ数の目が存在するという点のみ。鼻も口も長い髪ももはや確認できない。
「にっにっにっにげ!」
そう叫んだ黒ずくめの者が踵を持ち上げた瞬間、三枚おろしにされて崩れ落ちた。
その場にあるすべての目が、かつてスレオニールだった物体に注がれる。
物体は一歩も動いていなかった。逃げようとした人物に向かって腕を振り下ろしただけなのだ。にもかかわらず、遠くに立つ者が触れてもいない鉤爪によって見事に三等分されてしまった。
全員がその力に絶句する。
一番驚いていたのは、スレオニールと呼ばれし物体であった。
一方的な虐殺が始まった。
指の一本でも動かせば、たちまち死神が忍び寄り、哀れな愚者から命を削ぎ落とすのである。目の前で知り合いが次々と骨ミンチに変じても彼らは動かずにいられない。あれよあれよ、という間に八体分のミンチが地面に投げ出された。残るのはスレオニールの元部下であり、自信過剰なレイス。そして、ミスルを殺すため、走る準備をしていた話好きの黒ずくめだけである。
甲殻人間の目に感情の色は見られない。もはや完全に人であることを捨てた様子だった。
レイスはどさくさに紛れてどこかに身を隠しているのか、それとも逃げ出したのか。その姿は見えない。黒ずくめは気丈にもまだ立ち尽くしていた。
だが、すでに運命は決しているのだ。




