第1話 陰渓の森へ(9)
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城を出立したスレオニールとその養子ミスルは、短い旅程をじっくりと味わうかのように道を大きく迂回する。城郭内から外に出る機会のないミスルのため、ツェーネン王国周辺ガイドを請け負う気満々のスレオニールは意気揚々と見晴らしの良い断崖絶壁へとミスルを誘う。
「わぁー!」
口数が少ないミスルも目の前に広がる光景に思わず感嘆の声を上げた。
眼下に広がる奇岩地帯。白砂色の他に目立つ色はなく、抽象的な形状の彫刻ばかりが並べられた美術館の屋外展示のようだ。薄い雲を通って差し込む柔らかな陽光が彫刻の陰影を浮かび上がらせ、遠目には書道パフォーマンスさながらの力強さで巨大な白壁に古代文字を記した現代アート作品にも見える。
「ここがここ最近の俺の仕事場だ」
「へぇー」
ガイドの雑な解説にも感心してくれる客のリアクションに舌の回転も上がる。
「遠くにキラキラと輝く光が見えるだろう? あれがビス湖だ。この世界に生きる生命にとって大事な水源なんだが、ここのところ雨季が短くなって、もはやただの水たまりだ。下に見える奇岩地帯が昔はビス湖の底にあったんだぜ。信じられるか?」
「ここが水の底?」
「そう。俺たちが立ってるここは湖畔で、ここから先が全部湖だったんだ。向こうに森の木が外に伸びてる場所があるだろ。見えるか?」
「うん」
「昔はその木の向こう側に大きな滝もあった。今はもう涸れちまってるがな」
「ふぅーん」
「こういう話は好きか?」
「うん!」
好奇心に瞳をキラキラさせながら、ミスルは身を乗り出して下を覗き込んでいる。今にも飛び降りはしないかと気が気でないスレオニールは次の名所へと案内することにした。
「この先にカウハイド川がある。ツェーネン王国と神域を隔ててる川だ。今夜はそこで一泊することになりそうだが、早めに行って宝探しでもするか?」
「宝探し?」
「ああ。川の向こうは禁足地だから人も近寄らないだろ? 大昔にあの川で戦があったって話だし、その時に誰かが落とした宝物や珍しい物がまだ残ってるかもしれない」
「ダメだよ! 落とし物なら落とした人にちゃんと届けてあげなくちゃ!」
「お、おう⋯⋯そうだな」
スレオニールは手をミスルの頭に乗せ、くしゃくしゃに掻き撫でる。「わっ!」と声を上げ、驚きの表情でスレオニールの顔を見つめるミスル。瞳に映る破顔一笑に絆され、ミスルもまた笑顔になるのだった。
「良い子にはご褒美をあげなくちゃな」
スレオニールは手首、足首を飾っていたアクセサリーを外してミスルへと渡す。
「⋯⋯?」
「こいつはただの装身具じゃないぞ。肌身離さず持っていれば必ずおまえの助けとなるお守りだ。大事にしてくれ」
これでスレオニールの身体に残ったのは一対のリングピアスと小さな石を連ねたビーズネックレス、そして左手首の黄金に輝くブレスレットだけとなった。
「あと、万が一に備えてこれも預けておく」
金子と勅書の入った頭陀袋をマントの下から取り出し、ミスルの首に掛ける。そして再度、愛おしそうに頭を撫でた。
「すまない、野暮用ができちまった。必ず追いつくから森へは先に向かっててくれるか?」
言い終わる寸前に第三の声が被せてくる。
「⋯⋯いいっスねぇ、宝探し。我々もご一緒してよろしいっスかァ?」
黒い砂避けストールで顔を覆い隠しているが、それが誰なのかスレオニールにはお見通しらしい。小柄な体躯。性別や年齢の判断が難しい高い声。岩石軍団お披露目の際、スレオニールの隣にいたあの男である。名前はレイス。氏名に一族名が追加されていないため、未成年者だとわかる。
一族名とは一族の男子が継ぐ家名のことだ。スレオニールを例に挙げると、幼名はスレイと推測できる。成人を迎えると同時に家名であるオニールが名前に追加され、スレオニールとなるのだ。これは家督を相続した長男だけでなく、次男三男四男五男から、その家で育った養子にも適用される。もちろんスレオニールの場合は偽名なのだが。
レイスの背後には同じ格好をした者が十人ばかり居並んでいた。黒いマントの隙間からこれ見よがしに柄頭を露出させており、悪党の雰囲気を醸し出している。
「おまえたちが追って来てんのは足音でわかっていた。俺たちが道を外れたせいで混乱を生じたこともな」
「さっすが! 千里先の音も聞こえるってホントだったんスねぇ」
嘲笑の成分を多分に含んだ声で賛辞を送る。相手を怒らせ、感情的にさせることで戦闘技能をリセットさせるつもりなのだ。
「残念だが」
スレオニールはわざとらしく言葉を区切った。
「その手が通用するのは、戦闘訓練を受けて日が浅く、自分が強いと勘違いできてるヒヨッコだけだ。例えるなら、今のおまえがそれだな」
「にゃにおう!!」
わかりやすく憤怒の声で気色ばむ。
「そんなに己の力量を知りたいなら手合わせしてやろう。残酷な現実に打ちのめされなきゃいいが」
「言ったなァ!」
レイスはマントの隙間に両手を差し入れると、流麗な仕草で獲物を引き抜いた。両手に握られているのは湾曲した刀身が特徴的な内刃の大型ナイフである。
「おっ、かっこいい! 二本同時に鞘から引き抜く練習をずいぶん頑張ったんだな、えらいぞ!」
ペチペチと気の抜けた拍手を送るスレオニールに、レイスはたちまち顔を熱らせた。
「うっせえ!!」
ブン、と音を立てて利き手のナイフを振り下ろす。
スレオニールは最小限の動きでそれを避ける。そこに向かってナイフが来ると事前に知っていたとしか思えない軽快なステップで次々と回避している。一方のレイスといえば、完全にナイフ初心者の動きであった。感情が先立ち、怒りで我を忘れたかのように無闇矢鱈に盲滅法振り回すだけだ。足腰がふらつき、筋肉の足りない細い腕がナイフの重さに負けている印象さえある。
ほんの僅かの時間で汗まみれにされたレイスはもう腕が上がらなくなっていた。着ていたマントにサウナ効果でもあったのか、露出した片肌からは湯気が立ち上っている。
「準備運動はもういいのか?」
涼しい顔で問いかけるスレオニールにレイスは歯軋りで応じた。垂れた首を起こす力も残ってないが、気力で声を絞り出す。
「おまえらァ! 黙って見てないで働けェ!!」
レイスの奮闘を腕組み姿で観戦していた黒ずくめの者たちが互いに顔を見合わせた。軽く肩をすくめると、統率という言葉とはおよそ縁遠い動作で、それぞれが勝手に動き始める。軍隊など正規の組織で訓練を受けた人間の動きではない。だが、レイスとは比べものにならないレベルの経験と実績が連中からは感じ取れた。
「ふん。本物の山賊ってわけかい?」
「傭兵と言ってほしいね。金さえ貰えりゃ隠居老人の旅のお供から国家間の諜報活動まで、なんでもやるのがオレたちよ」
黒ずくめのひとりが冷静に受け応える。
先ほどのスレオニールの動きを間近で見ても脅威にすら感じていない様子だった。
「⋯⋯なるほど。噂には聞いたことがある」
「そいつはどうも。助けを借りたいときはいつでも言ってくれ。先に料金表を渡しとこうか? そこの坊ちゃんからの紹介ってことで値引きもしとくぜ?」
「良心的だな」
「この商売は信用第一なもんで」
別の黒ずくめの男から渡された料金表に目を通すスレオニール。その顔が露骨に歪む。
「ちと高くないか?」
「格安だと思いますがね」
「いや、この値段は高すぎる! ぼったくり価格だ!!」
「⋯⋯商談決裂ってこと、でしょうか?」
「⋯⋯だな」
金属の擦れ合う音が響く。黒ずくめの者たちが一斉に剣を抜いたのだ。
「ひでぇ話だ。最初からそのつもりだったんじゃねぇか」
使者としての体裁を整えて来たスレオニールは丸腰である。九本の剣の前ではさすがに分が悪い。
剣が一本足りないことにスレオニールも気づいた。剣の隙間から走る準備に勤しむ男の姿が見える。目が合うと黒ずくめは悪びれることなく言い放つ。
「そいつらの目的はあんたをこの場に釘付けにすること。オレの役目は先行した子供を捕まえて殺すことだ」




